41 動き出す事態(3)
「石化…?」
アベルは思わず呻いた。
石化といえば、想像するのはバジリスクなど石化の魔眼を持つ魔物による被害だ。
しかしその系統の魔物は砂漠地帯にしか生息していないはず。森の中にあるという凪の一族の里に現れるとは思えない。
リョウが視線を鋭くした。
「──宝生の術ですね」
《恐らく。…里の入り口に、凍牙とアオイ、宝生も居った。当然、石化しておったがの》
「そんな術があるのか?」
「はい」
石化の術は、凪の一族が使う『術』の中でもかなり特殊な部類に入るのだという。
周囲の魔素だけでなく己の生命力も使い、辺り一帯の生き物を例外なく石化させる術。
自身も石化するため、一種の自爆技とも言える。
宝生は、それを使って凍牙とアオイと里人たち諸共、石化した。
「…多分宝生は、凍牙とアオイを止めるため、そして自身が呪術で操られるのを防ぐために、石化の術を使ったのだと思います」
石化している間は、少なくとも呪術の影響を受けることはない。
そして、恐ろしく硬い物質へと変質するため、基本的にどんな攻撃を受けても傷付くことはない。
「なるほど。今回は緊急避難として使ったわけだな」
大公の言葉に頷くリョウの表情からは、強張りが消えていた。
異常事態ではあるものの、まだ誰かの命が失われたわけではない。少しだけ安堵しているのだろう。
《…と言っても、ずっとそのままでいられるわけでもないがの》
トパーズが目を細める。
《あの術は、術者の生命力が切れれば解ける。わしが様子を見た限り、もってあと12、3日程度じゃ》
「…はい」
宝生の生命力が尽きれば、術が解ける。
術が解ければ、呪術で操られたままの凍牙とアオイが何をするか分からない。
リョウは頷き、大公へと向き直った。
「──大公陛下は、かなり前にこの事態を把握していたのではありませんか?」
先程大公は、『あれを見たのか』と言った。そこに何があるのか知らなければ出て来ない台詞だ。
指摘されて、大公は深く溜息をつく。
「──そうだ。お前から情報を得た時点で、状況把握のため、特殊部隊員をあの森に派遣した」
探索に長けた隊員は、森の奥で小さな集落を発見した。
──いや、集落と言って良いのかどうかは微妙なところだったそうだ。
家屋は全て破壊され、荒らし尽くされていた。
「動く人間はおらず、あるのは精巧な石像ばかり。それも並べられているわけではなく、里の外れに佇んでいたり、不自然な格好で倒れていたり、家屋の下敷きになっていると思しきものもあったそうだ」
あまりにも異様な光景。
…なるほど、先程トパーズが言った『酷いもの』とは、そういう意味か。
「──その隊員は、集落の奥まで行ったのですか?」
「いや。石像を視認できる距離までは近付いたが、集落の中までは入っていない。──危機察知能力がある人間でな。集落の中に入るのは危険だと感じて、そのまま帰還した」
「賢明な判断だと思います。集落には何らかの罠が張られている可能性が高いので」
その集落出身であるはずのリョウは、どうしてここまで冷静なのか。
疑問に思って視線を巡らせ──気付いた。
──きつく握り締めた拳。爪が手のひらに深く食い込んでいる。
「リョウ、その手…」
思わず声を掛けると、リョウは我に返ったように自分の手を見下ろした。
開いた手のひらには、血が滲んでいる。
「…あ…」
《落ち着くのじゃ、リョウ。逸ってはいかん》
リョウに歩み寄ったトパーズが、ふわりと魔力を放つ。
回復魔法を掛けられて、傷はあっという間に塞がった。
「……申し訳ありません」
《うむ、気を付けるようにな》
トパーズは鷹揚に頷いた。
リョウは頭を振って表情を切り替える。
「──大公陛下、帝国へ渡る許可をください」
「…帝国へ行って、何をするつもりだ?」
「まずは里の…石化の術があとどれほどもつのかの確認を。それから──呪術師を叩きます」
一切の迷いの無い眼だった。
大公は数秒沈黙し、ゆっくりと口を開く。
「…テレジア女史は、呪術師は皇帝の血筋の者である可能性が高いと言っていたな。皇帝自身が呪術師かも知れぬと」
「はい」
「お前は、帝国そのものを敵に回すつもりか?」
「──必要とあらば」
大公の重い問いに、鋼のような硬質な声で答える。
「未だ、呪術師の目的は分かりませんが…これ以上は、絶対に許容できません」
取り返しのつかないことになる前に止めるのだと、リョウは言う。
それに、と続けた。
「問題がもう一つあります。──魔素の流れに乱れがあるということは…反転の世界樹の限界が近い、ということです」
そうでしょう?と訊かれたトパーズは、静かに頷いた。
《今日明日中に、というわけではないがな。覚悟はしておくべきじゃろう》
「覚悟…?」
「瘴気を限界まで溜め込んだ反転の世界樹は、最終的に瘴気を生み出す魔樹へと変貌する…そう言われています」
リョウは冷静な声で語る。
反転の世界樹は瘴気で汚染され尽くすと、まず溜め込んだ瘴気を周囲へ撒き散らし、さらに魔素を吸収して瘴気へ変え、放出するようになるそうだ。
瘴気を魔素に還元する世界樹が、瘴気を放出するようになる。
これは反転の世界樹だけに起こり得る現象で、世界樹が『堕ちる』と言うらしい。
アベルは思わず呻いた。
「そんなことが…?」
《嘘ではないぞ。…北の大陸ではその昔、そうして一つの国と周辺地域一帯が滅んだ。百年以上前の話じゃが、今でもその場所には草1本生えておらん。…『堕ちた』世界樹を除いてはな》
北の大陸には、不毛となった呪われた地がある──その噂はアベルも知っている。
だが、その原因が世界樹だと、どうしてトパーズは当たり前の顔で言っているのか。
アベルの頭に疑念が浮かぶ間にも、話は進む。
「…それが、凪の一族が守る世界樹で起きる可能性があると?」
「はい。だから…そうなる前に、あの世界樹を滅ぼさなければなりません」
世界にとっての病巣となる前に、切り倒せと。
あっさり言うが、魔素循環の根幹を担う世界樹を、簡単に倒せるものなのだろうか。
確か、本職の木こりの斧でも傷一つ付かないと聞いた事があるのだが。
リョウは胸の前で片手を握った。
「世界樹が世界に災厄を振り撒く前に、滅ぼすこと──それが私たち『月晶華』の、もう一つの役割です」
決意を秘めた目が、ひどく遠い。
と──
「…大公陛下、お話し中申し訳ありません」
ノックの音の後、扉越しに文官の声が聞こえて来た。
「急ぎ、こちらの書類の確認とサインをと──」
「ああ、少し待て」
大公が返事をすると、トパーズはいやいやと首を横に振った。
《すまんの、長居をしてしまった。わしはもう帰るとしよう》
「リョウと積もる話もあるのではないか?」
《今回は様子を見に来ただけじゃ。お前さんのところに保護されたのは幸いじゃった》
トパーズは大公に笑い掛け、ではの、と軽い足取りで出口へ向かう。
その後ろ姿を見て、大公がこちらを促した。
「アベル、リョウ。トパーズ殿の見送りに行ってくれ。先程の件については後で回答するから、見送りが終わったら戻って来い」
「承知しました。──行こう、リョウ」
「…分かった」
トパーズに続き、文官たちに目礼しながら廊下へ出る。
中庭から帰ると言うので、回廊へ足を向けた。
途中、トパーズは唐突にアベルの肩に飛び乗り、小さな念話で囁く。
《──あの子を頼むぞい。『神凪』の名を背負うのには、リョウは優しすぎるでな》
「『神凪』の名…?」
《凪の一族の名には意味がある。…この状況で『神凪』とは、世界樹も何とも酷なことをするものじゃが》
「…?」
アベルの疑問には答えず、ではの、とトパーズは肩から飛び降りる。
《ここで良い。──リョウ》
「はい」
中庭の入り口で、トパーズはこちらを振り返った。
深い色を湛えた琥珀色の瞳が、静かにリョウを見詰める。
《…どうか、達者でな。お前さんが、お前さんの人生を生きられる事を祈っておるよ》
「…はい。ありがとうございます、トパーズ様」
それはまるで、今生の別れのような言葉。
トパーズはふわりと笑い、中庭の噴水に近寄る。
噴水の少し手前で、小さなケットシーを中心に魔力が渦を巻き、地面が螺旋状に盛り上がった。
「え…!?」
アベルは驚きの声を上げる。
円筒形の土の壁がケットシーの姿を隠し、それが元の地面に戻った時には──トパーズの姿は幻のように消えていた。
「今のは…」
地面と同化し、地続きの場所を自在に移動する特殊な魔法。
ケットシーはおろか、人間でも使える者の居ない魔法だ。使えるのは──
「…トパーズ様は、ドラゴン──地の氏族の長」
「!?」
リョウが小さな声で呟いた。
「ドラゴンって…ケットシーの姿だった、よね?」
「あの方は特別らしくて…ケットシーの姿になる魔法が使える。私たちの里に来る時も、いつもあの姿だった」
ケットシーの姿になれるドラゴン。そんなの聞いた事が無い。
けれど──
(あの目…)
底知れない琥珀色の目を思い出す。
それは確かに、普通のケットシーでは持ち得ない色だ──そんな気がした。
ケットシーもといドラゴンのトパーズ様は、拙作『丸耳エルフとねこドラゴン』にも登場したりします。
もふもふ良いですよね。もふもふ。(←シリアスな雰囲気が台無し)




