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アベル・イグナシオ回想録 ~国境で捕えられた敵国人は、俺の命の恩人でした~  作者: 晩夏ノ空


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40 動き出す事態(2)


「リョウ、入って良い?」


 地下室の扉をノックすると、良いよ、と短い返事があった。


「入るよー」


 扉を開けると、すぐ横にテレジアが立っていた。

 ちらりとアベルを見た後、すぐに部屋の中へと視線を戻す。


「リョウ、それはもう少しこっちに寄せな」

「はい」


 リョウは何やら奥で作業をしている。

 とりあえず扉を閉めた途端、背中がぞくりとした。



「…!」



 思わず身構えて振り返るが、室内には工芸品や家具が乱雑に並べられているだけ。

 椅子を動かしていたリョウが、こちらを見た。


「──アベルにも分かるみたいだね」

「え、それじゃあこれって…」


 喋っている間も鳥肌が止まらない。

 底冷えのする得体の知れない気配は、そこかしこから漂っている。


「多分、アベルが感じてるのは瘴気の気配。一つ一つが蓄積してる量は少なくても、これだけ集まると…流石にね」

「これが…」


 殺気とも敵意とも違う、どろどろとした冷たい気配。瘴気は生き物の負の感情の成れの果て──それをようやく実感する。


「これを封印するの?」

「そう。…私は結界系の術はあまり得意じゃないから、それほど持続しないけど」


 20日おきくらいで術を掛け直す必要があるのだという。

 十分さね、とテレジアが口の端を上げた。


「20日もありゃあ、パレンシア伯の証言も取れるだろうさ。奴はちょっと欲望が暴走気味になってただけだからね。呪物から離れりゃ、正気に戻る」


 テレジアはもうフェデリコの状態を確認してきたらしい。仕事が早い。


「…配置はこんな感じで良いね」


 その後、アベルも少し手伝って呪物の配置を整えると、テレジアが満足そうに頷いた。


「アタシは先に上に戻って、他の容疑者どもの様子を見ておくよ。ご令嬢も不安だろうからね」

「分かりました。お願いします、テレジア様」

「任せておきな」


 テレジアが自信満々に頷いて部屋を出ると、リョウは部屋の中央に集めた工芸品の周囲の床に白くて脆い石で記号のようなものを描き始めた。


 ぐるりと一周して、


「──」


 こちらに背を向け、両手を胸の前に掲げて何事か呟く。


 キン、と小さな鈴のような音がして、冷たい空気が和らいだ。


 アベルはそっと息をつく。


 いつの間にか、背中にじっとりと汗をかいていた。


 ここの瘴気は大した量ではないというが、ならばリョウたちが守ってきた反転の世界樹が溜め込む瘴気は、どれほどのものなのか。想像して薄ら寒い気分になった。


(──落ち着け。今心配してもどうしようもない)


 アベルは自分に言い聞かせる。


 リョウが振り返った。


「…とりあえず、ここにあるものは当面問題ないと思う」

「分かった。ありがとう、リョウ」


 礼を言うと、リョウは一瞬戸惑った顔をした後、少しだけ嬉しそうに笑った。


「…うん」


(どうしよう、可愛い)


 不謹慎なのは重々承知だが。





 地下室を出ると、リョウは扉に2ヶ所、鍵を掛ける。


 封印術は物そのものではなく場所に対して施してあるので、その範囲外に物を持ち出してはならない。一番手っ取り早いのは部屋を封鎖することだ。


「鍵は大公に返すんだよね?」

「うん」


 石造りの階段を上がってドアを開け、1階の回廊に出ると、そのドアにも鍵を掛ける。

 厳重な造りは、地下室が宝物庫だった頃の名残りだと聞いたことがある。今回初めて入ったが、確かに地下の扉は分厚く、鍵の作りも特殊だった。


 連れ立って回廊を歩いていると、中庭に差し掛かったところで不意にリョウが足を止めた。



「え…」


「?」



 視線は中庭にある噴水に向いている。


 物珍しいのかと思っていたら、その噴水の横からケットシーが顔を出した。

 明るい茶色の、毛の長いケットシーだ。城の敷地内にケットシーが居るのは珍しい。


 そのケットシーは、リョウを見て微笑んだ。



《──ここにおったか、リョウ》



 肉声ではなく念話だが、とても穏やかな響きだった。


「!」


 リョウは軽く目を見開く。


「リョウ、知り合い?」

「…うん。里で…少し」


 ケットシーが歩み寄って来るのに合わせ、こちらも中庭に出る。

 リョウはケットシーの前で深々と一礼した。


「お久しぶりです、トパーズ様」


(トパーズ…様?)


 ヒトの隣人であるケットシーを呼ぶには、違和感のある敬称。


《うむ、久しぶりじゃの》


 ケットシーは鷹揚な態度で頷いてから、アベルの方へ視線を向けた。


《初めて会う顔じゃな。──わしはトパーズ。リョウの故郷の者たちとは懇意にしてもらっておる》

「ええと…俺は公国軍特殊部隊所属の、アベル・イグナシオ、です」


 向けられた目は、ケットシーにはありふれた琥珀色。

 なのに何故か、背筋を伸ばしたくなるような底知れない光が見える。


 トパーズはよろしくの、と気さくに目を細めた後、表情を改めてリョウへと視線を戻した。


《…大変なことになっておるようじゃな》

「…はい」


 リョウが頷き、周囲に視線を走らせる。幸い近くに人影は無いが、立ち話が出来る話題でもなさそうだ。


《──ここではなんじゃ。大公のところに行くとしようかの》

「え?」


 トパーズがあっさりと言う。

 アベルが驚くと、トパーズは器用に片目を瞑った。


「これでも、大公とは古い友人でな。顔パスというやつじゃ」





 大公の執務室の扉の前で『トパーズというケットシーが面会を求めている』と告げると、すぐに中へと通された。

 まさに顔パス。トパーズの言った通りだ。


 入室するトパーズと入れ違いに、中で執務をしていたはずの補佐官たちが出て来る。アベルが首を傾げて見守っていると、中から声が掛けられた。


「アベル、リョウ。お前たちも入れ」

「…失礼します」


 部屋の中には、大公とトパーズ以外誰も居ない。人払いされたようだ。

 補佐官まで退出させるとはどういうことだろうか。


 アベルの疑問をよそに、大公はトパーズに向けて親しげに笑った。


「久しぶりだな、トパーズ殿」

《うむ。お前さんは相変わらず若いのう》

「それだけが取り柄だからな」

《よく言うわい》


 本当に友人らしい。


 気の置けない会話を繰り広げた後、で、と大公は表情を改めた。


「今日はどうしたのだ? この2人と共に来たということは、リョウの──凪の一族絡みか?」

《うむ。わしは凪の一族とも懇意にしておるのでな。リョウたち『月晶華』は特に親しい友人のようなものじゃ》


 トパーズはその場にきちんと座り直し、静かな目で告げる。



《…魔素の流れに乱れがあっての。凪の一族の里を見て来た》


「!」


《……ひどい有り様じゃった》



 ヒュッと奇妙な音が聞こえた。

 リョウが息を呑み、強張った顔をしている。


 大公が苦い顔をした。


「…()()を見たのか」


《見たとも。その様子では、事情を知っているようじゃな。──リョウだけがここに居る理由を含め、説明してもらえるかの?》


 トパーズが要求すると、大公は事の経緯をざっと説明する。


 少し前、帝国の凪の一族の自治区で『月晶華』の凍牙とアオイが何者かに呪術で操られ、リョウと宝生に襲い掛かって来たこと。

 宝生がリョウを川に落とし、逃がしたこと。

 その結果、リョウは公国に流れ着き、最終的には大公の元に保護されたこと。

 今は大規模な呪術が行われる可能性を懸念して、国内の調査を行っていること。


 一通りの話を聞いたトパーズは、そうか、と小さく呟いた。


《…リョウだけでもこうして居るのは僥倖じゃったな》


 その言い方は、まるで。


(リョウの故郷はまさか、もう……)


 最悪の予感に、アベルの指先が冷えて行く。

 が、トパーズはこちらを振り返り、落ち着け、と苦笑した。


《最悪の状況に至っているわけではない。…済まんな、言い方が悪かったのう》

「え…」

《わしは数日前に魔素の乱れが大きくなっておるのを感じての。調べて行くうちに、凪の一族の里に行き着いた。……誰とも、話すことは叶わんだが》


(話せなかったって言うんなら…)


 トパーズは首を横に振り、続けた。



《──里人は全員、石化しておったんじゃよ》





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