38 パレンシア家の夜会(5)
アベルたちが呆然としているところに、マリアナが戻って来た。
「お待たせいたしました、お嬢様。こちらを…」
アリアドナに丈の長いケープを被せ、分厚い封筒を手渡す。
アリアドナは封筒の中から取り出した紙の束に目を通すと、リョウに差し出した。
「これを見てください」
「…拝見します」
リョウはそれを受け取り、ざっと見た後にアベルへ視線を向ける。
「アベル、これ…」
少しだけ厳しい目をしている。
紙の束を受け取ると、ブラウとニルダも近寄って来た。
真っ先にその書類の正体に気付いたのは、ニルダ。
「これ、違法取引の帳簿だわ」
「違法取引?」
「相手は帝国みたいだけど…ほらここ。魔石ランプはまだ他国に出せるものじゃないし、鉄鉱石も帝国には輸出しないことになってるはずだもの。なのにその取引の記録があるなんて…」
ニルダが指差すところには、確かに指摘した通りの記載がある。
アリアドナが頷いた。
「…これはほんの一部の写しです。これと同様の取引が、頻繁に行われています」
「それは…」
明らかに、国に対する背信行為だ。流石にニルダたちの表情も硬い。
「…父は、正規の輸出品である小麦の袋の中にこれらを隠し、堂々と国境を越えています」
アリアドナが目を伏せた。
「──半年程前、帝国でそのような取引を持ち掛けられ…いつもなら即座に断るはずですのに、父は話に乗ってしまいました」
「以前から、打診はあったのですか?」
「はい。主に鉄鉱石の密輸の要求が…帝国には鉄鉱石の鉱床がそれほどありませんから」
他国の内情に詳しいのは、彼女も取引に同行しているからだろう。
半年前というと、パレンシア伯爵が急に羽振りが良くなった時期と一致する。
「密輸をする前も、始まった後も、何度もやめるようお願いしたのですが…私が何を言っても、父は聞き入れてくださいませんでした」
だからアリアドナは、大公に最も近い特殊部隊員に密告しようとアベルに近付いた。
丁度その頃、特殊部隊員に近付き篭絡するよう父親から命じられていたのだという。
特殊部隊員に近付くことは父の命令でもあるから、いい隠れ蓑になったようだ。
アベルを選んだのは、既婚者やパートナーが居る者に近付くのは気が引けたため。
アベルはそれなりの頻度で夜会に参加していたから、2人きりになれる機会もあるかも知れないと期待していたそうだ。
──ところがその目論見は外れ、アベルにはすげなくあしらわれてばかり。
しかも、父親は付き人として自分の腹心をアリアドナに同行させていたため、2人きりになることすら出来なかった。
屋敷の中で心から信頼できるのは、幼い頃からの付き合いであるマリアナだけ。
他の者に迂闊に話すことも出来ない。
アリアドナは思い悩み──とうとう屋敷で事件を起こそうと思い至った。
何者かの作為を感じる事件が起きれば、軍の捜査が入る。
その時にどさくさに紛れて密輸の証拠を渡せば、きっと大公の耳にも入るだろう。
そうして今日、ガラス細工が倒れるように仕組んだ。
(この子は、本当に…)
艶やかで華やかな姿は、仮面でしかなかった。本当はどこまでも真面目なご令嬢なのだ。
国に背く行為を繰り返す父親を見て、どれほど心を痛めたことだろう。
自分が逸早く気付いていれば、彼女がここまで思い詰めることも無かったのではないか──アベルはそんな風に思ってしまう。
事の経緯を説明したアリアドナは、最後に深く頭を下げた。
「…お願いです、父を拘束してください。このままでは、父は帝国の走狗となってしまいます」
身内の──父の罪を告発するアリアドナの肩は震えていた。
それはそうだろう。対立国への違法な輸出となれば、実刑は免れない。爵位剥奪も十分有り得る。
それを分かった上で、アリアドナは行動に移したのだ。
リョウが静かに問い掛けた。
「一つ、お聞かせください。…半年前、パレンシア伯爵は帝国から何かご購入なさいませんでしたか?」
「何か、というと…?」
「例えば、工芸品とか、珍しい石とか…消耗品や食べ物ではなく、飾ったり身に着けて楽しむようなものです」
「…確かその頃、あのガラス細工を購入しました。他にもいくつか、家具や絵画を購入しています」
「それは今、屋敷の中に?」
「はい。ガラス細工は壊してしまいましたが…他は手元に置いてあるはずですわ」
リョウの視線が僅かに鋭くなる。
ガラス細工や他の工芸品に掛けられた呪術によって、フェデリコが違法な取引に手を出した可能性がある。それが分かっただけでも大きな収穫だ。
リョウに視線を向けられ、アベルは頷いた。ブラウとニルダもそれに続く。
「──貴重な情報をありがとうございます、アリアドナ様」
リョウは真剣な表情でアリアドナに礼を述べる。
「このことは必ず、大公にお伝えいたします」
「…っ! ありがとう存じます、レイナ様…」
アリアドナは一瞬目を見開き、すぐに目を伏せて頭を下げた。
その目に涙が浮かんでいるのを、アベルは見なかったことにした。
アリアドナが証言してくれたとはいえ、今日すぐには動けない。
アリアドナとマリアナには出来るだけ今まで通り過ごすよう助言し、アベルたちは会場に戻った。
散乱していたガラスの破片は既に綺麗に片付けられ、優雅な音楽が流れている。
巨大なガラス細工が粉々になったというのに、夜会は当たり前のように続いていた。
「…ここで中断したら、他の貴族連中の噂の種になっちまうからな」
ブラウがぼそりと呟く。
貴族というのは、つくづく面倒臭い生き物だ。
「もうダンスの時間なのね」
軽食が置かれたテーブルは端のほうに寄り、ホール中央ではペアになった貴族たちがダンスに興じている。
踊っていない者たちは思い思いに過ごしているようだが、何人かの若い男たちはあからさまにこちらを見ていた。
(これは…)
視線の先に居るのはリョウだ。
アベルがパートナーだと公言しているが、夜会では最初の1曲を除き、パートナー以外とも踊るのが通例とされている。それを狙っているのだろう。
しかし──あんな好色そうな目をした連中にリョウを任せたくない。
「……リョウ、1曲踊ったら帰ろうか。報告もあるし…」
「…うん」
言い訳を絞り出して提案すると、リョウも即座に頷いた。
丁度曲が終わり、ダンスをしていたペアが解散して行く。
「俺らはこのまま会場に残るわ。あのガラス細工と同じ変な気配なら俺も分かるし、他にもあるかどうか確認しとくぜ」
「隊長への報告は任せたからね」
ブラウとニルダがこちらに囁き、さっとペアを作ってホールの中央に進み出る。
その背中にありがとうと答え、アベルもリョウに右手を差し出した。
「じゃあ、俺たちも行こうか。──1曲お相手願えますか」
「──はい」
顔を整えてダンスへの誘いを口にすると、リョウは一瞬固まった後、綺麗な笑みを作ってアベルの右手に左手を乗せた。
その後──
基本3曲の中で一番難しいとされ、社交界デビューでは『間違えて当たり前』とされている曲をノーミスで踊り切ったリョウとアベルの姿は、暫くの間、貴族たちの間で大きな話題となった。
曰く、『ムーンストーンでお互いを縛り合う間柄』『社交界デビューで夜会服の許容範囲ぎりぎりを攻めたペア衣装を着て来る猛者』『ホワイト夫妻を上回るダンスの名手』──
全ての話に共通するのは、『あのアベル・イグナシオが今まで見た事のないほどデレていた』という、貴族たちにとって大変衝撃的な事実だった。
今回の週末集中更新はここまで。
平日は基本、昼12時更新です。




