37 パレンシア家の夜会(4)
メイドの案内で入った部屋は、かなり広い客間だった。
控えの間と言っていたから、本来は夜会が始まる前に、複数の客が待機する部屋なのだろう。
アベルは参加したことは無いが、ここでの歓談も貴族には重要だと聞いている。
とりあえず、アリアドナを二人掛けのソファに降ろす。
「あ…ありがとうございます…」
「いえ」
アリアドナは青い顔をしたままだ。
工芸品が倒れて来たことにショックを受けている──いや、どうもそれだけではない気がする。
「失礼いたします」
ドアが開き、水色の髪のメイドが入って来ると、アリアドナははっと顔を上げてメイドを見た。
「マリアナ、こちらの──レイナ様が、私を庇って肩に怪我をされました。回復魔法を」
「承知いたしました。レイナ様、失礼してもよろしいでしょうか?」
「お願いします」
メイドのマリアナは、回復魔法を使えるらしい。
「では、こちらへ」
リョウを一人掛けのソファに座らせ、左肩を見たマリアナが、痛ましげに目を細める。
薄く切れていただけに見えた傷口から、血が溢れそうになっていた。
ガラスの破片でついた傷は見た目より深いことが多いのだ。
布で優しく血を拭い、マリアナがそっと手を翳す。
暖かな魔力の気配がして、傷がゆっくりと消えて行った。アベルはホッと安堵の溜息をつく。
そこで初めて、自分の身体がひどく強張っていたことに気付いた。
まさか貴族主催の夜会で、リョウが傷を負うことになるとは。全く予想していなかった。
「──終わりました」
マリアナが告げると、リョウは肩を確認して笑みを浮かべる。
「ありがとう存じます」
「き、恐縮です」
至近距離でキラースマイルを見て、マリアナが頬を赤くして立ち上がる。
アリアドナに歩み寄り、
「お嬢様、大丈夫ですか?」
「ええ…」
アリアドナが安堵の表情になり、ここまで案内してくれたメイドに指示を出した。
「貴女は会場に戻り、お父さまの指示に従ってください。皆さま、混乱なさっているはずです。人手も足りないでしょう」
「はい、お嬢様」
メイドが出て行くと、アリアドナはゆっくりと呼吸を整え、マリアナの手を借りて立ち上がった。
「──アベル様、レイナ様、この度は大変申し訳ありませんでした」
思わぬ態度に、アベルは目を見開く。
会場での自信に満ちた姿が嘘だったように、アリアドナは肩を小さくして深く頭を下げている。
ブラウとニルダも、驚きに硬直していた。
一方で、リョウは静かにアリアドナへと歩み寄る。
「顔を上げてください、アリアドナ様」
「レイナ様…」
そっとアリアドナの手を取り、
「──あのガラス細工が倒れることを知っていて、私たちをあの場所から遠ざけるためにわざわざ話し掛けてくださったのでしょう?」
「!?」
「えっ!?」
アリアドナがびくっと肩を揺らし、ニルダが小さく声を上げる。
リョウは穏やかな声で続けた。
「…会場での態度も、その服装も、かなり無理をしているように見受けられます。そうしてでも、アベルに──いえ、特殊部隊の隊員に、伝えたいことがあったのでは?」
「……」
アリアドナは呆然とリョウを見詰め──その目にじわりと涙が浮かんだ。
「──っはい、その通り、ですわ…」
貴族の矜持か、それでも泣くことは堪え、アリアドナはマリアナに指示を出す。
「マリアナ。私の部屋から、上着と──あの書類を持って来てください」
「──はい!」
マリアナの表情が引き締まった。
マリアナが部屋を出て行くと、アリアドナはふらりとよろめいた。
リョウが危なげなく支え、ソファに座るよう誘導する。
「…ありがとう存じます。──その…どうして分かったのですか?」
上目遣いでリョウに問い掛ける姿に、貴族特有の傲慢さは欠片も無い。だが、夜会での姿よりも今の方が、彼女らしい気がした。
リョウはアリアドナの隣に腰を下ろし、そっと微笑む。
「アリアドナ様は、元々穏やかで一歩引いたところがあるお方だと聞き及んでおりました。半年ほど前から、夜会などでアベルに積極的に近付こうとしている、とも。ですが本来の性格からすると、アプローチの仕方が不自然だと思っていたのです」
そして今日会ってみてアリアドナが無理をしている事に気付き、その行動には何か理由があるのではと思った。リョウは淡々と説明する。
…アベルは全く気付かなかったが、今までのアリアドナの態度は全て無理を重ねた結果だったらしい。
確かに、真面目な顔でリョウの話を聞いているのを見ると納得出来る。
それから、とリョウは続けた。
「ガラス細工の件ですが…話し掛けてくださる前、私たちに近付いて来る時に、ほんの少しですが焦りが見えました。工芸品の話題を振ってくださったのにわざわざガラス細工を背にする位置に立っていたのも不自然ですし、アベルと話している間中、ずっとガラス細工の方を気にしておられたでしょう? アベルがガラス細工から遠ざかるよう、わざと自分から近付いておられましたし」
パートナーの居る男性に対して、きちんと教育を受けたご令嬢が物理的に迫って来るのは有り得ない、とリョウは指摘した。
アリアドナが赤面して頷き、アベルへと向き直る。
「…あの時は申し訳ありません。それ以外に方法が浮かばなくて…」
口調が少し崩れている。
構いませんよ、とアベルは応じた。
「むしろ、気付かなくて申し訳ありません。結果的にパレンシア伯爵令嬢を危険に晒してしまいました」
特殊部隊員が夜会に出席するのは、密かに会場を警備するためでもあるのだ。
それを考えたら、ガラス細工やアリアドナの態度に不自然さを感じなかった自分は単に失態を演じていた事になる。
アベルの謝罪に、アリアドナは大きく首を横に振る。
「いいえ、いいえ…あれは私の自業自得なのです」
「自業自得?」
「──あのガラス細工が倒れるよう細工したのは、私なのです」
「!?」
アベルは咄嗟にブラウに視線を投げる。
ブラウは小さく頷いた。アリアドナは嘘をついていない──だが、本当に彼女が?
「…私は少しですが、氷属性の魔法が使えます」
アリアドナは眼前に右手を掲げ、小さく何事か呟いた。
魔力がわずかに渦を巻き、手のひらの上に小さな氷の粒が舞う。
「きれい…」
ニルダが目を輝かせる。
アリアドナは魔法を止め、視線を落とした。
「──あのガラス細工が置かれていたのは、組み立て式の台座です。その4本の脚のうち2本を、魔法で作った氷と挿げ替えました」
「なるほど…時間が経てば氷が融けて、バランスを崩したガラス細工が勝手に倒れる、という事ですか」
「はい」
ブラウの言葉に頷く。
「…会場の配置を考えて、なるべく被害が出ない方向に倒れるようにしたのですが…」
丁度倒れて行く方向に、リョウとアベルが立っていた。
しかし、分からないことが一つある。
「何故わざわざ、あんな大きな工芸品が倒れるような仕掛けを?」
下手をしたら、出席した貴族が巻き込まれていた可能性がある。普通に考えて犯罪行為だ。
そう指摘すると、アリアドナは膝の上で強く拳を握った。
「…大事になれば、軍の捜査が入ります。そうすれば、父を止めることが出来るのではないかと…」
「父を、止める…?」




