35 パレンシア家の夜会(2)
夜会の会場は、城下町にあるパレンシア伯爵家の屋敷。
貴族の屋敷は大公の城に近い区画に集中しているため、隊舎からもそれなりに近い。
先日リョウと共に城下町に出た時には最短距離で突っ切った区画を、今日は馬車でゆっくりと進む。
程なく馬車が止まり、御者役の隊員が扉を開けてくれた。
ブラウとニルダが慣れた様子で降り、続いてアベルも外に出て、振り返って手を差し出す。
「行こう、リョウ」
「──うん」
交わす言葉はいつもの口調、ただし所作は貴族のそれ。
アベルの手にリョウが手を重ね、ゆっくりと馬車を降りる。
明かりを持った出迎え役のメイドが、目を見張って息を呑んだ。
「案内をお願いできますか」
笑いを噛み殺したブラウが招待状を差し出しながら声を掛けると、メイドは慌てた様子でそれを受け取り、確認してから一礼する。
「大変失礼いたしました。──パレンシア伯爵家へようこそいらっしゃいました、ブラウ・エンリケス様、ニルダ・アルモンテ様、アベル・イグナシオ様、レイナ・サリアス様。会場へご案内いたします」
入口で確認を受けると、後は会場への出入りは自由だ。
ブラウは早速若いご令嬢に捕まり、ニルダと共にその場を離れる。
ご令嬢はニルダとも親しげに会話しているから、ブラウとの結婚狙いとは少し違うようだ。
一方アベルは、
「アベルさ──……え?」
こちらに声を掛けようとした派手な身なりのご令嬢が、リョウに目を留めて呆然と足を止める。
リョウの姿を上から下まで眺め、躊躇いがちに歩を進めた。
「…あの、アベル様」
「こんばんは、マクベス子爵令嬢」
いつもなら素っ気無く挨拶するところだが、今日はリョウが隣に居る。
アベルが応じると、ご令嬢はパッと表情を輝かせた。
「こんばんは、アベル様。以前から申し上げておりますが、私のことはどうかジェニファーとお呼びくださいませ。──それで、こちらの方は?」
挨拶されたことで気が大きくなっているらしい。リョウに不躾な視線を向ける。
アベルは笑顔で答えた。
「私のパートナーの、レイナ・サリアスです。以後、お見知りおきを」
「……え?」
パートナー…?と呆然と呟く。
貴族の言う『パートナー』は、結婚した相手、もしくは将来を誓い合った相手のことだ。
言葉を失っているご令嬢に、リョウが丁寧な所作で一礼した。
「レイナ・サリアスと申します。以後、お見知りおきくださいませ」
「……うそ…」
「嘘ではごさいませんよ、マクベス子爵令嬢」
アベルはにこやかに告げる。
「レイナは大公の命により特殊な任務に就いていたため、長らく本国を不在にしていましたが、この度無事に帰還し、大公より男爵位を賜りました。公私ともに、私の隣になくてはならない女性です」
「あ、アベル…」
リョウが僅かに焦りを帯びた表情でこちらに囁く。
が、これくらい言わないと牽制にならないのだ。このご令嬢に対しても、聞き耳を立てている周囲の貴族連中にも。
「…本当か…?」
「今までどんなご令嬢にも靡かなかったのは、とうの昔に決めた相手が居たからなのか…」
「随分と入れ込んでいるようだな。あんな顔をするとは…」
「いやいや、あんな美女の隣に居たら誰でもああなるでしょう」
「くそ、美男子は得だな」
様々な言葉が周囲から漏れる。
その中で、一人の貴族男性が足早にこちらに歩み寄って来た。
ご令嬢を始め、周囲の人々がさっと場所を空ける。
「これはアベル殿。今日は美しい女性をお連れですな」
「パレンシア伯爵。本日はお招きいただき、ありがとうございます」
今日の主催者だ。アベルは丁寧に一礼した後、リョウを紹介する。
「私のパートナーの、レイナ・サリアスです」
「レイナ・サリアスと申します。お会いできて光栄です、パレンシア伯爵」
「これはこれは。私はフェデリコ。このパレンシア伯爵家の当主を務めております」
フェデリコは楽しそうに目を細め、リョウを見た。
「なるほど、貴女でしたか。話には聞いています。今日が社交界デビューだとか。我が家の夜会でデビューを飾ってくださるとは光栄の極み。どうか、楽しんで行ってください」
「ありがとう存じます、パレンシア伯爵」
リョウが微笑むとフェデリコは満足そうに頷いて、では、と足早に去って行った。他の招待客に挨拶に行くのだろう。
ご令嬢はいつの間にか去り、周囲の視線もぐっと減った。
アベルがパートナーだと宣言したことと、フェデリコがリョウの存在を認知していたことが大きい。
当日突然連れて来たのではなく、事前に主催者の許可をもらっているなら、外野は難癖をつけられないのだ。
隣でリョウが安堵の溜息をつく。
「まずは第一関門突破、かな?」
「うん…」
頷くリョウは、少しだけ厳しい表情をしている。
「…何かあった?」
「……パレンシア伯爵から、呪術の気配がする」
「!」
「それほど強い術じゃないと思うけど…後でちゃんと調べた方が良いかも」
「……分かった。夜会が終わったら、隊長とテレジア様に報告しよう。あと、他にも何かないか、今のうちに出来るだけ調べようか」
「うん」
その後アベルはリョウと共に立食をしながら会場の様子を見て回った。
予想外だったのは、貴族たちに絡まれる頻度だ。
今まではご令嬢だけだったのに、隣にリョウが居ると、老若男女も爵位も関係無く声を掛けて来る。
祝いの言葉を述べる者、あからさまに嫌味を口にする者、下心満載でリョウに近付こうとする者、後ろ盾になろうと申し出て来る者。意図はバラバラだが、とにかく人数が多い。
会場の貴族の半分以上が声を掛けて来たのではないだろうか。
「リョウ、少し休憩しようか」
会場を一回りしただけでげっそりした顔になっているリョウと共に、壁際に寄る。
『壁の花』という言葉がある通り、壁際に寄っている者には基本的に声を掛けないのが貴族のマナーだ。正直、このルールにだけは毎回かなり助けられている。
なお、ずっと壁際に居るのはそれはそれでマナー違反になるし、壁際に居ても主催者とその身内からは声を掛けられる。加減が難しい。
「大丈夫?」
「一応」
リョウは曖昧に頷いた。
ここに来るまでに、リョウが反応したのは2ヶ所。
身の丈以上ある巨大なガラス細工と、軽食が置かれたテーブルのうちの一つ。どちらも、帝国の伝統的な工芸品だ。
リョウがちらりとガラス細工を見上げる。
腰くらいの高さの台座に鎮座したガラス細工は、一体どうやって作ったのか問い質したくなるほど大きい。
縦は成人男性の身の丈以上、横は両手で輪を作っても入り切らないくらいか。
人間なのか動物なのか花なのか炎なのか、何を模しているのかはいまいち分からないが。
大きい分、裏側に回ると会場からは死角になるので、休憩に丁度良い。
とはいえ呪術が掛かっていると思うと、リラックスには程遠いが。
「…ちなみにこれ、どんな呪術が掛かってるのか分かる?」
テレジアと出会って以降、リョウは暇を見つけてはテレジアに呪術に関するレクチャーを受けていた。
簡単な呪術であれば、気配で大体判別がつくようになったという──『どんな感知能力なのかね』とテレジアが呆れていたが。
耳元で囁いてみると、リョウは一瞬肩を跳ねさせた後、くるりとこちらに向き直った。
「多分だけど…人の欲を増幅する術が掛かってる」
少しだけ背伸びをして、こちらの耳元で呟く。
吐息が耳に届き、背中がぞくりとした。
リョウが肩を跳ねさせた理由が分かった気がする。これは心臓に悪い。
「人の欲を増幅?」
耳元で話すのをやめ、単純に声量だけを落とすと、リョウは少しホッとした顔で頷いた。
「例えば、目の前に利益をちらつかせながら商談をした時に、相手がすぐに食い付くようになるとか…そういう効果があると思う」
「ああ、なるほど」
欲と聞いて真っ先に男女間のあれやこれを連想したのは黙っておく。
「じゃあ、この術がパレンシア伯爵に作用してるってこと…?」
パレンシア伯爵は、半年くらい前から急に羽振りが良くなったと聞いている。
呪術によって欲が暴走し、危険な商取引に手を出した──そう考えれば辻褄が合いそうだ。
「まだ分からない。パレンシア伯爵についてた呪術の気配は、かなり薄かったから。もう少し調べてみないと──」
不意にリョウが前を向いた。
アベルもそちらに目を向けると、豪奢な金髪のご令嬢が、真っ直ぐこちらに歩み寄って来るところだった。




