33 呪物と呪術師(2)
「うわ何だこれ」
花瓶を見た途端、ブラウは顔を引き攣らせてそう言った。
テレジアに『この呪術が掛かっている物は複数ある』と聞いたエドガルドは、即座に感知系の異能を持つ隊員たちを順番に呼び出した。
なお、テレジアは部屋の奥側、リョウとアベルの反対側で優雅にお茶を飲んでいる。
隊長は入室した者に名前しか紹介しておらず、テレジア自身も軽く顎を引いて無言で挨拶する程度なので、彼女が呪術師だと気付く者は居ないが。
多くは花瓶を見ても首を傾げていたが、ブラウのように反応する者も何人か。
「…これで3人か」
エドガルドが腕組みして呟いた。
ブラウは敬礼した後、執務机の横に立つアベルとリョウを見て首を傾げる。
「お前ら、もう帰って来たのか」
「街でこれ、見付けちゃってね。残念ながら休憩はおしまい」
肩を竦める。
リョウは難しい顔で花瓶を睨んだままだ。
現状、呪術の掛かった花瓶に反応したのは3人。
ブラウと、モーリスと仲が良い後輩のチェレステ、そしてベテランのジェラルド。それぞれ違いはあるものの、いずれも、他人の感情や情動を感知する異能の持ち主だ。
何も感じなかった者は既に帰されているので、この場に残ったのはその3人だけ。
「で、これ何だ?」
ブラウが首を傾げる。
異常は感知しても、それが何なのかは分からないらしい。
エドガルドが厳しい表情で告げた。
「──呪術が掛けられたもの、だそうだ」
「!」
場の空気が張り詰める。
ジェラルドが低く呻いた。
「──道理で、嫌な気配が」
「どちらだ?」
花瓶は2つ並べて置いてある。
ジェラルドは向かって左、リョウが『呪術が掛かっている』と断言した方を指差した。
「こちらです。明らかに空気が違う」
「どんな風に感じる?」
「死体が近くにある時の空気、ですかな」
「先輩はそんな風に感じるんスね。俺は殺気というか、何か攻撃的な相手が居るように感じるっス」
2人の言葉を聞いて、ブラウが頭をガシガシと掻いた。
「じゃあ俺が一番マシか? 中にムカデが大量に詰まってるような感じがするんだが」
「うげっ」
チェレステが顔を顰めた。
「勘弁してくださいよ。脚が6本以上ある生き物は苦手なんスから、俺」
「スマン」
そう感じたのだから仕方ないと思うのだが、ブラウは律儀に謝っている。
「これはアベルが見付けたのか?」
ジェラルドに問われ、アベルは返答に迷った。
残念ながら、アベルには呪術の気配は分からない。
しかし、正直にリョウが見付けたと言えば、今度はリョウの事情をチェレステとジェラルドにも教えなければならなくなる。
「見付けたのはレイナ・サリアスだ」
エドガルドがあっさりと言った。
「この手のものには敏感だからな。──だが、他にも感知できる者が居ると分かったのは僥倖だ」
さらりと話題を変える。
「ジェラルド、ブラウ、チェレステは、手分けして街でこれと同じ気配のものを探し、可能であれば回収しろ。回収が難しい場合は、物の特徴と場所の記録を取れ」
「期限は」
「出来うる限り早急に、だ」
「承知しました」
ジェラルドが真っ先に了承し、チェレステとブラウもそれに続く。
その後、エドガルドはジェラルドとチェレステに退出を命じた。
先に分担決めておくぞ、とブラウに告げて、2人は部屋を出て行く。
扉が閉まると、ブラウは溜息をついた。
「…んで、何でこんなもん拾って帰って来るんだ?」
デートじゃなかったのかよ、と、アベルにしか聞こえないくらいの小声で囁く。
一瞬反応しそうになったがぐっと堪え、アベルは首を横に振った。
今は軽口に応じている場合ではないのだ。
「偶然入った雑貨屋で見付けたんだよ。帝国の有名な工芸品だってさ」
「うわ、ほぼ真っ黒じゃねぇか」
一見普通の、何だったら高級感すらある花瓶を、ブラウは得体の知れない生き物を見るような目で見遣る。
「やっぱ、狙いはうちの国か?」
「分からん。その道のプロが見た限り、これが今すぐに被害を及ぼすことはないらしい」
エドガルドが視線を向けると、テレジアは一つ頷いた。
「周囲に漂う瘴気を延々と溜め込む術が掛かってるね。呪術の起点にすることも出来るし、状況によっては瘴気が集積して生まれる化け物──何て言ったかね」
「瘴魔、ですね」
「ああ。瘴魔が生まれる可能性もある」
「いやそれヤバいだろ。明らかに狙われてるよな?」
「多分…。だけどこの国は瘴気がかなり希薄だから、相当効率は悪いと思う」
リョウが首を傾げると、テレジアが喉の奥で笑った。
「その通りさ。他の国なら分からんが、この国の、しかも公都じゃ瘴魔になるほどの量を集めるのには数年かかるだろうね」
すぐにどうこうなるものではないという判断は、瘴気の溜まり具合が根拠らしい。
瘴気が感知できない身としてはかえって警戒したくなるが。
「──むしろ、誰がこれをこの国に持ち込んだか、の方が問題」
「…そうだな」
リョウの指摘に、エドガルドが頷いた。
「最有力はパレンシア伯爵だが、市井に出回っていることを考えると他に流通経路が存在する可能性もある。それはこちらで調査しよう」
花瓶を見遣り、
「今後回収されるものは、一ヶ所に集めた方が管理はしやすいが…テレジア女史、何か不都合はあるか?」
「まあ大丈夫だろうね。集めたところで、効果が増幅するようなものじゃ無さそうだ」
「リョウは?」
「問題ありません。ある程度集まったら、まとめて封印術を掛けます」
「呪術そのものを無効にはできないのか?」
「1つ2つ壊す分には大丈夫でしょうが、全て解呪した場合、それが術者に伝わる可能性があります。現時点では封印するだけにとどめておいた方が良いかと」
「正しい判断だね。大した力は無いが、アタシも手を貸そうじゃないか」
「ありがとうございます、テレジア様」
感知系の術は付随していないので、1ヶ所に集めて封印術を掛ける分には問題無いが、呪術そのものを全て無効化すると流石に気付かれる恐れがあるのだという。
糸の先がどこに繋がっているのかは見えなくても、糸そのものが切れれば分かる。そんな感じだろうか。
「分かった。──物が集まったら声を掛ける。アベル、リョウ、お前たちは一先ず、パレンシア家の夜会の準備に集中しろ。ブラウはそれと並行して街の調査を進めるように」
エドガルドの指示に、ブラウが半眼になった。
「俺だけ仕事が多い気がするのは気のせいですかね」
「まだ足りないか? なら、書類仕事も渡すが」
「遠慮します」
仕事が多いと言ったら追加が来そうになるのはどういう事だろうか。
ブラウが即座に首を横に振った。
「…」
隊長の執務室を出て宿舎に帰る道すがら、リョウはずっと難しい顔で沈黙していた。
「リョウ、大丈夫?」
アベルが問い掛けると、はっと顔を上げる。
こちらを見る目の奥には、迷いがあった。立ち止まって視線を合わせていると、リョウは観念したように呟く。
「…大丈夫、だと思う」
「だと思う?」
「あの術の背景が見えなくて、ちょっと悩んでた」
テレジアは、単に瘴気を集めるだけの術だと言っていた。反転の世界樹が溜め込んだ瘴気に比べると、現状、集まっている瘴気はごくわずかなのだという。正直、あまりにも効率が悪い。
「それなのに、どうしてわざわざ術を掛けたものをこの国に送り込んだのか…」
「二重三重に保険を掛けてる、とか? ほら、反転の世界樹の瘴気が確実に手に入るとは限らないわけだし。それに確か、瘴気は負の感情の成れの果て、なんだよね? 街に瘴魔なんてものが出現したら大混乱になるだろうし、この国にもダメージが大きい。そうなったらもっと多くの瘴気が集められるんじゃない?」
世界樹自らが作り出した結界を破らなければ、反転の世界樹の瘴気を使う事は出来ない。
ならば、瘴気を集めるために他の策を用意していてもおかしくはない。
…単純に、公国にダメージを与えたいだけかも知れないが。
「…そうかも知れない」
リョウが悩みながらも頷いた。
アベルは敢えて軽い口調で言う。
「どっちみち、やった本人に聞かなきゃ意図なんか分からないしさ。状況確認はブラウたちがやってくれるし、とりあえず、目の前の課題に集中しよう。──貴族言葉、覚えた?」
訊いた途端、リョウははっきりと眉を顰めた。
自分も似たようなものだ。アベルは苦笑した。
「付け焼刃だけど、頑張ろうね、お互いに」




