23 異変(4)
リョウが薬を飲んだのを見届けて、ドロテアは足早に帰って行った。
薬が効くまで少し掛かる。アベルはベッド脇の椅子に腰を下ろた。
「…アベル、迷惑掛けてごめん」
ぽつり、天井を見詰めてリョウが呟く。
アベルは即座に首を横に振った。
「気にしないで。俺たちは同じ部隊の仲間なんだから、お互い様だよ」
「仲間…」
リョウが困ったような顔をする。
なおも謝りそうな気配を感じ、アベルは話題を変えることにした。
「丁度良い機会だから、聞きたいことがあるんだけど」
「…なに?」
「俺の背中──心臓の真裏のあたりに、紋様があるんだけどさ、それ、リョウの術?」
「紋様?」
「言葉で説明するのは難しい形なんだけど…10年前に君に助けてもらった後に現れたんだよね。──その…君の背中にある紋様と似てる」
ドロテアにエロガキ呼ばわりされたあの一件で、アベルはリョウの背中に同じ紋様があるのを見た。
背中が大きく開いたドレスを着た時も見えていた。
アベルが説明すると、リョウは軽く目を見開いた後、ああ…と頷いた。
「『月絆の紋』だね」
大公が『識者の眼』で見抜いた名前だ。
「どんな効果があるの?」
「…ええと…」
リョウは僅かに視線を逸らす。
そのまま待っていると、リョウは諦めたように小さく答えた。
「…術者と相手の心臓の鼓動を同期させる」
「鼓動を、同期?」
「一度止まった心臓を動かしたり…異常な動き方をする心臓を強引に正常に戻したり…そんな使い方ができる」
それはもしや。
「…あの時、俺、死に掛けてた?」
「…うん」
リョウは視線を逸したまま、小さく頷いた。
「水を大量に飲んでて…心臓が止まってて…応急処置をするにも手が足りなくて、助けを呼びに行くんじゃ間に合いそうになかったから…」
だから、本来身内以外には使わない特殊な術を使った。
──リョウは、本当の意味で『アベルの命の恩人』だったのだ。
アベルが呆然としていると、リョウは毛布の脇からこちらに手を差し伸べて来た。
「…アベル、手、握ってみて」
「え?」
「『月絆の紋』の効果、もしかしたら実感できるかも…」
「あ、うん」
ドキドキしながら手を握ると、何かが繋がったような不思議な感覚の後、す…と鼓動が穏やかになった。
これは、リョウの鼓動に合わせた、ということだろうか。
…自分だけドキドキしていたのかと思うと少々釈然としないが。
「…まだ効くんだ…」
「え?」
リョウが何か呟いたが、よく聞き取れなかった。
「…こうやって、術で繋がった者同士が直接接触すると、相手の鼓動と同期する」
「それって、俺の鼓動にリョウの心臓を同期させることも出来るの?」
「意識してれば…たぶん…」
呂律が若干怪しい。
よく見ると、視線の先も定まっていなかった。薬が効き始めたらしい。
「寝て良いよ、リョウ。強い薬だから、夢も見ないと思う」
「…うん…」
ぼんやりと頷き、リョウはそのまま目を閉じた。
程無く、呼吸が深いものになる。アベルの手を握ったまま、リョウは眠りに落ちていった。
(…これで少しは回復すると良いけど…)
せめて、眠りが穏やかであるように。
リョウの手を両手で包み込むように握りしめ、アベルは静かに願う。
様子を見守っていると、控えめなノックの音がした。
「…ニルダだけど、入って良い?」
「良いよ。リョウが寝てるから、静かにね」
音も無くドアが開き、ニルダがそっと入って来る。
「オーレリア様には伝えて来たわ。ダンスの先生にも伝えてくれるって」
「ありがとう」
「オーレリア様も、リョウの顔色が悪いの、気にしてたみたい。『もう基本は終わってるから、体調の回復を最優先に』って」
「…気付いてたのか…」
「オーレリア様、旦那様を病気で亡くしてるでしょ? だから、他人の体調には敏感なんだと思う」
オーレリアは子爵家の一人娘。オーレリアの夫は男爵家の三男で軍人。
直属の上司だったオーレリアの父親に認められ、オーレリアの家に婿養子に入ったそうだ。
政略的な意味もあったのだろうが、とても仲睦まじい夫婦だったと聞いている。
ところが夫君は体調不良を隠して任務に赴いた先で流行り病に罹り、命を落とした。
任務に出る前、夫の体調が悪いことに気付いていたオーレリアは、止められなかったことを随分長いこと悔いていたそうだ。
──いや、多分今でも後悔しているのだろう。
リョウとアベルがオーレリアの思い出の衣装を着た時の、嬉しそうな、けれどどうしようもなく哀しげな眼を思い出す。
「…ところで、アベル」
ニルダがちらりとアベルの手元を見た。
「…おアツいことで」
「え? ──あ」
リョウの手を握りしめたままだった。
が、指摘されたからと言って離す気にもなれず、
「いいでしょ、別に」
「うわ、開き直った」
「…あのね」
半眼で見詰めると、ニルダは肩を竦めて隣に座る。
その表情が、真面目なものに変わった。
「…リョウは寝不足ってことでいいの?」
「寝不足と、精神的な疲労かな…。何で正気を保ってられるんだって、ドロテアさんも驚いてたよ」
そっか、と呟くニルダの目は、何となく沈んでいる。
「…あのさ、アベル」
「なに?」
「………私、ホントはもっと早く気付けたのかも知れない」
「え?」
「リョウが寝てないって、もしかしたらそうなのかもって、思ってたのに…」
小さな声で呟きながら、ニルダはどんどん俯いて行く。
──4日前、ニルダは真夜中に宿舎の裏で鍛錬しているリョウを見たのだという。
「…明かりも点けないで身体を動かしてたから、何かあったのかと思って声を掛けたんだけど…『何だか寝付けないから』って言うだけで」
明かりを点けないのは、月明かりで十分だから。
軽く身体を動かしたらすぐ部屋に戻る。
そう言うリョウの顔色が妙に青白く見えたが、それも『月明かりのせいだろう』と誤魔化された。
「…多分、明かりを点けてなかったのは、人に見られたくなかったのと、見られても顔色を誤魔化せるからで…寝付けないんじゃなくて、何度も何度も悪夢で叩き起こされた後だったんだろうなって…」
どうして気付かなかったんだろう…と、ニルダの声は後悔に満ちていた。
アベルはリョウの手を握ったまま、言葉に迷う。
こういう時、何を言ったら良いのか分からない。
迷って迷って、出て来たのはニルダと同じ、後悔の言葉だった。
「…気付かなかったのは俺も同じだよ。俺なんか、昼間はずっと一緒に居たのにさ」
そうだ。
気付くとしたら、ニルダでもなくモーリスでもなく、自分でなければいけなかった。
一番近くに居て、一番気に掛けていたはずなのに。
動きが悪くなっているのにも気付いていたのに。
予測していたのがドロテアで、最初に気付いたのがモーリスだった。
それが、たまらなく悔しい。
(………悔しい?)
アベルははっと我に返った。
悔しい──自分は確かにそう思った。
だが、何故?
先に進もうとした思考に、咄嗟にブレーキを掛ける。
今はそんな事をしている場合ではない。
リョウは静かに眠っている。大丈夫そうなら、自室に帰さなければいけない。
「ニルダ、このままリョウが眠っていられるようなら、リョウを自分の部屋に戻さないといけないんだけど、手伝ってくれない?」
小声でニルダにドロテアの指示を説明する。
「…ほら、流石に俺が着替えさせるわけにはいかないでしょ? 服がどこにあるのかも知らないし」
「…そうね。分かったわ」
ニルダが顔を上げた。
「──後悔してたって仕方ないものね。今後で挽回するわ」
「うん、よろしく」
言った途端、ニルダにギッと睨まれる。
「あんたもよ、アベル」
「分かってるよ」
それは勿論だ。
即座に頷いたらニルダに驚いた顔をされたが、どうしてなのかは聞かないことにした。




