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アベル・イグナシオ回想録 ~国境で捕えられた敵国人は、俺の命の恩人でした~  作者: 晩夏ノ空


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22 異変(3)


「モーリス、後は私に任せな」

「はっ。失礼いたします」


 ドロテアに敬礼し、モーリスが部屋を出て行く。


「リョウ、今日と明日の予定は何だい」

「…貴族教育です。アベルと一緒に」

「今日から明日、全部キャンセルだ。ニルダ、手配しな」

「承知しました」


 ドロテアがばっさりと言い放ち、ニルダもキリッとした顔で敬礼する。


 その後、ニルダはリョウに向かって問い掛けた。


「確かダンスもやってたわよね、今」

「そうだけど、休むなんて」


 リョウが呟くと、ドロテアの雷が落ちた。


「馬鹿言うんじゃないよ! まともに働かない頭で何ができるって言うんだい。勉強するだけ時間の無駄だ」

「…はい」


 その剣幕に、ニルダは苦笑しながらそそくさと部屋を出て行く。


 リョウとアベル、そしてドロテアだけになると、ドロテアは深々と溜息をつき、表情を切り替える。


「──さて、診察させてもらおうか。アベル、部屋から出なくていいからあっちで扉に向かって立ってな。誰も入れるんじゃないよ」

「はい」


 モーリスに打たれた部分を診るのだろう。


 アベルが素直にドアに向かって立つと、背後で衣擦れの音がした。


「…意外と大した事はなさそうだね」

「モーリスが咄嗟に加減してくれたんだと思います」

「ああ、あいつならやりそうだ」

「…モーリスとは、親しいのですか?」

「あいつは私の弟子さ。回復術の適性は無かったが、仲間を守るのに応急処置の方法だけでも学びたいと言ってね」


(え、何それ知らない)


 アベルは内心驚く。


 あれだけアベルを目の敵にしているモーリスが、まさかそんな殊勝な事を言って衛生兵の資格を取ったとは。


「出来の悪い弟子だが、それなりに役に立ってるようじゃないか」


 辛口ながらも、ドロテアはどこか嬉しそうだ。


「──軽い打ち身だけだね。このくらいなら回復術も要らない。2、3日で良くなるだろう」

「ありがとうございます」

「アベル、もういい。こっちに来な」

「はい」


 呼ばれて戻ると、ドロテアはじっとベッドに横たわるリョウを見ていた。


「…で、予想通り寝てないみたいじゃないか。今日で何日目だい」

「え…と」

「10日目です」


 リョウが言い淀んだのでアベルが答える。非難の目で見られたが、それくらいでは動じない。


 先程モーリスやニルダにも言っていたのだ。ここで隠すのはもはや無意味である。


 ドロテアが深々と溜息をついた。


「…それでよく正気を保っていられるね。具体的にはどういう感じだい? 寝られないのか、眠りが浅いのか」

「……眠ろうとすると、良くない夢を見て、すぐに起きてしまう感じです」

「一番タチが悪いね」


 ドロテアの眉間にシワが寄る。


「丁度いい。今ここで検証しようじゃないか」

「え…」


 言うなり、ドロテアがリョウの目を覆うように手を翳した。


 数秒もしないうちに、すう…と寝息が聞こえ始める。


「…魔法ですか?」

「いいや。魔法とすら呼べない、簡単な暗示みたいなものさ。この程度じゃ普通は寝ない…普通はね」


 眠るリョウの顔色は悪かった。よく見ると、目の下にクマができている。



 そして、異変はものの数分で訪れた。



「…う…」



 リョウの寝顔が苦悶に歪む。

 ひゅ、とおかしな音がした。額に脂汗が浮き、顔色がもう一段、白くなる。


 ──息が出来ていない。



「リョ──」



「──っ!!」



 アベルが名を呼ぶより早く、リョウは真っ青な顔で飛び起きた。

 上体を起こした直後、ぐらあ、と大きく頭が揺れる。


「……あ…」

「リョウ!」


 咄嗟に肩を抱いて引き寄せると、リョウの身体は驚くほど冷たくなっていた。


 俯いた顔は、蝋のように真っ白になっている。全身強張っているのに、力が入っていない。


 ドロテアが顔を顰めた。


「…予想以上だね。一体どんな夢を見てるんだい」

「…」


 リョウは答えない。


 ならばとアベルが『月の眼』を使おうとすると、リョウは目を閉じて首を横に振った。


「やめて。…人に見せられるようなものじゃない」


 『月の眼』は、相手と目を合わせなければ使えない。リョウに説明した覚えはないが、分かっているかのように拒否される。


 アベルが固まっていると、リョウは目を閉じたまま溜息と共に囁いた。



「──仲間を殺す夢を見ます」



「!」



「何度も、何度も…何人も」



 それは、凍牙とアオイと宝生なのか、それともアベルたちのことなのか。

 聞くに聞けず、アベルは言葉を失う。


 ドロテアが真剣な目でリョウを見詰める。


「それは、昔の出来事かい? あんたの妄想かい? それとも、これから起こり得ることかい?」

「それは…」

「未来の可能性だってんなら、今から思い悩むのはやめときな。起こってもいないことに神経をすり減らすんじゃないよ」


 ドロテアはそう言うが、言われて何とかなるならリョウもここまで憔悴しないだろう。


 仕方ないね、とドロテアは鞄を漁った。


「今日は今からこれを飲みな」

「…薬?」

「とびきり強力な睡眠薬さ。効果はざっと12時間。依存性があるから、乱用は出来ないがね」


 軍で処方される中では一番強い睡眠薬だ。

 飲んだことのある先輩曰く、『睡眠というより気絶。夢も見ない』らしい。


「常用出来るのは…これだね。明日以降は寝る前にこれを飲みな。6時間は寝られるはずさ。一応10日分出しておくよ」


 鞄の中から次々と薬が出て来る。


 ドロテアは回復術師であり、軍医でもある。様々な薬を処方出来るのはドロテアだからこそだ。


「今後薬を飲んでも同じ状態が続くようなら、すぐ私を呼びな。効きやすさには個人差があるからね。効きが悪いからって、勝手に量を増やすんじゃないよ」


 ドロテアがジロリとリョウを睨んだ。

 確かに、リョウならそういう無茶もやりそうな気がする。


 リョウは小さくなって頷いた。


「…分かりました」


 ドロテアはふんと鼻を鳴らし、アベルに視線を移す。


「アベル、お前はこのままリョウの様子を見てな。寝入った後うなされていないようなら自室に戻して構わないが、そのまま見守るか、定期的に様子を見に行け。異常があったらすぐ私を呼びな」

「承知しました」


 アベルが頷くと、リョウは慌てた様子で声を上げた。


「自分で帰ってから薬を飲みます」

「ダメだ。これは私の前で飲むのが前提の薬でね。強力過ぎて素人に持たせられないんだよ。…大体お前、ここから歩いて帰れないだろ」

「…」


 訓練中に気絶したのだ。

 しかも、先程ドロテアに眠らされたことで、リョウはさらに消耗していた。


 回復するはずの睡眠で精神を削られる。リョウ自身は自覚がないようだが。


「リョウ、諦めて。今はとにかく早く寝たほうが良い。眠れたらちゃんと部屋に連れて行くから」


 基本、女性の居住区画には男性は入れないのだが、何事にも例外はある。

 特にアベルはリョウの恋人ということになっているので、薬で眠ったリョウを送り届けたとしても咎められることはない。


 アベルがそう説明すると、リョウは諦めたように頷き、ドロテアからドス黒い丸薬を受け取った。




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