19 貴族教育(5)
「…貴族のマナーとかはよく分からないけど…今の服の方が柔らかい雰囲気だと思う」
「リョウ的にはこっちの方が好き?」
「好きというか、安心感がある…かな」
なるほど、リョウは黒より濃灰の方が良いと。
それでほぼ決まったようなものだが、ニルダはアベルをせっついてリョウの隣に並ばせた。
「アベル、左腕を腰に。女性をエスコートする時の姿勢よ。ほら、背筋伸ばす! 視線は前! リョウはもうちょっと近付いて、アベルの左腕に右手を添えて──そうそう、そういう感じ」
リョウへの指示と細かさと勢いが違い過ぎやしないか。
指示通りに動きながら内心で呟く。
この姿勢ではリョウが見えない──不満に思っていると、こちらを見ていたニルダとオーレリアが視線を交わし、大きく頷いた。
「…これで決まり、ですね」
「ええ。十分でしょう」
左腕に掛かる重さが少し増した。
見遣ると、リョウが深々と安堵の溜息をついている。
(…まあ疲れるよね…)
「せっかくですから、宝飾品は私の手持ちを貸しましょう。丁度良い色のものがありますから」
「ありがとうございます、オーレリア様! 後で当日の髪型とメイクについて相談させてください」
「ええ、もちろんです」
ニルダとオーレリアはひたすら楽しそうだ。
オーレリアが『では、また午後に』と出て行き、ようやく終わったかと思いきや、ニルダが腕まくりしてピンの束を手に取った。
「じゃあ、サイズの微調整をしていくわよ」
「え、終わりじゃないの?」
「まさか。他の人のために作られた衣装なんだから、サイズが全然違うじゃないの。限界まで体格に合わせて、実際の補正はプロの針子に頼むわ。時間が無いから、あんたはそれ着たまま待ってて。あ、座っちゃダメだからね。シワになるから」
「どういう理不尽…」
ぼやくアベルをよそに、ニルダがリョウを引っ張って試着室に入る。
カーテンが閉まる直前、リョウが助けを求めるようにこちらを見ていた。
──結局、リョウとアベル、2人の衣装の補正サイズが決まる頃には、昼食の時間を過ぎていた。
午後からはまたオーレリアによる貴族教育だ。
遅れるわけにはいかないので、ニルダを含めた3人で最寄りの食堂へ向かう。
軍関係者が使える食堂は、全部で3つ。
一つは本部に付属の大食堂。高級志向の内装で、価格帯も一番高い。
本部は基本、幹部クラスが常駐する場所なので、それに見合ったメニューになっている。
もう一つは、後方支援部隊や事務方が勤務する棟に近い場所にある小さな食堂。
こちらは女性向けの少量で可愛らしいメニューが多く、昼食から夕食まで通し営業している。
午後の時間帯はケーキとドリンクのセットや軽食を売っていて、軍部だけでなく文官の利用者も多い。
最後の一つが、特殊部隊の棟に一番近い食堂だ。
質実剛健、味より量──全てのメニューがとにかく大盛りで、がっつり食べたい時は重宝するが、うっかりすると胸やけを起こす。
アベルは大抵、この大盛りメニューのある食堂を利用している。味にそれほどこだわりは無いし、何より安い。そして女性の利用者が少ないので、余計なトラブルを避けられる。
ニルダに『今後私とリョウの分、10日間お昼奢りね!』などと言われているので、今回はアベルが昼食代を支払う。
「だから遠慮なく選んでいいわよ、リョウ」
「ニルダ、それ俺の台詞」
教育の一環としてオーレリアと共にお貴族様っぽい昼食を摂っていたので、食堂の利用は初めてだ。
なおオーレリアとの食事はテーブルマナーを学びながらだったので、正直味はよく分からなかった。
一度学んだはずなのに指摘が多く、地味に凹んだ。
「…」
リョウは食堂を見渡して、少し驚いた顔をしている。
この食堂は3つの中で一番古く、一番広い。利用者も断トツで多かったはずだ。
軍関係者は男性が多いので、量が多いこの食堂が好まれるのは当然とも言える。
「メニューは日替わりよ。肉系か魚系か野菜系の三択ね。ちなみに、どれを選んでも量は多いから覚悟しといたほうがいいわ」
説明するニルダの背後を、他部隊の隊員たちが通り過ぎて行く。ちらちらとニルダとリョウとアベルを見比べていた。
ここに来る女性は珍しいので仕方ないが、少々落ち着かない。
「まあ実際やってみた方が早いわね。行きましょ」
ニルダがトレイを持って列に並ぶ。リョウの後にアベルも続いた。
列は長いが、メニューがそれほど多くないので流れるのも早い。すぐにニルダの番になった。
「肉、小盛りで」
「はいよ!」
シンプルな声掛けで、ニルダの前に大皿に乗った鶏もも肉のハーブ焼きが出て来る。
付け合わせは酸っぱいキャベツのサラダが山盛り。さらにその横に、小鉢に入った唐揚げと大ぶりの堅焼きパンが1個。
今日は肉に肉を重ねる仕様か。肩を竦めて皿をトレイに移すニルダを見て、リョウが固まっている。
小盛りと言ってこの量である。なお通常量だと鶏もも肉が一回り以上大きくなり、パンが2個に増える。
厨房側に立つ中年の女性がリョウを見た。リョウは少しだけ迷いつつも口を開く。
「野菜、小盛りで」
「あいよ!」
出て来たのは、深めの大皿に山盛りになったポトフ。
キャベツや玉ねぎなどの野菜とベーコン、ウインナーなどをコンソメで煮た料理だが、この食堂のは具材がやたら大きい。ベーコンすら『厚切り』ではなく『塊』というレベルのサイズだ。
そして、小鉢の唐揚げと堅焼きパンが1つ。リョウが戸惑いながら全てトレイに載せる。
その後アベルが魚系メニューを注文したら、白身魚とエビのフライ盛り合わせが出て来た。
小鉢は当然鶏の唐揚げ、普通盛りにしたのでパンは2つ。流石のボリュームだ。
全員分の代金をアベルか支払い、端の方のテーブルにつく。
いつもなら席を確保するのも一苦労なのだが、今日は昼食時間が少しずれ込んだのもあってそれなりに空いている。
(これくらいの時間の方が楽で良いかも…)
いつものように昼になってすぐ来ると、他の部隊とかち合って大変な混雑に巻き込まれる。ゆっくり食事をしたいなら、今くらいの時間が良いのかもしれない。
そんなことを考えながら、フォークを手に取る。
フライの衣はサクサク、中はフワッとした食感。味付けは薄い塩味だけなので、テーブルに備え付けの陶器に入っている濃い茶色のソースを好きに付けて食べる。
この甘じょっぱい『ソース』は昔、公国の隣の王国で開発されたそうだ。
帝国に併合され、今は存在しない王国。
食文化が豊かで、今は世界中に広まっている『マヨネーズ』や『トマトソース』なども王国が発祥だという。
ちなみに、マヨネーズに関しては各国で材料がばらばらで、元祖の王国では『鶏卵と穀物酢と菜種油』だったのに対し、公国では『鶏卵と白ワインビネガーと紅花油』が主流である。
──閑話休題。
そのマヨネーズは、現在、残念ながらテーブルの上には無い。
以前、魚のフライが見えなくなるくらいマヨネーズをかけた馬鹿者が居て、テーブルの上からは撤去されてしまった。
本来マヨネーズは保冷が必要で、衛生面でもあまりよろしくないから撤去した、ともっともらしい理屈を並べられたが、あれは絶対に使い過ぎが原因だと思う。
考えていたらマヨネーズをかけたくなってきた。
厨房に頼めば出してくれるので、お願いして来ようか…と考えながらニルダとリョウに視線を向ける。
「リョウ、良かったらポトフ少しちょうだい。鶏肉あげるから」
「分かった」
目の前を、ポトフが入った小鉢と鶏肉が入った小鉢が通過する。
ニルダがこちらの視線に気付いた。
「なによアベル、あんたもやる? おかず交換」
「是非」
「はいはい」
臆面もなく頷いたら、ニルダが慣れた手つきで鶏肉をくれた。こちらからも魚のフライを渡す。
「リョウは魚とエビ、どっちが良い?」
果たしてリョウは応じてくれるだろうか。
あくまで平静を装い、内心緊張しながら問い掛けると、エビが良い、とあっさりとした返事があった。
「じゃあ、はい」
「ありがと」
「ちょっとアベル、リョウには好みを聞いて私には聞かないってどういうことよ」
「エビフライ、2本しかないし。ニルダにあげられる分は最初から無いかな」
「差別だわー!」
「当たり前でしょ」
即座に応じて、リョウから小鉢に移したポトフを受け取る。
リョウもニルダの行動に慣れてきたのか、平然としたものだ。
…しかし、孤児院時代からの幼馴染たちとはよくやっているが、これはよく考えたら間接キスなのではないか──そこまで考えて、必死に邪心を振り払う。
(リョウ──いや、レイナも幼馴染だし、恋人だから。ニルダとは交換してレイナと交換しないとか、逆におかしいから)
そんな風に必死で自分に言い聞かせていたアベルは、耳が赤くなっているアベルを見て、ニルダがとても悪い笑みを浮かべていたのに気付かなかった。




