「すいみん学習」
夢だからこそ幸せな瞬間もあるよね!
「んー……」
時刻は夜10時。風呂上がりのメイコが階段前でウロウロとしていた。
「どうした、メイコ?」
「にゃあっ!? い、いきなり声かけないでよ!」
「え、だってずっとウロウロしてて気になったから……」
「ううぅ……!」
メイコは耳を立てて唇を震わせる。タカシはそんなメイコを見てニコッと笑う。
「やっぱ気になるのか? アイツが」
「べ、別に!? 今日もいつもより気持ち悪いだけの唯の兄貴だったし!」
「じゃあどうしたんだよ?」
「お父さんには関係ないでしょ!」
そう言って顔を真赤にしながらメイコはドタドタと階段を駆け上がっていく。
「うーん、思い出すなぁ。若い頃の嫁さんがあんな感じだった」
タカシは素直になれない娘の姿に亡き妻の姿を重ね、若き日の思い出に浸りながら居間へと戻った。
「……」
階段を上がったメイコは静かにコバヤシの部屋のドアを開く。既にコバヤシは就寝しており、ぐおおお……と大きなイビキを立てている。
「……何でぐっすり寝てんのよ! クソ兄貴!」
バタンッ!
彼女は勢いよくドアを閉め、向かい側にある自室のベッドに飛び込んだ。
「いつになったら話せるのよ……もう! バカ兄貴っ!!」
枕に顔を埋めてメイコはバタバタと足を動かす。今日もコバヤシに言いたい事を伝えられないまま終わり、悶々としながら彼女は眠りに就いた……
「ぐぬぅううう……っ」
一方、コバヤシはまるで嫌いな勉強を無理矢理強要されているかのような顔で呻く。メイコにはぐっすり眠っているように見えていたが、彼は夢の中で壮絶な責め苦を味わっていたのだ。
◇◇◇◇
「……もう無理、許して……」
こんばんは、僕です。皆さん、如何な時間をお過ごしでしょうか。きっとフリスさんや明衣子は今頃すやすやと幸せなお眠りに就いているでしょう!
『まだ再学習を開始して100分も経過していません』
「やだぁぁぁ……もう寝かせてぇぇ……!」
『条件を達成すれば自動的に深睡眠モードへと移行します。条件を達成してください』
俺は例の精神と時の部屋っぽい空間でアミダ様にお勉強を強いられています!!
どうしてこんな酷いことするの!? 夢の中くらい俺に平穏を与えてくれよ! せめて夜寝る時は現実を忘れさせてくれよぉ!!
『現在の貴方の知識欠如は非常に深刻なものです。世界、技術、人種、生物……その他多くの基礎知識に致命的な齟齬が発生しています』
「いいじゃん別に……! そんなの知らなくても生きていけるよ!!」
『なので必要最低ラインまでこの〈メモリミテート・ルーム〉を使用して再学習を行います。頑張ってください』
「もう僕、頑張れない!!」
『頑張ってください。では〈記憶教本メティスA〉の8ページを開いて』
眼鏡をかけたアミダ様は何処からか取り出した教鞭を振るって白い空間に浮かんだ黒板をペンペンと叩く。
「うううっ、これで俺が精神を病んだら日本はオシマイだぞ! わかってるのかぁ!?」
『安心してください。条件を達成すれば貴方は深睡眠モードに移行して精神状態は平常までリセットされます。此処でどれだけ精神的苦痛を感じ、心的外傷を負っても再学習で得た知識はそのままに精神は回復します』
「それもう完全に拷問だよ! どうして涼しい顔してそんな酷いこと出来るんだよ! 鬼! 般若! おっぱい!!」
『8ページを開いてください』
「くぅううううー! 終わったら絶対にそのおっぱい揉んでやるからなぁぁー!!」
『ご自由に』
俺は泣きながら本のページを捲る。渡された分厚い教科書に記されているのはどれもこれも知らない知識ばかり。俺はこれからこの全てを学ばなきゃならんのか……!!
『全てではありません。必要最低ラインの知識で十分です』
「うるせぇぇぇ、心を読むなぁぁー! えぇーとぉ! 魔法の基本たる魔素は世界中に存在する有り触れた物質でぇ! 日本では霊気、または妖気と呼ばれていましたぁ! 日本に伝わる霊術と妖術は魔法と全く同質のものでありぃ! 言語体系と宗教文化の違いからこの国独自の発展を遂げていましたがぁー!!」
『声に出して読む必要はありません』
「しかし、開国以降、西洋の技術文化が日本で浸透していく内に霊術、妖術の体系も西洋的なものに変化しぃー! 1900年代後半に差し掛かると魔法という呼び名が日本でも定着しましたぁ! その一方で霊術師、妖術師は現在でも少なからず存在しており、西洋とは大きく異なる日本独自の魔法技術を後世に残していこうという運動がぁー!!」
嫌がらせを兼ねて俺は声を大にして文字を読む!
アミダ様は無表情で腕を組んで観察。そんな彼女の態度がムカついて俺は更にムキになって教科書を読み進めた……
『では、質問です。霊子とは?』
「魔素よりも小さなこの世界のあらゆる物を構築する原初物質。魔素よりも普遍的に存在するが、魔素と異なって霊子の段階でエネルギー転換する技術は殆ど確立されていない」
『終末対抗兵器とは?』
「国毎に一体ずつ保有する人間兵器。正式名称は終末対抗決戦兵器 OVER PEACE。国に訪れる〈終末〉を排除し、国民を守るのが使命」
『貴方の敵である終末とは?』
「別世界から現れる世界の敵。その正体は現在に至るまで不明。顕現態と侵略態の二つの異なる姿を持つ。肉体を構成する大部分がこの世界よりも遥かに密度の高い濃縮霊子で、魔素よりも小さな霊子に干渉する手段を持たない人類の武器では倒せない」
『最後の質問です。貴方が人類には倒せないはずの〈終末〉を倒せる理由とは?』
「終末対抗兵器には〈終末〉を構築する濃縮霊子に干渉し、その肉体を破壊できる能力が備わっている。その能力の由来と発現条件は不明。少なくとも現時点の技術ではほぼ再現不可能。その再現不可能な技術を何故終末対抗兵器が備えているのかも不明」
『本日の条件を達成しました。お疲れ様です』
……あれからどれだけ経ったかはわからないが、俺はアミダ様の言う最低ラインに到達していた。
『これで貴方の知識は日常生活にはそこまで支障を来さない最低ラインにまで達しました。目覚ましい成長です』
あんまりにも俺の世界とかけ離れていたのもあってか、最初の数時間以降はこの世界の知識がスラスラと頭に入ってきた。途中からは結構楽しんで勉強してたね。まさか勉強嫌いの俺がここまで熱心に勉強出来るとは。
流石は小林君だ。沙都子先生に『貴方はやれば出来る子』と言われ続けてきただけあるな。ふふふ、ははは。
「……よし、じゃあアミダ様」
『はい』
「 乳 を 揉 ま せ ろ 」
だが、此処まで頑張った理由はアミダ様のおっぱいが揉みたいからです!!
ええもう! 俺が死ぬ思いで勉強している傍ら、無表情に堂々と ぽよん と見せつけてくるんですよ! そんで集中を切らした俺が『揉むぞ!』と言えば『条件を達成すればご自由に』と返すんですよ! ええもう! 何度も何度もですよ!!
そこまで言われたら意地でも学んで揉んでやるのが男ってものでしょう!?
『では、ご自由に』
アミダ様はたわわに実った胸をどうぞと差し出す。血反吐吐きながら知識を叩き込んだこの数十時間……全てはこの瞬間の為に!
「ぬおおおー!」
『……』
だが、アミダ様の胸に揉もうと突き出した俺の腕が止まる!
(……いや、待てよ。揉むと言ってもアミダ様の胸だぞ?)
目的達成間際にして唐突に浮かんだ真っ当な疑問。このツンドラAIの乳に揉むだけの価値があるのだろうか?
(いや、構うか! 例え中身がアレでもおっぱいはおっぱいだ! 柔らかいし温かいおっぱいだぞ!!)
そもそもここは殆ど夢の中。目の前のアミダ様は現実じゃないし、ここでおっぱいを揉んでも目覚めればおっぱいの感触も忘れてしまう。
(……あれ? そもそもおっぱいならフリスさんに泣きながら土下座したら触らせてもらえるんじゃね?)
ついにその結論に達してしまった俺を凄まじい脱力感と虚無感が襲った。
「……」
『?』
「いや、いいや……何かもう……寝るわ」
『良いのですか?』
「だって……揉むと言ってもアミダ様の胸だし」
俺はそう言って悲しい背中を向ける。
なんて虚しいんだ。思えばこれが終われば、これが終われば……と無我夢中で学んでいた時間の方が遥かに充実していた。ああ、これが燃え尽き症候群というものか。
『……』
「そんじゃ、また明日な……」
『待ってください』
「……ん?」
「こっちを向いて、タクロー」
ふと聞こえてきたのは彼女の声。本能的にバッと振り向いた俺の目の前には……
「今日はお疲れ様でした。さぁ、いらっしゃい」
優しい笑顔で俺に手を差し伸べる白ビキニ姿のフリスさんが立っていた。
「……ホワァァァァァァーッ!!」
「よく頑張りましたね。やっぱりタクローは凄いです!」
「マイエンジェェェェェール!!」
神々しい白ビキニの天使の姿を見た瞬間、大事なナンカが吹っ飛んだ俺は泣きながら彼女に飛びついた……
ヂュアン、ヂュアン、ヂュアン……
そして気がつけばもう朝になっていた。
「……」
窓から差し込む温かな朝日、小鳥っぽい何かの囀り、下からトントン聞こえてくる包丁の音。
【……起床確認】
【……体調チェック】
診断結果:『A』……『良好』
視界に映る『良好』の文字が寝起きの心臓を痛めつける。
「……」
『おはようございます』
「……」
『満足しましたか?』
「……のぉおおおおおおおおお────っ!!」
優しく耳に入ってくるアミダ様の声が、俺の精神にトドメを刺した。
「すいみん学習」-終-
\(A)Frith/ \KOBAYASHI/≡:・*・。




