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第11話 ドレスハプニング!

 

 素早くリビエラさんの服に両手を合わせて冥福を祈ると、俺は剣を捨てて部屋から出た。このままでは、猛毒をまき散らしてしまう。早くあの熊公の血を洗い流さなければならない。


 教えられていたトイレの場所へ急いだ。幸いトイレには、簡易的に水浴びできる設備があった。さすがは貴族の使うトイレだ。充実度が違うぜ。どうせ血税で造られているんだろうけどね。


 この大騒動のおかげで今なら誰もいない。落ち着いて血を吹きとり、すべて洗い流すことができた。だがこの服はもうダメだろうな。一応服についた血も洗い流し、ゴミ箱に放り込んでおいた。ここで現実的な問題に直面した。


 服がない……。


 当たり前だが全裸で戻る訳にはいかない。そこで思いついたのがカーテンだ。嬉しいことにこの浴場に付いてるカーテンは、貴族用の物だけあって、なかなかに立派な布だ。装飾のフリルまで付いている。しかも都合の良い事に、布の色が蒼いのだ。もちろん蒼は蒼でも、色合いは元のドレスと少し違う。だが違和感はない。そう信じることにする。


 力ずくでカーテンを剥ぎ取り、適当に体に巻き付けてみた。両肩を出したスタイルのドレスだと思えば、当座は凌げるかもしれない。しかし、当然ながらノーパンである。俺はいつから変態さんになってしまったのだろうか。下半身がやたらスースーするが、贅沢を言っている暇はない。この場を切り抜けることだけを考えよう。一刻も早く城から出たい。


 素早くトイレを出ると、騒動はまだ収まっていなかった。兵士やメイド、役人達がひっきりなしに走り回っている。


 まずいな。巨大熊の血に触れたら、また犠牲者が出てしまう。俺としては知ったこっちゃないが、死人が出るのはさすがに気が引ける。仕方なくあの部屋まで戻ってみた。ドアの前に人だかりができていた。だが予想に反して混乱もなく、静かだった。


 白衣を着た男が、大声で説明をしていた。


「あのモンスター、えー、デスベアは騎士達の尊い犠牲により討伐することができました。ですが、デスベアの血は、世界に類を見ない特殊な猛毒です。解毒剤はありません。触れればどのような生き物も死に至ります。よってこの部屋は暫く立入禁止とします」


 ザワザワと野次馬達がどよめき立っていた。城の研究者は、あの熊の血が猛毒であることを突き止めていたのか。それなら迂闊に部屋に踏み込んだりしないだろう。一安心だ。


 さてと、すっかり遅くなってしまったが、ビスマイトさんのところへ戻らなければ。


 拝謁の間に戻ると、そこには騎士達が集結していた。おそらく国王を護るためだったのだろう。だがあの悪魔のモンスター、デスベアは俺がぶった斬ってしまった。もう安全であることは、現場を見て分かっただろう。


「カミラ! どこまで行っていたのだ!」


 ビスマイトさんが心配そうな顔をしていた。


「ごめんなさい。方向音痴なもので、帰る途中で迷ってしまいました」

「何事もなければよい。もうモンスター退治は終わったらしいから、帰るとしよう」


 その時、集まっていた騎士達の方から声が上がった。


「その娘だ! 隻腕の娘!」

「確かにその片腕の娘だ」

「黒髪に白い肌、蒼いドレス……。間違いないわ!」


 数名の騎士が俺の方を見て、指差していた。


 まずい……。あの部屋に居た騎士がここにいるのか。戦ったところは見られていないものの、根掘り葉掘り聞かれる事になるだろう。下手をすれば尋問される。ビスマイトさんにも迷惑がかかってしまう。どうしてこう、次から次へと災難ばかり降りかかるんだよ。


「我が娘が何か粗相(そそう)を致しましたでしょうか?」


 ビスマイトさんが怪訝な顔で尋ねた。


「いや……。その方の娘であったのか。その娘、あの悪魔を引きつけ、我らに援軍を呼びに行かせた張本人なのだ。応援部隊を連れて死地に戻ると、その娘は消えていた。そして袈裟斬りにされたデスベアの死体だけが残されていたのだ」


「御冗談を。我が娘は隻腕の上、ご覧の通りまだほんの子供でございます」

「だが確かにその娘だ。おい娘! 尋問させてもらうぞ。リビエラも行方不明だしな」

「カミラ、本当なのか? お前は何かしたのか?」

「あっ、いっ、いえ……その」


 もう完全に手詰まりだ。言い逃れようもない。仕方ない、大人しく尋問されるか。黙秘権を行使したら、拷問とかされちゃうんだろうな。人権なしの世界だからね。


 暴れて逃げることもできそうだが、ビスマイトさんに迷惑がかかってしまう。彼に面倒を掛けるくらいなら、素直に尋問でも拷問でもしてもらった方が気が楽だ。ビスマイトさんに恩を仇では返せない。四面楚歌とは、今の俺のためにある四字熟語だよ。


 だが、ヒーローというヤツは本当に居るらしい。騎士達に右腕を抱えられ、尋問のために連れ出されようとしたまさにその時、ディラックさんが現れた。あの死体の山の中には、入っていなかったようだ。よかった。


「お前たち、その女性を放しなさい。レディに対して無礼は許さんぞ」

「ふ、副団長! 今までどこに?」

「今日は3年ぶりに取れた非番の日だ。家で休息をしていた。緊急事態だと聞いて駆けつけた。今到着したのだ」

「話はお聞きになられていますか?」

「大体は。だがどうしてお前たちが、カミラ殿を捕縛しているのかは、理解に苦しむ。彼女は私の ――― 近しい者だぞ」

「そ、それは大変失礼致しました! ですがこの娘は……」

「わかった。それでは私が預かることにする。それで文句はあるまい。お前たちは下がって後処理に徹しなさい」

「はっ!」


 軍隊らしい良い返事だね。上下関係は絶対だ。まぁ、会社も部下は上司に絶対服従だけどね。


「おお、ディラックか。大変な事になっておる。騎士団長と近衛師団長はデスベアにやられてしまった。臨時ではあるが、ひとまずお前が騎士団長と近衛師団長の両方を務めい」


 王がディラックさんの顔を見て、間髪容れず命令した。さすが覚えめでたい副騎士団長様だ。相当に腕が立つのだろうな。まぁ、あの豪快なシャルルさんから信頼されている仲間だ。性格もそうだが、きっと戦績の方も相当良いのだろう。……幼女趣味だけどな。


「かしこまりました。それでは私の権限にて速やかに処理いたします」

「うむ、頼むぞ」


 そう言って国王陛下は、側近と共にさっさと自分の居室へ戻ってしまった。騎士が数百人単位で死んでいると思うけど……。騎士は国のために死ぬのが仕事とはいえ、ちょっと冷たいよな。


 王家は政治には不介入、ただのシンボルというビスマイトさんの話を思い出した。表面的な任命権こそあれ、本来軍隊は国王の命令だけでは動けないのだろう。国王が軍隊を掌握していたら、そもそも議会制が成り立たないからね。


「ビスマイト殿、申しわけないがカミラ殿を少しお借りしたい。近日中にお返しするのは、難しいかもしれませんがご心配には及びません。後日、護衛付きで屋敷までお送りします」


「……わかりました。ディラック様にお任せします。カミラ、ご迷惑を掛けるのではないぞ」


 近日中は難しい……だと? 宿泊込なのかよ。泊りがけで尋問ということか。悪い予感しかしないよ。もう城に泊まれるというラッキーイベントと思って割切るしかないな。だけどね、このシチュエーションは絶対的に不利だ。どんな条件を提示されても飲むしかない。


「お父様……」

「そう不安な顔をするでない。大丈夫だ、ディラック様は立派な方だ。お前を粗末に扱ったりはしないだろう」


 そういう意味じゃなくて、心配なのは俺の貞操の方だ。女の子の初めてが危機かもしれない。貴族なんて権力を振りかざして、何をするかわかったもんじゃない。


 ビスマイトさんは俺の不安を他所に、深々と頭を下げて帰ってしまった。


「カミラ殿、ご不便をおかけしますが、我が屋敷の方までおいでくださいませんか」


 ウッ! いきなりかよ。城で尋問するんじゃないのかよ。俺の立場は圧倒的弱者だ。何を言われても素直に従うしかない。


「はい、もちろんです」

「ありがとう、よかった。私は城内の様子を調べつつ、後処理の采配をして参ります。カミラ殿は我が家の執事がお送りします。先に屋敷にてお待ちください」

「お心遣い感謝いたします」


 俺は深々とお辞儀をした。もう徹底的に低姿勢で行くしかない。なんとか誤魔化せればいいのだが、しっかりした目撃者が多数いるのだ。言い訳は厳しいだろうな。


「我が家は気さくなところです。どうぞ自分の家だと思って(くつろ)いでいてください。気遣いは不要ですよ、カミラ殿」


 考えてみれば、ディラックさんは一人暮らしなのか、それとも両親や兄弟と一緒に住んでいるのか聞いてなかったな。まぁ、行けばわかるか。


 彼の無口な執事と一緒に馬車に乗り、城外の貴族の屋敷街へ向かった。屋敷街は城と同じ高台にある。王家の敷地外だが、単に城壁で区切られているだけだ。正門である南門ではなく、西側の城門を抜けると貴族の屋敷が建ち並んでいる。


 メンデルの市街とは空気がまるで違う。やっぱりファンタジーといえば、レンガ造りの装飾豊かな洋館だもんな。これはなかなかの良い雰囲気だ。ちょっとテンション上がった。プラスポイントだぜ、ディラックさん。


 城門を抜けただけで着くのに馬車を使う。一体どんなに贅沢なんだと思ったが、その理由がわかった。遠い……。とにかく遠い。直線距離でも数キロメートルはある。道をグルリと回ると、5~6キロメートルはあるかもしれない。メンデル城の高台は、貴族だけで構成されるひとつの街となっているようだ。


 馬車に乗るのも初めての経験だが、ハッキリ言って乗り心地が悪い。お尻が痛すぎる。日本の自動車やバスがいかに快適な乗り物であるか、よくわかった。やはり、日本のモノ作りとおもてなしの心は偉大だ。


 ディラックさんの家は想像以上に立派だった。考えてみれば、彼は副騎士団長という役付きだ。お給金もかなりのものだろう。となれば、マイホームがそれに見合ったものになるのは当然だろうな。一応貴族だしね。


 門の両側にはライオンの像が建っている。正面の門から玄関まで100メートルはありそうだ。庭も広大だ。ここでサッカーの試合ができるんじゃないか。もう夕方だが、庭師たちが手入れに追われているのが見えた。金持ちはやっぱり違う。支配階級、半端ないね。


 俺は1階の客間に通され、コーヒーと菓子をサーブされた。菓子と言っても街で出て来るような簡素なものではない。専門の菓子職人が作り込んだであろう高級洋菓子だ。見た目はモンブランケーキだな。それをもっと豪華に飾り立てた風だ。上に乗っている精巧な飴細工が、技術力の高さを主張している。こんな精巧な物は、銀座の高級洋菓子店でも見たことないぞ。金持ち貴族はすべてにおいて次元が違う。


「あの、執事さん……」

「何でございましょう?」

「こちらのお屋敷には、ディラック様以外にご家族は同居されていらっしゃらないのでしょうか?」

「ここは古くよりヴルド家のお屋敷にございます。ご両親が同居されております。兄に当たるお2人も一緒にお住まいですが、今は国外留学しております」


 なんと、兄貴2人は頭脳派だったのか。将来は国政に関わるんだろうな。いろいろと勉強せにゃいかんのだろうね。あとは経験を積むために留学か。大変な世界だ。


 両親が同居していると聞いて少し安心した。きっと下手なことはされないだろう。その両親が差別的な人でない限りね。こういう上流階級の人間には、上から目線の偏屈野郎しかいないというイメージがある。気を緩めない方がいいだろう。


 と警戒レベルを上げたところで、ドアがノックされた。


「はい、どうぞ」


 俺が答えると、そこに立っていたのは、いかにも貴族の夫人といった感じの初老のセレブだった。ヒラヒラの付いたフリルのスカート、羽飾り満載の帽子。街では絶対に見ない格好の夫人である。どことなく、ディラックさんに雰囲気が似ている。


 品があって優しそうな感じはするが、表情に硬さがある。温和そうだが隙が無い。夫人は俺の頭のてっぺんからつま先まで、スキャンするようにジロジロと見回し、ようやく口を開いた。


「あなたがカミラ?」

「は、はい! カミラ=ブラッドールと申します。今度ブラッドール家を継ぐことになりました。ディラック様にはいつも大変お世話になっ……」


 この人、間違いなく俺の話が耳に入っていない。だって両目に少女漫画みたいな星マーク出てるもん。


「やっぱりそうなのね! なんて可愛らしさ……。話に聞いていたよりずっと可愛い。お人形さんみたいね」


 そういうと、俺を思いっきり抱きしめ、全身好きなように撫でまくって来た。突然の事に、されるがままになっていたが、もしかしてこの人はディラックさんの母親だろうか?


 夫人は、見た目に反してまるで貴族らしくないはしゃぎようだった。貴族の夫人というのは、もっとお高くとまっていて、口も利いて貰えないのかと思っていたが、めちゃくちゃ気さくだ。というかこの年齢で

まるで少女のような言動だ。気持ちが若い人だな。


「奥様、その辺になさいませ」


 執事さんの厳しい突っ込みが入った。


「あら、ごめんなさいね。私はメルク。ディラックの母です」

「そうなんですね、お邪魔しております。どこなく雰囲気がディラックさんに似ていますね」

「やっぱりわかるかしら? あの子が男3人兄弟の中で一番私に顔が似てるのよ」


 すごく嬉しそうだな。親は我が子の話題になると、何だかんだで悪い気はしない。これは普遍の真理のようだ。ディラックさんの話をしておけば、まず無難にかわせるだろう。


「ディラックからあなたの話はたくさん聞いているのよ」

「そ、そうなんですか?」

「ええ。あの子が気になる異性の事を話すなんて、今までなかったから」

「は、はぁ……」

「それでどんな子かな、なんて思っていたらまさかこんなに可愛い子だったなんてねぇ。とても落ち着いて居て、年齢に見合わず立派な挨拶をされると聞いていたの。本当にその通りね。カミラちゃんは何歳なのかしら?」


 既に俺の情報はインプット済だったのか。しかも好印象が伝わっていたようだ。以前の営業応対が功を奏した。もしあそこでディラックさんを邪険にしていたら、今頃は城で拷問されていたかもしれない。僥倖だった。”カワイイ”はやはり正義……なのか?


「今、12歳です」


 正直、この体の年齢はわからない。見た目から適当に割り出しただけだ。


「12歳でその落ち着きと気品、カミラちゃんは凄いわね。私の12歳なんて、走り回るだけの何も考えていないただのお転婆だったわよ」


 今でもそのお転婆さんが、そのまま初老になった感じだけどな。さりげなく”ちゃん付け”で呼ばれてるし。


「でも左腕はどうしちゃったのかしら?」

「これは、事故で失ってしまったんです」

「そう、残念だったわね……」


 今でもあの夢を思い出す。自分の骨と肉が千切れる音は、何度聞いても慣れない。死ぬ感覚を何度も味わうなんて拷問以外の何物でもない。


「ごめんなさい、嫌な事を思い出させてしまったようね」

「いえ、もう昔の話ですから」


 貴族なのに身分が低い者への気遣いができるのか。さすが、あの性格イケメンのディラックさんの母親だ。この母に育てられれば、真っ直ぐな良い子になるだろう。


「それにしても、ちょっと変わったファッションね。今、街ではそういうのが流行っているのかしら?」


 さすが女性だ。目の付け所が細かい。俺のカーテンドレスは、直ぐに見抜かれていたようだ。ちなみに、ビスマイトさんは全然気付かなかったけどね。


「実はこれ、お城のカーテンなんです。騒動に巻き込まれた時に、ドレスがボロボロになってしまったので、これで間に合わせていたんです」


 正直に言ってみた。どうもこの人、とぼけているようで勘が鋭そうだ。下手な誤魔化しは、かえって危ない気がしたからだ。


「そうなのね。丁度よかったわ、私の新作を試してみましょう」


 メルクさんが執事に目線をやると、メイドたちに何やら細々と命じていた。


「あの、新作というのは……?」

「服よ。私、こう見えてもファッションには人一倍拘りがあってね。どのオートクチュールも満足できなかったら、結局自分で全部作ることにしてるの」


 ムグッ、さりげなく凄いことを聞いてしまった気がする。オートクチュール……。セレブしか使わない単語だぜ。しかも全部自分で服を造っちゃうのか。タダ者じゃないな。


 ほどなくしてメイドが大きなドレスを3着持ってきた。ドレス、と言ってもとんでもない物ばかりだ。

 

 俺の感覚からいうと、これはもうウエディングドレスだ。こんなの着て歩いただけで、周りが大騒ぎになるよ。ファッションショーのランウェイでしか見られない服ってヤツだ。


「うーん、どうかしらねぇ。これは舞踏会用に誂えたから、今着るにはちょっとアレかしらねぇ。でも……」


 メルクさんは、独り言モードに突入していた。人は夢中になると周りを置いて行くからね。そうは言いながらも、俺は着せ替え人形をさせられていた。この感じ、以前エリーにもやられたよな。


「あーやっぱり駄目ね。このドレスではカミラちゃんの端整な顔立ちに負けちゃうわね」


 そういうと、今度はまた別のドレスが登場した。赤と蒼の色の濃いドレスだ。造りはシンプルだが、どちらも色味が深い。


「うん、やっぱりコレね! カミラちゃんには蒼がよく似合うみたい」


 ほほう、俺の意見と一致したね。この顔は深い蒼色が似合うらしい。


「じゃあ本格的にきっちり着付けするから」


 そう言って、執事やメイドを全員部屋の外へ追い払ってしまった。部屋の中は完全にマンツーマンだ。カーテンドレスを剥ぎ取られ、一気に全裸状態になった。本当にカーテンを巻き付けただけだったからね。


 メルクさんは無言でテキパキと俺にドレスを着せていった。生まれて初めてコルセットなる物を装着させられた。これが噂のくびれを出すための拘束具か。想像していた以上にキツイ。これをして涼しい顔で歩いている女性を本当に尊敬するよ。ドレスって辛くて面倒なものなんだな。


 着付が終わると、メルクさんは満足そうな顔をしていた。


「私ね、本当は娘が欲しかったの。こうして自分の作った服を着付してみたかったのよ」


 そうか、子供3人は全員男だもんな。女性としては1人くらい娘が欲しかったのだろうね。特にこういう気さくな女性は、友達感覚で話せるような娘がいたら、楽しい家庭になりそうだ。


「カミラちゃん、ちょっとスカートの裾を広げる感じで回ってみて」

「は、はぁ、こうですか?」


 ヒラリと裾が広がる感じ。女子って感覚だよ。


「あーやっぱりカワイイ! キュンキュンしちゃう!」


 ダメだ、完全に自分の世界に入っているぞ。趣味を拗らせると大抵周りが見えなくなるものだが、それを今、俺は目の前で体現されている。


◇ ◇ ◇


 暫くメルクさんとコーヒーを飲みながら世間話に興じた。世間話といっても俺が質問して、それにメルクさんが嬉しそうに反応する、の繰り返しだったけどね。


「カミラちゃん、お願いがあるの」

「ハイ、何でしょう、メルクさん」

「そのドレスはプレゼントするわ。だからこれからも遊びに来て欲しいの。本当は毎日来てもらいたいくらいなんだけど、月に1回くらい……。ダメかしら?」

「え、ええ、月に1度くらいなら……」

「よかったぁ!」

「でも宜しいんですか? こんな高価なドレスを頂いちゃって」

「いいのよ。どうせ着る人、居ないんだから。いいえ、私はカミラちゃんに着て欲しいのよ」


 心なしかちょっと寂しげな顔になったな。まぁ、子供たちも忙しくてなかなか会えないんだろう。ましてや、話を合わせてくれる娘も居ない。同じ話題で話ができる相手に餓えているのかもしれない。


 でも貴族には社交界なるものがあって、たくさんのセレブ友達がいるんじゃないのか? 友人イコール人脈みたいな感じがあって、政治色が強そうだけどね。


「ありがとうございます。このドレス、大切にします」

「私ね、貴族の社交界とか付き合いってのが苦手なのよ。アレは駆け引きして人脈を作るためのタダの仕事。心の通じ合う友人を見つけるなんてできないわ。でもカミラちゃんは違う。初めて会ったのにこんなにも楽しくお話ができる」


 そりゃあ俺が鍛えた営業トークの賜物ですよ、奥さん。年寄りの幹部連中を説得するためには、本当に仲良くなってしまうのが一番の近道だからね。


「メルクさん。お言葉、光栄に存じます」

「もう本当にカミラちゃんってば硬いわね。社交界でもそのまま通用する言葉遣いね。それと、メルクさんじゃなくて、”お母さん”って呼んで欲しいの」


 お、おっ、お母……。いきなりかよ! ビスマイトさんよりハードル高いよ。


「わ、わかりました。ではお母様、ありがとうございます」


 俺がお母様と呼ぶと、メルクさんは顔を真っ赤にして喜んでいた。めちゃくちゃ照れ屋さんだな。やっぱりディラックさんと親子だわ。


 ――― ん? 今ちょっと重要な事を思い出したぞ。


 ……あっ! 俺、このドレス着るのにパンツ履いてないぞ! これはメルクさんのミスなのか、それとも貴族は皆そういうスタイルなのか? 着物の場合、下着をつけないのが基本。そういう話を聞いたこともあるしな。


 1人焦っていると、ドアが開いた。ディラックさんが帰って来た。


「カミラ殿、母上と一緒でしたか。それにしても美しいお姿。そのドレスもとてもお似合いですね」

「そうでしょー、だって私の自信作ですもの。こんなにカワイイ子が着たら、誰も文句は言えないわ。社交界に出したら皆騒然とするわよ。カミラちゃん、もう一度立ってくるりと回って見て!」


 メルクさんのご要望はスカートひらりか。好きだなこの人。しかし足元がちょっと覚束ない。靴もピンヒールだからね。こんな高くて細い靴、履いて歩いたら100メートルでふくらはぎが攣ってしまいそうだ。やっぱり女って凄いな。


 そう思っていた矢先、見事に転んでしまった。ヒールに足を取られ、真後ろにひっくり返る格好になった。幸い下は分厚い絨毯だったので、痛くはなかった。やっぱり履き慣れない靴は危険だよ。


 おやっ? ディラックさんの顔が赤いぞ。動きも完全に停止している。メルクさんは目を丸くして手で口を覆っている。


 転んだだけでそんな大げさな……。そう思って自分の下半身を見てみると、スカートが捲りあがってノーパン姿のあられもない格好が見えてしまっていた。うっ、下半身だけ露出とか全裸よりも恥ずかしい。


「きゃあ!」


 俺は条件反射でこういう声が最近出るようになったな。体が女子になったせいで、精神も徐々に女子になっているのか? いや、そうでないと信じたい。


 直ぐに起き上ってスカートを抑えた。その前にディラックさんと俺の間に、メルクさんが割って入って必死に隠してくれた。


「カミラちゃん、ゴメンナサイ、私肝心な所を忘れていたわ」

「い、いえ……」


 やはり貴族でもパンツは穿くのか。当たり前だけど。


「ディラック! あなたは早く出て行きなさい。レディの大切な物を見たからには、相応の覚悟をなさい!」

「はっ、はいっ!」


 ディラックさんの声は完全に裏返っていた。そりゃビックリするよな。


 俺は改めて下着までも頂戴することになり、事なきを得た。危なかった。これでようやく変態さんの汚名を返上できる。


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