1_5 花嫁修行(1)
……喧騒と祝宴がようやくひと段落ついたのは、その日の夕刻間際になってからだった。
大分ワインを飲まされたファム・アル・フートは、頬をやや赤くして地下道を進んでいた。
燭台を手にしたオデットが先導する。彼女も同程度かそれ以上飲んだはずなのに、外見にはほとんど変化はない。足取りもしっかりしたものだ。
「団長が仰られていた訓練とはいったい何のことですか?」
「もちろん、お前さんの聖務達成のための準備だよ」
広大な法王宮の敷地……その地下にも巨大な空間が広がっている。
上位聖職者以外は足を踏み入れることを許されない機密指定を受けた重要区画や、単なる物置とされている部屋。
怪しげな連中がたむろしている場所など、秩序だった線引きがなされた地上の区画と相反して、そこは混沌の領域と化していた。
聖堂騎士団に所属して1年のファム・アル・フートにはとても把握しきれていないのだが、オデットは勝手知ったる様子でずいずい歩いていく。
「アタシらが知ってる"エレフン"の情報は極めて限定されているのは知ってるな?隔絶している、といった方が良いくらいだ」
「はい」
「なんでかっつーと"エレフン"への渡航が神造裁定者の権能だから。それに加えて、あの地の人間との交流は厳しく制限されているところが大きいんだ」
「何故です?」
理由は簡単。あっちの異邦人たちは神造裁定者の加護に浴するを知らない不信心者たちだからなわけで。
アタシらみたいな善良な信者たちにどんな悪い影響があるか分かったものじゃないだろ?」
オデットが善良な信者と口にした時、ややファム・アル・フートが小鼻をひくつかせたが、修道女は素知らぬ振りで続ける。
「そういうわけで基本こっちから"エレフン"と接触することはないわけだけど……たまに何故かあっちからふらっとやって来るやつもいるんだ。知ってるだろ?」
「話だけは聞いたことがあります」
ファム・アル・フートは直接見たことはないが、ごくまれに異世界である"エレフン"の住人がこの清浄な"アルド"の地に迷い込むことがある。
非公式な呼び名ではあるがそういった者たちを総称して、流亡者と呼ぶ。
理由も原因も不明だが、ふとある時気が付けば突然現れているのだという。
彼らは一様に心神喪失状態で、服装も言語も違うことから地元民とトラブルになってしまうこともままあったようだ。
最も全ての流亡の民が招かれざる客という訳ではない。
例外中の例外だが、中には神造裁定者の意思によってこの地に呼び寄せられた人間も存在する。
例えば、かの名高き<<英雄>>のように――――――。
「そういった流亡の民は全て法王庁の管轄に属することになってるんだ。中には世俗諸侯がかくまっているって噂もあるけどね」
ありそうな話だ、とファム・アル・フートは思った。
流亡の民が"エレフン"の知識や技術を持ち込むこともままあるのだ。
本来この"アルド"の地にはない発想なだけに、ややもすれば世界の様相を変えかねない危険なものも含まれていることがある。
その中でも最大のものと言えば、50年ほど前に持ち込まれた硝薬の製造法だろう。
今や火薬は戦場の主役ともてはやされ、各国は戦略資源となった硝石の出る鉱山を探そうと山師たちを使って血眼になっている。
「まあ、野放しにする訳にはいかねーよな?」
「……まさか、見つけ次第殺すのですか?」
ファム・アル・フートは剣呑そうに声を潜めた。
「馬鹿言っちゃいけない。神造裁定者と歴代の法王聖下はかの地の異邦人どもにも慈悲の心をお示しになられてきたって訳でね。
然るべき『処置』を施したのちに送り返すんだよ」
薄明るいランプの明かりを頼りに右折左折を繰り返した地下通路の先に、件の第8資料室とやらはあった。
オデットの案内がなければとてもたどり着けなかっただろう。
古びてはいるもののかなり広い部屋のようだ。扉には真新しい木の板が取り付けられ『第23次聖務特別対策委員会』と大書してある。
こういった習慣をファム・アル・フートは知らなかったが、これも異世界からの流亡者が持ち込んだものなのだろうか?と思った。
「ここは?」
「そういう流亡の民が持ち込んだ"エレフン"の物品を集めた場所ってわけ」
オデットが扉を開いた。
途端に、地下で密閉された空間特有の臭いがむわっとファム・アル・フートの鼻まで迫ってくる。
中は地上にいくつもある図書室くらいの広さで、地下だけあって低い天上ぎりぎりまで棚がしつらえられている。
湿気対策なのか、換気口がいくつも天井に設けられていた。地下の奥まった場所にしてはなかなか手の込んだ工事が行われたようだ。
図書室とは違うのは、収集されているものが本には限らないことだろうか。
虹色に光る円盤。平たい四角形をした金属片。樹脂らしい薄い袋状をした何か。
小さな手鏡付きの化粧品入れ。何故か釣り竿。おそらく彼らの神であろう戯画化したらしい装飾品の数々。
明らかにファム・アル・フートが知るものは違う文化によるものばかりだった。
「法王庁が手に入れたものは、基本的に全部ここに保管されている。調べれば"エレフン"の風俗を推し量ることもできるだろ?」
部屋中の全てが物珍しいものばかりで、ファム・アル・フートは好奇に目を輝かせた。
ふっとオデットから離れ、棚の陳列品を見て回る。
それが作られた技術も意図も想像つかないものばかりで、情報の洪水で息苦しくなりそうなくらいだった。
そのほんの一部……棚の一区画を占めているあるものを目にして、足が止まる。
「な……!なぜ少女の人形ばかりこんなにたくさん……!?」
恐らくは呪術用であろう人形たちが並んでいた。
不気味なくらいくらい精巧な造形で、でも妙に目が大きく凹凸が深くデフォルメされた美少女の人形たちが戸板の上で屹立している。
人身御供か生贄の代わりにするのだろうか?中には大分破廉恥な恰好をしているものもあった。
一体どんな忌まわしい邪教の祭祀に使うのかと思うと身震いしそうだったが、後ろ暗い好奇心を抑えきれずファム・アル・フートはそのうちの一つを手に取った。
「腰履きまで……!こんなところまで作り込むとは……、一体何の意味が……!?」
腰布の中を覗き込んだ女騎士の全身を衝撃が打った。
ここまで精巧な造形を行う職人の技量と、そこまで執念深く人形に労力を注ぐ精神性を思うと頭がくらくらとした。
おそらくは、才能ある職人が生涯の全てを捧げて身につけた全てを用いて形を成したのだろう。異教の呪術人形とはいえ、職工に敬意を払う気風のある北方生まれの女騎士は微かに敬意を持った。
同時に、ある種の好奇心も湧き出してくる。
(…腰履きの中はどうなっているんでしょうか?)
「あれ…なかなか脱がせられない…固められてる?まさかこれは貞操帯を模した物では…」
「おーい。何してんの?」
手袋を脱いでまで人形の下着を下ろそうと悪戦苦闘しているオデットに咎められ、女騎士は慌てて人形を棚に戻した。
オデットの方へ追い付くと、部屋の中央の広い一角で、学僧たちが十数人慌ただしくに作業に没頭していた。
あるものは熱心に書き物に集中し、あるものは注意深く棚の資料を移し替えている。
「彼らは?」
「お前の聖務に協力して下さる学僧の方々だ。"エレフン"の研究を専門にしておられる。
……皆様、ご苦労であります!騎士ファム・アル・フートをお連れしました」
学僧たちの視線が集中してきた。
それぞれの真面目そうな顔に一斉に喜色が浮かぶ。
「騎士ファム・アル・フート!」
「このたびはおめでとうございます!」
「聖務達成のためのお手伝いができ、一同感激しております!」
あっという間に学僧たちは乙女を取り囲んだ。皆が上気した顔で、やたら目を輝かせている。
「……皆様。ファム・アル・フートに説明をしたいのですが」
照れ笑いを浮かべる乙女と口々に祝辞を述べる学僧たちに、オデットが咳払いをして水を差した。
「で、ここに集まったものの中から結婚や恋愛に関するものを集めてもらったのがこれ」
解放されたファム・アル・フートがオデットの傍へ寄ると、大机一杯に"エレフン"のものらしい書物が積み重ねられていた。
うずたかく積みあがったページのところどころに付箋や注釈が挟まれている。
「なんという精巧な肖像画でしょうか……!」
「うむ。『シャシン』という邪法の一つが横行しているらしい。数年前に法王庁でも再現を試みたけど、材料が手に入らずに断念したって」
何が書いてあるのかさっぱり分からないが、共通しているのはどれも婦人の笑顔が表紙に大写しになっていることだ。
どれも似たりよったりの構図で、どうも同じ目的で記された書物の類のように見える。
「彼ら秘蹟探求局員の協力で、文字の解読に成功した。訳したものがこれ」
金箔押しの羊皮紙に、一覧らしい文章が並んでいる。
『婚活必勝法100選』
『結婚相手を見つけるためのモテテク大特集!』
『プロポーズさせるための守るべき20のルール』
『彼氏を昇天させるマル秘テクニックをスクープ!』
『年収1000万のオトコを見つける方法』
『好きなあの人の胃袋をトリコにするレシピを大公開!』
……などと刺激的な文字が踊っていた。
ファム・アル・フートは、顔を真っ赤にし、わなわなと手が震えるのを抑えられなかった。
こんな戦術書が著されるとは、"エレフン"では結婚とは恐ろしい競争と権謀術数が繰り広げられる修羅場に違いない。
昇天させる……というのは当然あの世に送るという暗喩だ。
年収が条件、ということは金銭目当ての犯行ということになる。
その隣の胃袋をトリコにするというのは、つまりは常習性のある食材か薬物を混入して妻から離れられなくなる体質にしてしまえという意味だと考えて間違いあるまい。
(なんという連中でしょうか!)
遺産目当ての夫殺しがこんなおおっぴらに書物にされるとは!
夫の食事に毒を混ぜて廃人にしろなどとは、これはもう悪魔の囁きとしか思えない。
異世界の夫婦生活の破綻した倫理観は、清廉な女騎士の背筋を怖気で震わせるのに十分だった。
「…信じられません!神々よ、彼らにお慈悲をお垂れください!」
「驚いたか。アタシも最初は流石に気分が悪くなった」
「なんて破廉恥な……!」
「無理もない。だけどね。アンタが先に祝福者を見つけて守らなければ、祝福者がこの連中の毒牙にかかるんだぞ」
「……っ!」
ことの重大さを理解したファム・アル・フートがはっと目を見開くのを、オデットは軽く頷いて返した。
「これらを参考にして、祝福者を射止めるための戦術を磨こう。のんびりしている暇はないぞ!」
『彼氏いない歴=年齢のあなたがイケメンをゲットする方法!』と題された本を片手に、オデットは断言した。
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