小勢の戦法
血溜りのような夕闇の底で、ゼクは息を潜めている。
枯れ川と思しきものの脇、灌木の陰である。布越しに縄を握っている。
砂利を踏み鳴らして馳せ来るのは狼国軽騎兵だ。その数、二十騎。五つ六つと掲げられた灯火の猛々しさは、さて、彼らの怒りか苛立ちか。あるいは憎しみかもしれないが。
何であれ、斬る。斬れば散る。
ゼクは縄を引いた。向こう側でも引かれたから、それは膝の高さで張りつめる。一本ではない。別な組も引いたから、合計三本だ。
強い衝撃が、ゼクの身体を震わせた。
何度か連続して、唐突に手応えを失った。縄が切れたのだ。強度からすればそんなものだが、しかし、そんなものの上げる成果が凄まじい。
人馬が倒れ、踏み合い転ばせ合い、潰し合い、嘶きと呻きとが響き渡るそこへ。
ゼクは跳び込んだ。
未だ馬上に留まる者の脇腹を突く。腕をつかんで引きずり下ろし、その勢いで馬上へ。鞍の上から跳んで、もう一騎へ。一振りで首を断って、また鞍を蹴る。
軋む足首に、歯を食いしばりもするが。
斬る。人を斬る。馬は立っていようが転げていようが、足場だ。ゼクは執拗に騎乗者を狙う。もののついでに、倒れ苦しむ敵の首を落としたり、腹を刺したりもする。一時とて休まずに刃を用いる。
「三騎、逃げます!」
ミトゥの指摘を受けて、剣を足元の誰かへ突き刺した。
見れば、確かに三騎。まだ近い。
両手に棒手裏剣を持つなり、投じた。一本は馬の腿へ、もう一本は別な一騎の騎乗者へ刺さった。背中か腰か。痛みに仰け反ったことで速度を減じたから、走り寄る。跳びはせず、突き上げるように刺した。
そんなゼクの脇を、疾風が通り過ぎた。
ミトゥだ。目を見張るほどの、その走力。狙いは馬の腿に傷を受けた一騎か。へどもどとして加速しきれないそれへ、ミトゥが襲いかかる。
「んやっ!!」
跳びつき、しがみつき、叩く。鎧を物ともしないで打つ。乱打する。そんなミトゥを刺さんとした剣を打ち払って、それを握る手も腕も叩き折って、組んだまま落馬した。落ちる間にも一撃するのだから、ミトゥの硬鞭捌きは獰猛だ。
しかし、一騎は逃した。馬蹄の音が遠ざかっていく。
「隊長よ、こいつを!」
傭兵団の男が馬の手綱を寄越してきた。奪いたての一頭だ。
「こっちはもう問題ねえ! 追ってくれ!」
頷き、ゼクは鞍に跨った。馬腹を足で締める。狼国の軍馬はそれだけで馳せる。不意を衝く動きの正体だ。そうと知り得るほどに、軽騎兵を相手取ってきた。
手強い。狼国の軽騎兵は。
ゼクらの居た陣へと襲い来た敵勢は、およそ一万二千騎だった。どの一騎も精兵で、方陣を組んでいた華国軍二万兵力を苦も無く引き裂き、南へと潰走させた。
ぶつかる前から察せられた快勝と惨敗を、目の当たりにして。
ゼクは、一つの戦機を感じ取ったものだ。
剣のやり取りにおいて致命的な隙を招くものの一つに、残心の欠如がある。斬るまでにも工夫があるが、斬った後にもまた心を配らねばならない。それをしないでは、思わぬ一振りを浴びることとなる。
華国軍の脆弱さは、罠になる。狼国軍が精強であるほどに、罠になる。
その考えで、ゼクは山間の隘路に伏せた。
這う這うの体で走る華国軍将兵らを、狼国軽騎兵は雑草でも薙ぐようにして刈り取っていった。それは一方的な攻撃であったが、しかし、どこか作業的で執拗さに欠けていた。
そもそも、二千騎ほどしか追撃を行っていなかった。
追撃戦に参加しなかった一万騎の内、八千騎は早々に姿を消し、残る二千騎は戦利品をまとめつつ陣を敷き直しているようだった。狼国の旗も立てていた。篝火も多かった。幕舎の数もまた。
ああ、虚の構えか―――ゼクは得心した。駆け去った二部隊各四千騎が実の戦力であり、華国軍の隙をついて斬りつける刃なのだと。
つまるところが、油断である。
弱敵を斬って、止めもおざなりに、次なる強敵へと剣を構えてしまっている。
だからゼクは仕掛けた。標的は追撃部隊である。十騎であれ、時と場所を選べば機会はあった。被害を与える機会が。
まずは夜を待った。無防備に馬の手入れをしていたところを襲い、兵を斬り馬を刺した。混乱は大きなものとなった。暴れ馬は人を撥ねるし、綱を切られた馬は群れを成して駆け去るしで、同士討ちも発生したようだった。
次いで、後方へと連絡に出された伝令を斬った。一騎とて逃さなかった。するとまた別な伝令が来る。それも討つ。それを続けるうちに、追撃部隊は一時後退を選択したようだが。
その段階に至れば、今度は斥候を頻りに出してくるから、それを狙う。討つ。
今しがたの二十騎も斥候だ。
枯れ川の先に灯る火を確かめに来たのだろうそれらを、ゼクたちは六人して伏撃したのである。十九騎は既に討った。犠牲は皆無だ。そろそろ灯火で囮を務めていた四人も合流した頃だろう。
残る一騎を討つことに、ゼクはこだわっていなかった。
ただ追う。追った先に何かがあるという、淡い予感を胸に抱いて。
そら、もう星が見える。音もなく明滅するそれらを散りばめて、夜天の広大さたるや騎馬の速度が馬鹿馬鹿しくなるほどだ。畢竟、人間の争いもまた取るにたらないものでしかないのかもしれないが。
それでも、ゼクの腰には一振りの剣がある。闇夜の灯火よりも遥かに心強いものとして、まるで道標のようにして。
一剣は、天に通ず。
悪鬼は言っていたではないか。剣術には三種の技法があると。即ち、野と理と、天であると。
天の技法……それ得ずんば悪鬼を斬れないのだろう、その未知の技は。
この夜空のような大いなる印象で、ゼクを惹きつけて止まない。
馬は馳せる。風は頬を打つ。ゼクは静かに待ち受ける。
そして、敵が現れるのだ。斬るための敵が。
追っていたはずのゼクは、いつの間にやら、十数騎の軽騎兵に並走されていた。別な斥候部隊と鉢合わせたのか、それとも罠にかけられたのか。
ゼクは微笑み、手綱を鞍の前輪へ巻きつけた。
剣を抜き放つ。両の手で握る。祈るように、額を峰に触れさせもした。
両脚を締めて馬へ指示し、右方の敵へと寄っていく。八騎いる。左方にも同数がいるから、射ってはこない。これから始まるのは刃のやり取りだ。
馬上のそれに、ゼクはもう、慣れた。
「守捨流……日影」
一騎を一撃で仕留めて、ゼクは呟いた。等速で駆け行く馬上においては、攻め掛け技こそが最適手段である。最小の手数で必殺するのだ。
地上と異なり、次の敵が来るまでに間が空く。騎乗者を失ったとて馬は並走を続けるからだ。
それでもと強引に寄せてきた一騎の、首を斬り裂いた。兜が落ちて、髭面の男の吐血する様がよく見えた。左方の敵はまだ届いてこない。
三騎目は後方から割り込んで来た。
その槍先が届くよりも前に、馬の鼻を叩き斬った。馬は暴れる。槍を使うため手綱を離していたのでは堪るまい。騎乗者は馬を御すことに必死となった。これでしばらく後方からは敵が来ない。
左方へ寄る。そちらの一騎がこの部隊の長か。
長柄の薙ぎ払いを、少し馬を戻すことで避けた。そしてすぐにも寄せて喉を突く。捻って骨を砕いてから抜く。
後方から憤怒の声。鞍の後輪へ体重をかけることで馬を減速させた。それで先の槍使いへと迫り、首を狙うと見せかけ、脇を深々と斬り抉った。肺を傷つけたからには致命傷だ。
さて、五騎目はどれだ。六騎目はそれか。七騎目は。八騎目は。
濃き闇に沈む乾いた地上で、馬列の音を忙しなく散らかしながら、ゼクの剣は冴えに冴えた。一振りごとに技が鋭さを増していく。一合とて刃をぶつからせずに、命だけを斬っていく。
追っていた一騎には、逃げられた。そればかりか、囲んできた十数騎の内の二騎も逃した。
ゼクは、傷一つ負わなかった。
馬がそこらの雑草を勝手に食むのに任せて、瞑目し、体熱を夜へと放射する。手入れを済ませて白刃を、また祈るように額へつけて。
速度の中で研磨した術理を思った。煌めく星のような、幾つもの理の技法を。
それらは、一つ一つが命名するに足るものでありながら、ゼクに言葉を探させない。合理を超えたところの全体を思わせる。星々が、その輝きでもって夜の深遠を感じさせるように。
どれくらいの時を、そうして過ごしたろうか。
ゼクは目を開けた。見晴らしのいい崖の上へと来ていた。遠く煙が上がっている。炊煙だ。追撃部隊の本隊だろう。斥候の逃げた先でもある。やはりか徐々に北へ戻っている。
これより南に、もう、戦場はない。
他者の命をもって剣技を磨く機会は、北に。
ミトゥらと合流すべく、ゼクは馬首を返した。




