26
「ひっ……あ、貴方様は……!」
「遅い! いい加減に待てぬわ! せっかく風の欠片を授けた意味がないではないか!」
「ももももも申し訳っ……! ありません!!」
ついさっきまでの威勢が一瞬にして消えたトーマス子爵は、青くなってガタガタ震えながらその場にひざまずいた。
そんなトーマス子爵からぷいっと顔をそむけた空に浮いている綺麗な女の子は、身長よりも長い緑がかった髪をひるがえらせつつ、強い風の中でも軽やかに舞うように空を駆け、ソフィアの方へと寄ってきた。
「だ、誰……?」
首を傾げるソフィアに、地上からジンの声が届いた。
「っ、シルフ!」
どうやらジンと知り合いらしい。
しかし仲良しというわけでもなさそうで、ジンの声は敵意あるものだし、シルフと呼ばれた女の子の方もちらりとだけ下を見た程度。友好的な感じはまったくない。
「ふんっ。見つかるのは面倒だと王都から離したのに、こんなところまでくるとはの」
「あの、貴方はジンの知り合いなんですよね?」
「一応な」
「……もしかして、妖精仲間ですか? あなたも妖精?」
「違う」
にいっと綺麗な唇が引きあがる。
少女は、巻き起こる風の中で大きく両腕を広げながら、堂々とした声で答えた。
「わたくしは四大精霊のうち風をつかさどるシルフ! ソフィアのお菓子、素晴らしい! わたくしはもっともっともーっとあのお菓子がほしい! ソフィアがいれば食べられるのだろう? だからあの男に力を少し分けてやるのを対価にして頼んだのだが、どういう事かどれだけ待ってもソフィアを持って来ない。風の欠片まで授けてやったのに使えない奴だ!」
「え、ええと……精霊?」
(妖精のことさえいまだよくわからないのに、精霊なんて出てこられても困るわね)
しかし四大精霊というたいそうな名称がつくあたり、きっとたぶん凄いのだろう。
それよりなにより、トーマス子爵とシルフの言葉をつなぎ合わせると、結果として彼女こそがソフィアを誘拐しようとした主犯のようだ。
ソフィアを「持ってくる」と表現するあたり、完全にもの扱いでやった事を悪いとも思ってなさそうだ。
そんな身勝手な子にはとても友好的にはなれなくて、ソフィアの口調は少しだけ喧嘩腰になった。
「良くわかりませんけど。つまり、私が攫われたのはあなたのせいってこと?」
「そうだの。さぁさぁ、ソフィア。行くぞ」
「どこに」
こちらは怒ったふうな顔をしているのに、まったく気にかけてくれない。
嫌われようと好かれようと、どうでもいいのだろう。
無邪気な様子で手をひっぱられてしまった。
「この森のもう少し奥だ。湖のほとりが心地が良くてな、わたくしは数百年ほどはあそこを住処にしておる」
「この森の奥って……住めるのですか? 見渡す限りこんなに緑一色なのに」
「人間のように家など必要ないからな。問題ない!」
えっへん! と胸をそらし自慢げに言われてしまった。
「さぁ行こう! お菓子をつくるのだ! たっくさんだ!」
「……」
(この……お菓子をねだるキラキラした目……この無茶ぶり……すごく知ってるわ)
ソフィアの頭に下級妖精たちが浮かぶ。
こちらの都合などお構いなしでお菓子をねだり、むさぼり食べる彼ら。
あれがただ大きくなってるだけに見えてしまったのだ。
下級妖精の場合は騒ぐだけだが、こちらはなまじ力があるために、実力行使でトーマス子爵を使ってソフィアをさらわせてまでお菓子を手に入れようとした。
トーマス子爵は人外に慣れていないのか、シルフを恐ろしい化け物のように思っているらしく怯えている。
それでも自分の目的のために風の欠片と呼ぶらしい不思議な指輪を受け取って協力したのだから、ターニャへの執着心はそうとうなものなのだろう。
どうして直接ではなくトーマス子爵を介したのかソフィアにはわからないけれど、とにかく今自分ができることは拒絶のみだ。
「嫌です!」
「は?」
ぱちり、と緑がかった銀をした不思議な色の瞳が瞬いた。
得体のしれない存在は怖い。
それでもこのまま連れていかれるわけにはいかないので、ソフィアはお腹の奥から力を振り絞る。
「無理やり自分を浚った相手のためにお菓子を作ろうなんて思えません! それにどうせ森の奥じゃお菓子は作れませんし!」
「つまり、わたくしは……断られてる?」
それまで無邪気な雰囲気だったシルフが、目元を鋭くさせた。
威圧感にソフィアの体が震える。怖い。
それでもソフィアは踏ん張った。
ふく風の音にかき消されないように、思いっきりの大声で訴えた。
「……っていうか、そもそもが! つ、く、れ、な、い! です!!」
一言一言区切っていうと、シルフィはきょんとした顔をした。
「なぜじゃ?」
「だって、貴方の住処、森の湖のほとりなのでしょう? オーブンないでしょう」
「おーぶんとは、たしか熱くなる箱だったか。……ないのう。必要なのか?」
「必要です。あと材料も」
「材料だと?」
ますます不思議そうに首をひねっている。
「設備も材料もないのに、お菓子なんてつくれません。不可能です。なにをどうやってもむり」
「な、な、な、なんだと……!」
「あ、本当に私さえいればお菓子が出てくると思ってたんですね」
「ありえぬ……この数百年で一番張り切って、風の欠片まで作ったのに! だ、だったらどうすればよいのだ! お菓子が食べたい食べたい!」
「……どうって」
どうすればといわれても、湖のほとりの森の中でキッチンも材料もなしにお菓子を作るなんて、なにをどうしたって不可能だ。
アウトドア料理のような感じで一品か二品かならできるかもしれないけれど、それは彼女の求めているものとは違う気がした。
下級妖精がどのお菓子をシルフへ渡したのかはわからないけれど、『ソフィアが普段作っているお菓子』を望むのなら、ソフィアの家のキッチン程度の設備と、材料が手に入る環境は必要なのだ。
それらはどうやったってこの見渡す限りの森の、さらに奥地で手に入るものではない。
まだ駄々を捏ねそうなシルフも、しっかりと説明すると本当に無理なのだと分かったらしい。大変なショックを受けている。
「そんな…ありえない……ソフィアさえ手に入れば、それでよいのだと思っておったのに。きっちん、さとー、ちょこれいと? そんなの森にない……」
ぷるぷる震えだしたかと思えば。
「あ、あの? 大丈夫ですか?」
「っ……」
ついに綺麗な瞳からぽろぽろと、涙がこぼれだした。
「そ、そんな、いやじゃぁ、ありえぬ。ありえぬ……ふぇ、おかしぃぃぃ」
(な、泣かしちゃった……!)
罪悪感がわいたのは一瞬だった。
直後に、やる気をなくしたらしいシルフィの風がやんのだ。
引っ張られていた手もいつの間にか離れていた。
「え、え?」
そうすると、当然一人で飛べないソフィアは落ちるしかない。
「ひ、いぃややぁぁぁぁ!!」
地上へ向かって真っ逆さま。
ものすごい勢いで地上へ落ちていく、自分。
「ソフィア!」
ルーカスの焦った声が聞こえたのでそちらを何とか見ると、受け止めようと手を開いていた。あんな小さな体では絶対に無理なのに。無茶すぎる。
「ルーカス様どいて! つぶしちゃうぅぅ!」
「いける!」
「無理だってばー!」
あぁもう目の前にせまっている。
これは死ぬ――と思った瞬間。
(せめてルーカス様に当たりませんように!!)
そう強く思ったと同時に、体にドサッという衝撃が走った。
「…………?」
確実に落ちた。
でも痛くはなくて、不思議に思いながらおそるおそる顔をあげるとすぐそばにあったのはジンの顔だ。
「ジン……!」
ジンが助けてくれたらしい。
すぐ近くのルーカスは悔しそうな顔をしていた。
自分が助けたかったのにと顔が語っているけれど、普通の大人の男でも空から落ちてくる人間を腕二本で受け止めるなんて絶対に無理だろう。妖精のジンだからこそできたのだ。
「しょふぃあ! しょふぃあぁ!」
ターニャがふにゃふにゃ泣きながら、地に降ろしてもらったソフィアに飛びついてきた。
「っおい! 説明しろシルフィ!」
ターニャの頭を撫でてようとしたが、ジンのどなり声にびっくりして伸びかけた手がとまった。
見ると、飛ぶ気をなるしてへなへなと降りてきたシルフにジンが言い寄っていた。
寡黙な彼が感情をここまでだすのは、始めてみた。
「ありえぬ……お菓子…お菓子ほしいのに」
「そんなことの為にあんな馬鹿な人間を使うなんて何を考えている!」
「お菓子…あまいの、あまいやつ……ふ、うえぇ……」
「泣いてないで説明しろ!!」
「おかしぃぃぃ」
「聞け!」
「おぉぉぉかぁぁしぃぃぃ!!!」
わんわん大泣きしだした可愛い女の子を怒鳴りつける大人の男。
なんだかシルフが可哀相になってしまう様子に、ソフィアは息を吐いた。
(仕方ないか……)
誘拐されて、怖い目にたくさんあった。
その全てがただ「ソフィアのお菓子がほしい」というシルフの願いからきたことだった。
ソフィアを連れてきてもらうため、彼女は不思議な石をトーマス子爵に渡して依頼した。
あの不思議な力さえなければ、子爵がターニャ王女を攫うこんな計画だってそもそもたてなかっただろうし、侍女がそこに付け入られることもなかった。
物凄く苛立たしいけれど。
でも「お菓子お菓子」と泣くばかりの姿は、どうにも憎めないのだ。
下級妖精たちと、どうしても重なってしまう。
(だって理由が、ほんとにお菓子ほしいだけだものね)
ソフィアは諦めの息を吐いてから、彼女へと声をかけた。
「うちに取りにくるなら、作ってあげますよ」
「なにっ!?」
ぱっとシルフの顔が輝いて。
「おいソフィア!」
ルーカスの叱責が飛んできて。
「……」
ジンが心底あきれた感じの視線をよこしてくる。
ターニャは起こってる物事の意味があまり分かっていないみたいで不思議そうにしているだけだ。
「取りに行く、か。ううむ……でものう。王都はジンのテリトリーだからの王都はあまりな……」
「テリトリー? 入れないんですか」
「そういうわけではない! 行動を把握されて面倒くさいだけだ」
「把握されて困る行動って?」
「……?」
首をかしげるソフィアの前で、シルフも一緒にこてんと首をかしげる。
「ソフィアのお菓子さえ手に入るなら、ほかに何もする予定はないな」
「ならいいんじゃ。良い子にしてくれるなら、私もちゃんとお菓子を作ってあげますよ」
「おぉ、そうじゃな! わたくしは良い子だ! 良い子にするぞ! うむ、よしジン! わたくし、王都に住むことに決めた!」
「は?」
「一等に良い部屋を用意しろ!」
「まて、いいから待て。こっちはまだ臨戦態勢なんだが」
「戦うなんて面倒だ。どうせわたくしが勝つし」
「くっ……」
「ソフィアのお菓子のために、王都にすむことにしたから寝心地の良い部屋を用意しろと言っておる。森なんてあそこにないのだろ。それならせめてふかふかのベッドをだせ!」
「ジン。だめですか……? 彼女の目的ってお菓子らしいですし、私がシルフのところに行くより、来てもらう方がまだいいかなって」
「……はぁ」
おそらく人間であるトーマス子爵達と違って、精霊であるシルフを罪に問うことはできない。
妖精もそうだが、彼らみたいな不思議な存在が起こすことは『怪現象』や『奇跡』というものになる。
そもそもこういう生き物がいると声高に言っても変な人扱いになるだけなのだ。
精霊が起こした誘拐事件だったと訴えたって、信じてなんてもらえないだろう。
首謀犯はトーマス子爵で、やむなくして侍女も協力する形になった。そういう形に収められるはず。
(色々あって疲れたし)
お菓子を渡すだけでこのゴタゴタが終わるのなら、もうそれでいいじゃないのとソフィアは思ってしまうのだ。
他に追随する難しい後処理をするのは、自分の役目ではないだろうし。
「ルーカス様は、いいですか? シルフと一緒に王都に帰っても」
「いい気はしない……」
シルフをこれ以上責める様子のないソフィアに呆れたのか、ルーカスは金色の自分の髪をぐしゃぐしゃと掻いて大きなため息を吐いた。
「馬鹿かと思うが…でも……」
「ルーカス様? わ」
ルーカスが抱きついてきて、ソフィアの体をぎゅうっと抱きしめてきた。
「ルーカス様! ちょっ、え!?」
再会の抱擁はもうすでにしたのに、更に急に抱きしめられた意味が分からない。
しかもかなりの人数に見られている状況はすごく恥ずかしい。
しかし肩口に顔をぐりぐり押し付けられたあと、ちいさくくぐもった声が耳もとに届いて。
「……もうソフィアが戻ってくるなら、他はどうでもいい。はやく帰ろう」
「……、はい。帰りたいです。はやく」
つんと鼻の奥がいたくなった。
――帰りたい。
だからもう、終わらそう。
しんみりしてしまった気持ちを誤魔化すために視線を彷徨わせると、建物の屋上から見おろせる森のなかに動くものを見つけてしまった。
「あ! あれ! ルーカス様、あれ! 皆も!」
ソフィアに釣られて皆で改めて眼下をみると、いつの間にかたくさんの兵が建物を囲んでいた。
その中心には真っ赤な髪の男がいる。
顔まではさすがに遠すぎて確認できないけれど、たしかマークス王子が兵を引き連れて来るのに先発してルーカスとジンが飛んできてきてくれたといっていたから、あれは助けに来てくれたマークスなのだろう。
あきらかに敵わない人外の力を垣間見てブルブル震えて腰が抜けてしまっているトーマス子爵と、完全に観念して大人しくしている侍女。そして常識では説明のしようがないシルフのことも、彼ならばきっと上手に処理してくれる。……はず。
「にーさまぁー!」
大きく呼んだターニャの声が聞こえたらしい。
顔をあげたマークスへ向かって、ソフィアは一緒に大きく手を振った。




