17
「ターニャ王女!?」
灯りがあるのは格子の向こう側。
こちら側はとても薄暗くて、しかも死んでいるみたいに静かで、気付けなかった。
ソフィアは慌てて真っ白な頬にかぶさった赤い髪を払いのけると、細い肩を揺さぶる。
寝息さえ聞こえなかった。触れると、とても冷えている。
もしかしたらと想像してしまった。
「生きてます!? 無事ですか!?」
「……ん」
「よかった、生きてた……」
うっすらと目を開けてくれたことに、心底ほっとした。
「ターニャ王女。起きられますか?」
「そ、ふぃあ?」
「はい。ソフィアですよ。痛いところとかあります?」
「んー、ううん」
彼女が身体を起こすのを支えつつ顔を覗き込むと、青い瞳をパチパチ瞬きながら首を振る。
とりあえず体調は大丈夫そうだ。
でも周りを見回した青い瞳が揺れて、泣きそうに潤んでいくのに焦ってしまう。
「しょふぃあ、ここ、どこ?」
「ごめんなさい。さっぱり分かりません」
ここで泣きだされるのは困ってしまう。
そんな気配を察してくれた敏い子は、目に涙をためながらだったけれどターニャはこらえてくれた。
それからは体を温めるため二人で寄り添い合う。
鉄格子に阻まれた部屋の中で、できるすべも無く途方に暮れてしばらく。
ついに――コツ、コツ、と廊下を歩いて来る足音が聞こえた。
(誰か来た?)
状況からして、自分たちをこの牢へ閉じ込めた人物である可能性がとても大きい。
緊張で硬くなりながら待っていると、やがて鉄格子の向こう側に姿を現したのは女性だった。
その人物に、ソフィアは目を丸くした。
「メルシアさん?」
「めうしあ?」
「はい、そうですよ。ご機嫌はいかがですか? ……よくはないでしょうけど」
ターニャ王女の侍女であるメルシアだった。
彼女はよく知った城の侍女の制服ではなく、清楚な雰囲気の貴族の令嬢が着るようなドレスを着ていた。
ソフィアとターニャも意識がない間に着替えさせられていたようで、ソフィアは華やかなドレスから淡い色のワンピースに。
ターニャもパーティーで着ていたほどに装飾はないものの、ドレス姿になっている。
……一瞬、メルシアが閉じ込められた自分たちを助けに来てくれたのだろうかと期待した。
でも彼女からはターニャやソフィアを気に掛ける気配はまったくなくて。
なぜか笑顔で、石床に座りこんでいるソフィアとターニャを見下ろしてくるのだ。
まるで牢屋に閉じ込められた姿に喜ぶみたいに。
「っ……」
メルシアのおかしな雰囲気を察したらしいターニャが怯えてソフィアにくっ付いてくる。
ソフィアだって訳が分からなくて不安だ。
けれど三歳の子供を護らなくてはという大人の意地がある。
震えながらも背中の彼女をかばいつつ、強めの口調で聞いた。
「メルシアさん……ここは、どこですか。貴方が私たちをここに閉じ込めたのですか」
「えぇ。私があなた方を誘拐いたしました」
「ゆう、かい」
やはり自分たちは誘拐されたのか。
呆然とするソフィアに、メルシアがいっそう笑みを深くする。
「二週間も眠らせ続けるのは大変でした。定期的に意識の混濁した相手に含ませなければなりませんでしたし。うっかり量を間違えて死んでしまわれれば困りますし」
「に、しゅうかん? 嘘! そんなに!?」
「ふふ。眠っていて起きたらもう二週間も過ぎていたなんて、驚きますわね」
メルシアの言う事を信じるのならば、フィリップ伯爵家のパーティーから二週間もたっているということ。
二週間も自分が行方不明だなんて、家はきっと大騒動になっている。
早く無事を知らせなければ。
早く帰らなければ。と、気持ちはどんどん焦る。
でも牢に閉じ込められた状況では、どう動くこともできない。
「ここは何処ですか」
「もう王都はとうに抜けて、ずいぶん遠くにまできております。助けなど期待なさらないでくださいね」
助けがくる可能性が低いことに、心がずんと重くなる。
それでもソフィアはぎゅっと手の平を握って自分を奮い立たせ、なにか少しでも今何が起きているのか聞き出そうとした。
自分にしがみついてくる温もりに励まされながら。
「どうして、メルシアさんが私たちを誘拐なんてするんですか」
「ある方々が、貴方とターニャ様を欲してらっしゃるからです」
「それに、貴方は手を貸したと?」
「えぇ。そうですよ」
メルシアは隠すことなく、すらすらと答えてくれる。
もう目的を果たしてしまって、何も隠す必要がなくなったのだろうか。
(ターニャ王女はわかるけれど、私も含めての誘拐ってどうして?)
メルシアの言葉通りなら、誘拐を実行したメルシアの上に、それを命じた人物がいるらしい。
その人が、ターニャだけでなくソフィアも欲しているという。
王女という立場のターニャが色々利用できるのは分かる気がする。
でもどうして、なんの地位も力もない自分が誘拐されているのだろう。
「なぜ私を? それにあなたは本当にターニャ王女を裏切るのですか? 一番の仲良しだと、以前聞きました」
たしか生まれる前から傍にいる人なのだと、いつかターニャが話してくれた。
信頼できる侍女。
だからこそ描いた絵を傷つけられるような不可解な事件が起きる中でも、彼女はそばを外されなかった。
誰から見ても固い信頼関係が築けていた相手を、どうして裏切ることができるのか。
ソフィアの疑問に、彼女はあっさりと教えてくれた。
「お金をくれるというので」
「え」
「お金が必要だったんです。だから、貴方とターニャ様を引き渡すことを条件にお金を頂くことにしました」
「そんな理由で?」
そんな理由で、大切な人を裏切れるものなのか。
「私には、とても重要な理由です」
「……」
(王族の侍女って、そうとうな給金をもらえるとおもうのだけど)
王族に仕える侍女という職は誰にでもなれるものではない。
相応な格式のある貴族の家の娘でなければならないはず。
なのにお金に困るようなことがあるのだろうかとソフィアは眉をよせた。
「めうしあ」
主の震えた細い声にも、彼女は顔色を変えない。
奥歯をぐっと噛みしめるソフィアの耳に、また別の足音が聞こえてきた。
「メルシア。ターニャ王女と娘が起きたのか」
低い、大人の男の声だ。
もしかするとこの人が、ターニャとソフィアをさらうようにメルシアに命じた人なのだろうか。




