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妖精専属菓子職人  作者: おきょう
続編

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67/91

5


 天才的な芸術センスをもつ三歳児とのお絵かき遊び。

 

(ど、どうしよう。私の絵なんて、どう頑張ってもらくがきレベルなのに)


 恥をかく未来しか見えない。

 自分の絵に自信がなさすぎて困っていたソフィアだったが、ハッといいことを思いついてしまった。

 もうこれでいくしかないと、大きく手を叩く。


「あー! そうだ! まずターニャ王女が絵を描くところを見たいですっ」

「わたしの?」

「えぇ!」


 ソフィアは全力でこくこくと頷いた。

 胸の前で握った力拳に、思わず力が入る。


「是非とも! こんなに素敵な絵をどうやって描いているのか、見てみたいです!」


 たとえこの後に描かなければならないのだとしても。

 どうにかこうにかできる限り引き延ばしたい。


 もちろんこんなに素敵な絵を描く所を見てみたいという気持ちも、嘘ではない。

 アトリエの鍵穴に鍵を刺すのさえ苦労していた小さくたどたどしい手で、どうやってこんなに精密な絵画たちが作られるのか。

 部屋の中にはソフィアの身長よりも大きなキャンパスもあったりして、がぜん興味がわいてきた。


「駄目でしょうか」


 ソフィアは胸の前で手を組んで、小首をかしげてみる。

 末っ子気質から身に付けたお願いポーズは、姉や兄にするとたいていは陥落してくれる。

 これがターニャに効くとはもちろん思えなかったけれど、とにかく必死なのだ。持っている手は全て使ってやる。


 そんな思いが通じたのか、ターニャは頷いてくれた。


「じゃあ、かいてるのみててねー?」

「有り難うございます!」


 ターニャは「よいしょ」と口にしながら椅子にのぼり、四人がけの木製テーブルに着く。

 ついでチラリと目を向けただけで、控えていた侍女がさっとスケッチブックと鉛筆を広げてくれた。

 欲しいものを視線だけで察せられるなんて。

 お城で働くような侍女はやはり優秀だ。


「しょフィアもそこ、しゅわって?」

「では失礼します」

「なにかくー?」

「では、ターニャ王女が一番好きなものを」

「しゅきなの? しゅきなのはぁ」


 鉛筆を口元に当てて小首をかしげ、ゆらゆら赤い髪と身体を揺らして「うーん」と少しの間悩んでいたターニャ。

 少しして何か決めたみたいに頷いたあと、手を動かし始めた。


 幼い子にありがちな握るだけの持ち方でなく、きちんと正しいとされる持ち方で、慣れた手つきだ。

 表情は口元が緩んでいて、瞳はキラキラ輝いている。

 どんどん目の前の絵の世界に夢中になっていくのが見て取れた。

 

(邪魔しないように、黙って置いた方がいいかしら)


 シャッシャと、紙と鉛筆が擦れる音が暫く続く。


 スケッチブックに次第に浮かびあがってくるのは、筋肉質で短髪の男性だ。

 子細が加えられて行くにつれてそれがジンなのだとソフィアは気がついた。

 想像で描いているらしく、実物とは違う形の羽が背中に生やされている。

 力強く美しく、色香まで感じさせる妖精の姿がうかんでくることに、なんだかドキドキした。


(私、芸術なんて全然詳しくないのに)


 絵に関する知識なんてなにもない素人を、見ただけで感激させる絵を描くターニャは、本当に凄い。

 ジンの絵はさらさらっと短時間で描いているものなのに、もうこのままでがくぶちに入れて飾れそうだ。

 この子に祝福の瞳がないのがもったいないと心から思う。

 彼女が妖精の存在する世界を見られれば、きっと本当に素晴らしい絵ができあがるのだろうに。



 それからまたしばらくして、ターニャはちょうど顔の部分の仕上げにかかっているみたいだった。

 引かれた線は少し口端が上がっていて、微笑しているように見える。

 ソフィアのお菓子を前にしたときの彼よりも甘く暖かい微笑みだ。

 あまり表情の変わらない彼だけど、もしかするとターニャに、ジンはこんなふうに優しく笑ったりするのだろうか。


(さっきも凄くなついてたものね)


 優しい笑顔の絵に、ソフィアは心まで温かくなった。


「……ターニャ王女は、本当にジンが好きなんですねぇ」


 思わずすべり落ちた言葉に、邪魔をしてしまったかと慌ててソフィアは口を手で覆った。

 でもそれは杞憂だったみたいで、ターニャはきょとんとした表情で顔を上げてソフィアを見たあと。

 一拍おいて、ぱあっと花が咲いたみたいに笑う。


「しょーよ!」


 ふふ、とはにかみを浮かべたまま続きを口にする。


「おとなになったら、よーしぇさんとけっこんすうの!」

「え」


 一瞬びっくりしたソフィアは、ややあって曖昧に笑いを返す。

 嘘は上手くないので、口元からおろして机の上で重ねた自分の指がもぞもぞと動いてしまったが。


「……そう、ですか」


(妖精と結婚なんて……絶対に無理です)


 ――とは、もちろん口には出せない。


(きっとあれかなぁ。お父さんと将来結婚する! って子供がよく言うやつ)


 恋情も友情も親情も、彼女にとってはまだ同じものなのだろう。

 一番好きな異性だから結婚したいと言うようなことは、幼い子供には良くあることだ。

 きっとそういう感情だ。

 そうでなければ悲しい未来しかみえないから――ソフィアは勝手にそう解釈する事にした。

 

 同時にソフィアは今のターニャの、妖精と人を違う生き物として見ていない純粋さが凄いと思った。

 もう大人に近い自分は『人間でない』というだけで、どれだけ格好良くても、どれだけ強くても、そういう対象に入れられない。

 ルーカスでさえ、子供なんて無理! と、恋愛対象に入れないでいるのに。

 分別が出来ていると言えば格好いいかもしれない。

 けれどそんな垣根を何も考えないターニャが、とても羨ましくもある。


 絶対に妖精と結婚は無理ですなんて否定するのはかわいそうだ。

 しかし無責任に応援も出来ないので、会話を変えることにした。


「ターニャ王女、部屋の絵を見て回ってもいいですか?」

「どーぞ」

「積み重なってるのも見てみたいのですが、触るとやっぱりまずいです?」

「だいじょおぶ」

 

 描いている所を見たいと言ったけれど、丁度とても細かい部分を書き加えていっている所らしく、身を乗りだしていて、かぶさった髪や腕で絵はほとんど見えない状態だ。

 ソフィアへ対する返答も結構おざなりな感じで、よほど集中しているらしい。

 今は傍にいた方が集中力を乱してしまいそうだった。


「有り難うございます。完成したら呼んで下さいね」


 とだけ小さく言って、ソフィアは立ち上がって離れ、音を立てないように気をつけつつ、アトリエ内に所狭しと積まれたキャンパスをながめていく。

 許可をもらえたので、重なっているものも持ち上げて、下敷きになっていた絵も一枚一枚見させてもらった。

 もっと幼い頃に書いたものっぽい、とても拙いものも時々ひょこっと出て来て面白い。

 三歳の今でこれだけの量なのだから、きっと本当に毎日、ひたすら描き続けているのだろう。ものすごい熱意を絵に注いでいるようだ。

 

(すごいなぁ。どうすれば上手く描けるようになるのか、触りだけでも教えて欲しいわ)


 一枚持ち上げては横に積み、一枚持ち上げては積みを繰り返していたソフィア。

 

「あれ?」


 次に持ち上げたキャンパスの下から出てきたものは、裏側をむいていた。

 キャンパスは木で作った枠に木板を打ち付け、その表面に布を張ってつくるもの。

 なので、裏側は木の板だけの状態だ。

 

「割れてる? 変なところから」


 見える裏板部分に、変な割れがあった。


 端から割れていくなら乾燥などで割れたのだとまだ分かるのだ。

 でもこれは、中央辺りが何本か線状に割れてしまっていた。

 木目に沿ってはいないので、自然に出来たものではなさそうだ。

 よっぽど変な力の入れようをしたのか、それともキャンパスの中央に何か重いものを当ててしまったのか。

 指で触れると、裂けた部分が盛り上がっている。


 不思議に思いながら持ち上げる。


「……え」


 表を返したその瞬間。


 ソフィアの喉から、ヒュッと引きつった息が漏れた。

 嫌な感じに大きく強く心臓が跳ねて、体が固まってしまう。

  


 今手にしているのは何匹もの美しい妖精が、花の蜜を飲むため集まっている所を描いたものだった。

 鮮やかな赤い花と、美しい妖精たちが幻想的な雰囲気をだしている。

 しかしその素晴らしい絵は、鋭い刃物で何度も切りつけられたみたいに、ズタズタに裂かれている。


 裏まで達していた傷が数本だっただけ。

 表はまるで何度も何度も何度も、執拗にナイフを突き立て、切りつけたみたいな状態だ。



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