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ソフィアが帰った後。
彼女から返された本をしまう為、書庫へ来ていたルーカスに、リリーが声をかけてきた。
「ねぇ、どうして綺麗だと言ってあげなかったの?」
「え……?」
ルーカスは、ぽかんとした顔でリリーを見返した。
「ルーカス。あなた、ソフィアのことが好きなのでしょう?」
「それは、まぁ……」
「だったら猶更よ。気に入ったかどうかも重要だけれど。それよりも女の子がドレスアップしていたら、めいっぱい誉めてあげなければいけないわ! 綺麗だよとか可愛いよっていう、単純な言葉でいいのよ?」
「そうは言ってもだな……こう、言いやすい空気というものがあるだろう」
特にいい雰囲気という場面でもないのに、そういう言葉を口には出しにくい。
そんなにスラスラと口説き文句を日常から言えるほど、口が軽くはないのだ。
しかしそんな意見は受け入れてもらえず。
リリーは顔を鼻先に近付けて力説してくる。
「もう! ぐだぐだ言い訳しないで! ドレス姿のソフィア、可愛くなかったの?」
「っ、か、かわいかった、が」
自分が贈ったドレスを着てくれた姿を思い返したルーカスの頬が、じわじわと色づいていく。
あのドレスはソフィアに喜んでほしくて、デザインや色をリリーの意見を聞きながら、針子と何度もやり取りして作り上げたのだ。
アクセサリーも靴も、人気の職人で予約がいっぱいのところを工房に出向いて頼み込んで作ってもらった。
そのかいがあって、ソフィアは値段に恐縮しつつも気に入ってくれた。
着た姿はやはり似合っていたし、普段は薄めの化粧をしっかりと施し、髪型も変えて華やかな雰囲気になっていた。
子供みたいに姿鏡の前で回ってみせたりするのも、微笑ましかった。
「本番のパーティーではきちんと誉めてあげなさいね。きっと喜ぶわ」
「……喜ぶだろうか。ソフィアは、僕との友人関係を望んでいる。恋人になってほしいや、結婚してほしいという事を言う度に、困った顔をするんだ」
だからルーカスは、今まで通りに憎まれ口をきいたり、少しの意地悪を言ったりする。
『今まで通り』が、彼女が一番安心するらしいから。
(本当にほしいのは、『友人』ではないのだが)
でもソフィアがルーカスに許したのは、友人までだ。
それ以上には近づかせてくれない。
本を腕に抱いたまま、不安に表情を曇らせてしまう。
そんなルーカスに、リリーはふんわりと微笑みながら言ってくれる。
「きっと大丈夫。思ったことを言いなさい。喜ぶわ」
「そうか……」
ルーカスはリリーを心から信頼している。
ここまで彼女が言うのなら、本当に大丈夫なのだろう。
自信をもって、今度は正直に可愛いと、似合うと、口に出してみようと思うのだった。
* * *
フィリップ伯爵家に行った翌日の昼間。
今日のソフィアは城を訪れていた。
ルーカスも誘ったが、家庭教師との勉学と、夕方からは剣の稽古があるらしい。引きこもりのもやしっこ気質が剣なんてと驚いたけれど、慣れない事も色々と頑張っているようだ。
「ソフィア様。こちらへどうぞ」
「有り難うございます」
案内された部屋にいたのは、赤い髪を高い位置で結ったこの国の第三王子マークス。
そして人間の姿をとった上級妖精のジンだった。
「マークス様、ジン。こんにちは」
ドレスの裾を摘んで腰を落とし挨拶すると、マークスは笑顔で迎えてくれる。
「あぁ、ソフィア。元気そうでなによりだ。呼びつけてすまないな」
「いえ、ぜひ呼びつけてください」
「そうか? ソフィアの家は下級妖精が次から次へと湧き出てきて面白いから、また行きたいのだが」
「え、き、来たいんですか」
一度、彼が突然ソフィアの家に来た時、使用人たちが驚いて大騒動になってしまった。
まさか王子様がうちに来るなんてと、衝撃で気絶するものまでいた。
日時を指定して城に呼んでもらうのが、一番平穏なのだ。
もし訪ねてくるにしても長めの準備期間を貰いたいところだ。
「では、できる限り早めの連絡をお願いします」
頷いたマークスに、その後すすめられた椅子に腰かけたソフィアは、出されたお茶のカップを傾けながら首を傾げた。
「それでマークス様。私に会わせたい人とはいったい?」
「うちの妹だ。今、部屋に呼びに行かせているからすぐにくる」
「あぁ妹さん……。え、妹さん?」
「そうだ、存在くらいは知っているだろう?」
「も、もちろんですけど……! いきなり王女に会うなんて心の準備が!」
マークスと会うのは慣れてきて、そこまでの緊張を感じないようになっていた。
でも他の王族に会うのは動揺してしまう。
「気楽な態度で大丈夫だ。心配ない」
「でも王女殿下となんて何を話せば……あ。……あの、ものすごく今更なんですけど、マークス様のこと、王子殿下と呼んだ方がいいでしょうか」
「なんだ、本当に今更だな?」
「ですよね。申し訳ありません」
驚いた風に目を瞬いているマークスに、ソフィアは身を縮めた。
でも薄々気にしていたのだ。
王族相手に正式な敬称をつけないこと。
従兄弟なルーカスはともかく、ソフィアの立場ではまずいのではなかろうかと。
(最初に会った時が非常事態過ぎて、名前に様を付けるのが精いっぱいで、そのままいっちゃったのよね)
途中から呼び名を変えるのは、なんとなく違和感があって言い出せなかった。
そう告白したソフィアに、マークスは笑う。
「今まで通りでいい。正式な場では、ソフィアの立場がまずくなるから正すべきかもしれないが」
「そうですか」
ソフィアはほっと息を吐いた。
「わかりました。有り難うございます――あ、そうだ。お菓子を作ってきたのでよろしけば」
「なに?」
ピクリと、それまで会話には参加せずにいた寡黙なジンが反応した。
とたんに金色の目が、テーブルの上にだしたバスケットに注がれる。
表情は変わらないけれど体がわずかに左右にゆれて、そわそわとしているのが見て取れた。
言葉にも顔にも出ていないのに、お菓子につられている様子が可愛い。
ソフィアは、思わず小さく吹き出してしてしまった。
――その時、ドアがノックされた。
「失礼いたします。ターニャ王女殿下のお着きでございます」
「あぁ、入れてくれ」
「しちゅれいします、おにーさま」
侍女に付き添われて顔をだしたのは、赤いくるくるの髪をツインテールした、小さな女の子だ。
(わ、可愛い……確か、まだ三歳だったわよね)
ドレスは動きやすいように少し短めの丈で、幼児特有のフニフニとした足が見えていた。
ツインテールの根元には、大きなリボンが結ばれている。
「こちらですよ」と、侍女に手を引かれ部屋に入ってくる様子は、本当に可愛らしい。
(あぁぁほっぺぷにっぷに! 突っつきたい。ほおずりしたい。そんな事したら処されそうだけど!)
可愛い王女様の登場に思わず頬が緩んでしまったソフィアは、挨拶をするために立ち上がった。
しかし口を開く間も、頭を下げる間もなく。
キラリと青い目が光ったかと思えば。
「あぁ! ふぅぉぉぉぉぉ!! よーしぇーしゃぁぁぁん! いたぁ――――!!!!」
彼女はソフィアの斜め前の席にいたジンを発見するなり、耳が痛いほどの声を響かせながら、そっちへ凄い勢いで突進していった。
めちゃくちゃ素早いらしく、付いていた侍女が制止させようと伸ばした手は、全然間に合っていなかった。
「ターニャ! まずはソフィアに挨拶!」
「よーしぇしゃん! よーしぇしゃん! あしょびましょー!」
「聞け!」
「かたぐるま!」
「……ん」
「ジン、いいなりになるな! 甘すぎる!」
「やらないと泣くだろう」
「きゃははははは!」
突然賑やかになった空気に、ソフィアは驚き目を瞬いた。
どうやら彼女は、たいへんお転婆なお姫様のようだ。
そしてジンに、ものすごく懐いているらしい。




