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階段をいそいで降りて角を曲がり、廊下を駆け抜けて、玄関ホールへと一歩足を踏み入れた瞬間。
「ソフィア!」
「っ!」
大きな声にびくりと足を止めたソフィアの視界一杯に、赤が広がる。
「え……?」
瞬いて見下ろしてみると、真っ赤な、大きな大きな薔薇の花束だ。
濃厚な薔薇の香りが、玄関ホール全体を包んでいた。
いきなり目の前にそれを突き付けられたことにびっくりして目を瞬くソフィアに、久しぶりに会うルーカスは睨み上げてくる。
怒っているのかと一瞬思ったけれど、持っている薔薇と同じくらい真っ赤な顔から、照れているのだと察してしまった。
そんな、今まで見たことの無い様子のルーカスは、おもむろに口を開いて告げる。
「俺と結婚しろ……じゃなくて、してくだ、さい」
「……は?」
「きゃあぁぁぁぁぁ!」と、それまでルーカスの応対をしていた使用人から上がった大きな声は、ソフィアの耳にはとても遠いものとして聞こえた。
だが数舜してからハッと我に返った。
この少年は、一体何を言っているのだ。
ソフィアは慌ててぶんぶんと首を振った。
「ま、待ってください! 無理! 無理です……! いきなり何言ってるんですか!」
「どうして」
しゅんと眉を下げたルーカスは捨てられた子犬のようで、ソフィアは罪悪感に苛まれる。
(何!? 何で私が悪いふうなの!?)
「僕は、最初からソフィアと結婚したいと言っていた」
「いや、でもそれはリリーの為でしょう?」
「そうだな。意味は変わった。僕は、僕の為にソフィアと結婚したい」
「あの、ええと? ルーカス様、頭大丈夫ですか?」
「問題無い。今まで、たくさん酷いことを言ってすまなかった。償いならなんでもする。だが、ソフィアは僕にとって一生に一度の、たった一人の人だ。だから」
「何がだから!?」
「だから、誰かに奪われる前に求婚したかったんだ」
子どもゆえの短絡的思考なのか、ルーカスの言葉は真っ直ぐだった。
回りくどく飾ることも無く、言い訳するでもなく。
今までのことの謝罪と、そして求婚。
ただその二つだけを、彼は口にする。
真っ赤な薔薇の向こう側で、赤い顔でそんなことを告白したルーカスに、ソフィアは動揺しまくりながらも必死に首を振った。
突然すぎて、話についていけない。
でもとにかく、今の段階で「はい」とあっさり頷くことはありえない。
「お断りします!」
「なぜ……」
「そ、そんな泣きそうな顔したって駄目です! あぁぁルーカス様の殊勝な態度って調子狂う! えっと、だ、だってルーカス様は十歳で、とても恋愛対象としてなんて考えていませんでしたし!」
一番最初の出会いの時。
妖精リリーの菓子職人としてルーカスと結婚をしろと命じられた瞬間に、まず頭にのぼったのが年齢差だった。
五歳差というのは、結婚相手として無くはない。
でも、十歳というまだまだ子供な年齢と、十五歳という成人に近い年齢は、とても大きな差がある。
彼は『子供』なのだ。
だからソフィアはまず最初にルーカスとのそんな関係は『絶対にありえない』と思った。
そう思っていたのに、突然、今度は妖精の為でもなんでもなく、ただソフィアが好きだから結婚したいという。
真っ直ぐで真摯な想いはソフィアを狼狽させたし、恥ずかしさに真っ赤になっているけれど。
『絶対にありえない』と何よりもの前提にあったものを覆すのは、そう簡単ではないのだ。
ただ突然すぎて。混乱しすぎて――今の段階では、ルーカスを伴侶として考えられない。
そう伝えたソフィアに、ルーカスは引き下がらなかった。
「だったら友人からでいい。そこから何年掛けたってかまわない。でも将来的には、絶対ソフィアを僕のものにしたい。僕だけのものになって欲しい。何よりもまた……一緒に菓子を食べる時間が、欲しいんだ」
「お、かし……」
「駄目だろうか? 友人にも、もうなれないか?」
「うっ…」
「もう、僕にお菓子を作ってはくれないほど、嫌われてしまっただろうか」
「うぅぅっ……」
キラキラと目を潤ませて、ソフィアを見上げてくる金髪碧眼の美少年。
どこからどう見ても儚げで無垢な少年が、赤い薔薇を捧げて愛の言葉を紡ぐ姿の迫力は、本気でとてつもない。
その証拠に、使用人はもとより、いつの間にか玄関ホールに出て来ていた姉のアンナとオーリーまでもが、とてもとても期待にみちた目でこちらを見守っていた。
末っ子のソフィアが愛の告白を受けている場面に、瞳を輝かせている。
たいていの女性は恋愛話が好きなもの。それを生で見られることに、ワクワクを隠しきれないらしい。
ここで、このいたいけな少年の切なるお願いを断ると、きっと周囲から残念そうなため息が漏れるだろう。
(いや、それは別に構わないか。……私が…私が、どう思うか……)
少し考えて、ソフィアは自分の肩ほどの身長しかないルーカスを見下ろす。
目の前に彼が居ることが、素直に嬉しいと思ってしまう。
―――ソフィアは、彼に会いたかった。
ここで本当に何もかもを突っぱねれば、もう本当の本当に縁が切れてしまう。
それがどうしてかわからないけれど、とても寂しくて。とても嫌で。
だから、彼との縁を繋いでいたいと思った。
(結婚は、流石に無理だけど……!)
「っ――しっ仕方がないから、今度はほんとのお友達として、仲良くしてあげても良いですよ!」
妖精の菓子職人としてではなく、本当の友人として向き合ってみることにした。
真っ赤になっていると自分でもわかる顔で、そうやって少し突っぱねた口調で応えながら薔薇の花を受け取ると、ルーカスはほっと肩の力を抜いたようだった。
「有り難う。ソフィア」
「と、友達ですよ! 友達! ただの茶のみ友達!」
別に、結婚なんて大それたこと考えていないんだから! と、あくまで『友達』を強調した。
そうやって、けん制までしてみたのに。
「僕の、初めての、友達だ」
ふわりと浮かべたルーカスの笑顔が、本当にただの子供みたいな無邪気なものだったから。
結局ソフィアもつられて嬉しくなって、声を上げて笑ってしまった。
「……ルーカス様。今日はパンケーキを作る予定なんです。一緒に召し上がられますか?」
「あぁ……!」
「私も頂きたいわ」
嬉しそうに頷いたルーカスの後ろから、ひょっこりと顔を出したのは妖精のリリーだ。
そんなところに隠れていたのかと、ソフィアはまた笑いを漏らした。
更に『パンケーキ』という単語に釣られたのか、下級妖精たちがわらわらと集まりだした。
どうやら今日は、たくさんパンケーキを焼かなくてはならないようだ。
「よしっ! やりますか」
――――十歳の子供の淡い初恋を、ソフィアはどこまで本気で考えればよいのか分からない。
彼との未来がどうなっていくのか、想像さえつかないけれど。
この憎たらしいのに憎めない少年と、騒々しくも可愛らしい妖精たちと、お菓子を囲んだ幸せな時間を、これからもずっと過ごしていきたいと、思うのだった。




