39
暗く絶望に沈んでいた玄関ホールに、開かれた扉からの風が吹き抜けた。
ソフィアの蜂蜜色の髪が揺れる。
その開いた扉から現れた誰かは、エリオットの方へ駆けていくと、突然もの凄い脚力で大きく跳び上がった。
(高っ……!)
高く造られている玄関ホールの、天井ぎりぎりにまで跳んでしまった。
彼は、エリオットが侵入者に気づいて振り返るよりも更に前に、華麗な跳び蹴りを命中させる。
「ぐはっ!?!?」
エリオットの身体が、飛んでいく。
あまりにあっという間の出来事に、ソフィアの目はまん丸だ。
びっくりして眺めているしか、出来なかった。
跳び蹴りをくらわされてひっくり返ったエリオットとは真逆に、優雅に格好良く男は床に降り立つ。
その人物の顔を見て、ソフィアは気がついた。
「あ! 貴方……! 前にティーサロンで助けてくれた人!?」
突然現れて助けてくれた人は、褐色の肌に彫りの深い顔立ちと、筋肉質かつ大柄な体躯をもった、外国の人だろう容姿の男の人。
とても特徴的な外見だから、一目で分かった。
以前にソフィアがティーサロンでエリオットと会い、揉めていた時、助けに入ってくれた男の人で間違いない。
どうしてこんなところに現れて、また助けてくれたのか。
驚きと困惑で、ソフィアは妖精を握っている手に、思わず力を込めてしまう。
「ぐえっ。ソフィアさん、くるし……」
「…………」
手の中からあがるうめき声を聞き流しながら、ソフィアはぽかんと男の人を見上げた。
(この妖精が、手紙を届けた相手がこの人なの……? ということは、彼も妖精が見えるってこと?)
聞こうとした。
でも、ソフィアが訊ねるよりも前に、玄関扉から別の男が現れたのだ。
「ジン! 平気か!?」
フードをかぶった人で、声からして男の人だ。
こちらも前にティーサロンでおそらく会った人なのだと思う。
背格好は同じだけれど、前も今回も顔が見えないので同一人物かの確証はまだ出来ない。
ジンと呼ばれた褐色の肌の男が、フードの男を振り返り頷く。
「あぁ、問題なく片付いた」
「そうか……一応、数も連れて来てるのに。お前、中の騒動に気付くなり真っ先に動くんだから……」
フードをかぶった方の男の人は、ため息を吐いたあと。
玄関に仁王立ちしたまま指をまっすぐに、ひっくり返った体制から起き上がろうとしているエリオットを指した。
フードの下から覗いた彼の口から、張りのある凛とした声が発せられる。
「全員、突入……! エリオット・フィリップを捕縛しろ!」
声に従い、彼の後ろから十人ほどの武装した男達がなだれ込んで来た。
「え? え? 何!?」
展開について行けないソフィアを余所に、武装した沢山の人たちがそろってエリオットを押さえつける。
そしてソフィアとルーカスを守るように、取り囲んだ。
「何だ! 一体なんだんだお前たちは! 私が誰だか知っているのか!」
「エリオット・フィリップ! 大人しくしろ!」
「拘束しろ! 縄を!」
「先に武器を奪え!」
「ええい! 邪魔をするな! 私の未来の為に、必要なことなのだ!」
エリオットの持っていた短剣は武装した人に取り上げられ、あっさりと後ろ手に縄で拘束されていく。
それでも暴れるエリオットに、褐色の肌の男性が首の後ろに手刀をくらわせた。
「静かにしろ」
「ぅ…………」
小さなうめき声を最後に、エリオットががくりと意識を落とすのを見送った後。
一瞬の静けさの後、はっと我に返ったソフィアは声を上げた。
「ルーカス様! 無事ですか! 生きてますか!」
確かめようと、慌てて立ち上がろうとした。
けれど、ソフィアの身体は途中で力を無くしてふらついて、蹴躓く。
(お腹、痛……)
蹴られた腹部がじんじん痛む。
腕から滴る、ぬめる生暖かな液体で染められた服や床の赤が気持ち悪い。錆びの様な臭いが鼻につく。
ソフィアは顔をゆがめた。
「ソフィア、私が」
結局、リリーが飛んでルーカスの方へ行くのを歯がみして見るしかないようだ。
ソフィアは自分でルーカスの顔を見たいのに。
生きているのか、確かめたいのに。
身体が思うように動かなくて、悔しい。
「大丈夫か?」
ふと気づくと、フードをかぶった方の男が目の前に居た。
彼は血で汚れているのに気にする様子無く、かがんで手を差し出してくれる。
「あ、有り難うございます。わ、えっ!?」
「よっと……体重全部預けて構わないぞ」
ソフィアはそのまま彼に抱き上げられ、横抱きにされてしまう。
(お、お姫様抱っこ……!)
乙女の憧れを、うっかりされてしまった。
(ど、どうしよう、恥ずかしい! でもちょっと嬉しい!)
しかももの凄く軽々と抱き上げられてしまっている。
細身に見えるのにとても力持ちで、逞しい人だ。
男の人にお姫様抱っこされるという状況にちょっと動揺したけれど、でもすぐに今は照れている場合では無いと思い直す。
「あの……あな、たは?」
「ん? 私の顔に見覚えがないか? あぁ、これが邪魔か……すまない」
そう言ってフードをかぶっていた男の人は、首を振ってフードをふるい落とした。
「これでどうだろう。分かるだろうか」
「ええっと……」
現れたのは、ポニーテールに結った鮮やかな赤い髪の、爽やかな容姿をした青年。
赤い髪とは対照的に、彼の瞳は青かった。
声と同じ、凛とした強さを全身からなんとなく感じる人。
ソフィアはまじまじとその顔を見つめた後、おそるおそる口を開いた。
フードを取ってもらって分かった。
見覚えは、ある人だ。でも同一人物だと確証するのが怖かった。
「…………えっと、第三王子の……マークス様?」
出来れば勘違いであって欲しいと思って小さな声で言ってみたけれど、フードをかぶっていた男の人は爽やかに笑って頷いてしまう。
「正解だ」
「ひえっ! 本物!」
「ぐえっ! くるしい」
まだ妖精を握った手に力が入ってしまった。
「あ、ごめん。握ったままだった」
手を開いて離すと、妖精は弱々しげに飛び上がりソフィアの肩に留まる。
「っていうか、凄い人って言って手紙を託したけど、凄すぎるわよ」
「うふふ」
「褒めてない! しかも返事を貰ってくるんじゃなく連れてくるなんてどういう事! それに帰るの遅くない⁉ 何してたのよ! 探したんだからね!」
「責めてやるな。私が引き留めたんだ」
「う……は、はい。―――マークス様も、妖精が見えるのですね」
「あぁ。手紙には警戒してか名前など書いてなかっただろう? 妖精から色々聞き出していた」
「そう、でしたか……」
どこの誰に届くか分からないから、託した手紙には名前も詳しい情報も書いていなかった。
しかし妖精への口止めは完全にし忘れていた。
結果的には、妖精がマークスに話してくれたことでこうして助かったわけなのだが。
(それにしても王子様にお姫様抱っこって……! 怖い! 怖すぎる!)
畏れ多すぎて怖い。申し訳ない。
さらに自分の血で王子様まで汚してしまっている事態に気づいてしまった。
これ以上この体勢はいけないだろう。
「あの、すみません。自分で立てます」
「何を言ってる。ふらふらで立てていないだろう。良いから、とにかく傷部分を強く押さえておけ。すぐに医者を手配する」
「ええと、でも、王子様に迷惑かけるのは……」
「平気だから。大人しくしていろ。――――誰か、ソフィアに応急手当を頼む。残ったものは、屋敷の使用人たち全員を一所に集めて見張っておいてくれ。逃がさないようにな」
マークスが呼んだ武装した男達の一人……騎士の身分らしい人が、横から布をきつく巻いて止血をしてくれた。
ルーカスの方も、騎士の人にお姫様抱っこで運ばれていくようだった。
ソフィアは自分の前を抱かれながら横切ったルーカスに声をかける
「ルーカス様! 大丈夫ですか!」
「ソ、フィア」
弱々しげだが、返事があった。手が、反応する様に揺れている。
ソフィアは意識があった事にほっと息を吐いた。
次いで、ルーカスを抱いている騎士に視線をおくると「すぐに手当すれば、命に別状はないでしょう」と言って貰えた。
ルーカスのそばを飛んでいるリリーも涙目ながら安堵した表情だ。
「良かった……」
出来れば駆け寄って、もっときちんと様子を見たいところだけれど、この体勢ではどうしようもできない。
国の王子様を無理矢理振りほどく勇気がないのはもちろん、失血でふらふらで自力で行けそうもなかった。
「あ、あの、マークス様。有り難うございます。そういえば、マークス様のお母様の王妃様とルーカス様のお母様って姉妹なんですよね。ということはルーカス様とマークス様は従兄弟同士で……だから助けてくれたんですか?」
「違う。従兄弟だからじゃない。私は、君に呼ばれたから来たんだ」
「え」
従兄弟のルーカスが困っていると知ったから手を貸してくれたのでは無いのか。
ソフィアのしたことなんて、手紙を託しただけ。
それだけで、一国の王子が動いてくれるものなのか。
「まずは改めてお詫びを。君の妖精を長い間、借りてて悪かったな。事情を聞き出すのになかなか意思疎通がままならなくて。色々と証拠集めをしてから捕縛に来たんだが、まさかこんな刃傷沙汰になっている場面に噛み合うとは。暴れられるのを予想して騎士を連れてきて良かった」
「いえ……私の妖精ってわけではないですし。会話がなりたたないのは、この子相手じゃ当然ですし。でも、あんな簡素な手紙で王子様自ら動いてくださるなんて、一体どうして?」
「それは……いや、これ以上の話は怪我の手当をしてからが良いか。ここで簡単な手当を済ませたら、悪いが城に運ばせて貰う。今回の事件についても、きちんと話を聞かないとならないし、気まますぎる下級妖精を動かすことが出来るほどの菓子にも興味がある」
「あぁ、お菓子のこと話したんですね」
「とても褒めて自慢していたぞ。あとはそうだ、急ぎで君の家にも遣いを送らなくては」
「家!? 駄目。駄目です。やだ」
「何故だ?」
「怒られるからっ!」
家族に危ない事に首をつっこんでいたこと、それで怪我をしたことを知られたらと想像してソフィアは青ざめた。
「そんな訳にはいかないだろう? 隠しておける怪我ではない」
「やだやだやだ!!!」
「駄々をこねるんじゃない」
「だってうちの姉様! 本気で怒ったら、ものすっっっごい怖いんです!!!」
必死に拒絶しまくったけれど、困ったような微笑みでやんわりと却下されてしまった。
頭にツノを生やしメラメラと燃え上がる姉の姿が、ソフィアの脳裏に浮かぶのだった。




