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妖精専属菓子職人  作者: おきょう
本編

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20/91

20


 とても天気の良い、雲一つない爽やかな日。


 ソフィアはお菓子を入れたピクニックバスケットを手に、フィリップ伯爵家を訪ねていた。

 顔なじみになった門番に門を通してもらい、そのまま執事に引き渡され部屋へ案内される。

 そうしてドアを開いた、もう慣れたルーカスの私室。


「お邪魔しまーす――……ん?」


 そこへ一歩足を踏み入れるなり、ソフィアは違和感にエメラルドグリーンの瞳を瞬いた。

 

 なんだか空気が、すごく――重いような感じがしたのだ。

 首をひねりつつも視線を巡らせてすぐ、あるものを見つけた。


「え……?」


 部屋の奥に置かれたベッドに、ぐったりと横たわるルーカスだ。


「え、ちょっと。ど、どうしたんですか!? 風邪!? 食あたり!?」


 慌ててベッドに寄って行くと、ルーカスの枕元にはリリーの姿もあった。


「リリー? 一体どうしたの。大丈夫?」


 ソフィアの声に顔をあげた彼女の目元は、まるで泣きはらしたみたいに真っ赤に腫れている。


「ソフィア……」


 いつものツンとすましたリリーとは全く違う反応。

 青い瞳をまるで縋るようにソフィアへと向ける彼女は、今にも壊れてしまいそうなくらい、弱っているように見えた。


 リリーのこの憔悴した様子からして、もしかするとただ事ではないのかもしれない。 

 たった三日会わなかった間に、ルーカスは一体どうしてしまったのか。


 ソフィアは、無意識にぎゅっと胸のあたりの服地を手で握り込んで、唇を引き結んだ。

 

(門番さんも執事さんも、何も言ってなかったのに)


 訪ねた相手が病気か怪我で伏せっているのなら。

 たいていは門番に挨拶した時点で、会うのは断られるはずなのだ。


 なのにソフィアは門番とも執事とも、本当にいつも通り挨拶と世間話をした。

 いつもと同じように、ここに案内された。

 まるで何も起こってなんていないように。


 当主の息子が体調を崩しているのを、使用人である門番も執事も知らなかったのだろうか。

 普通は、そんなこと有り得ないのだが。

 困惑しながらも、ソフィアは周りを見回して更に眉を寄せる。

 

(なんか、看病されている感じがない……?)


 ルーカスの傍には、何もなかった。


 看病してくれる大人も。

 水やレモン水などの飲み物も。

 一口サイズに切った果物も。

 汗を吹くタオルや、額を冷やす布も。


 ソフィアが病気のときには必ずベッドサイドに用意されるようなものが、何も見当たらないのだ。

 

(部屋の空気もじっとりと籠ってる感じ。換気もされてないのかも)


 重く感じた空気は、このせいだろうか。


「……ちょっと、失礼しますね」


 ソフィアはバスケットをベッドのサイドテーブルに置くと、ルーカスの額に手を伸ばした。

 汗で肌に貼りついた金髪をそっと払い、手のひらをあてる。

 触れた瞬間に伝わってくる、うだるような熱。

 やはりかなり高い熱を出しているようだ。

 眉を顰めるソフィアに、リリーが力なく口を開く。


「……これでも、ずいぶん落ち着いたの」

「もっと高かったっていうこと?」

「そうよ。下がりはじめて良かった……」

「…………。ねぇ。十歳の子供がこんな状態なのに、どうしてこんな……誰も気にかけていないの?」

「それは……」


 ソフィアの言葉に、リリーは気まずそうに目を伏せた。

 話すのが嫌な内容なのだろうか。

 ソフィアはとにかく、ポケットからハンカチを取り出してルーカスの汗ばんだ額と首元を拭う。


(できれば着替えさせたいんだけど……)


 さすがに、そこまでは余計なお世話かもしれない。


 でも……病人にたいする気遣いが何も感じられない家に、ソフィアは憤らずにはいられなかった。


(こんなに苦しそうにしている子供を、誰も看病していないのって絶対変! この屋敷、大人の人結構いるのに。普通に、何もなかったみたいに、誰もが動いてるのは……なんで?)


 十歳の子供が伏せっている。

 こんなにもぐったりとしていて、苦しそうにしている。

 はぁはぁと吐き出す荒い息。

 頬周辺は赤く火照っているのに、他はずいぶん青白い。


 これでも落ち着いて熱が下がったところだということは、もっと悪かったということなのに。

 放置して、周囲はいつも通り、同じ生活を送っているなんて。

 絶対に、おかしい。


「っ……」


 ぞわりと、ソフィアの背筋に悪寒が走った。


(この屋敷、大丈夫……じゃないよね?)


 この家のおかしさに気が付いてしまった。


「……ず」

「え……?」


 混乱するソフィアの耳にふいに届いたのは、掠れた、吐息まじりの声だ。

 声を発したルーカスを見ると、ソフィアが触れたことで起きてしまったのか、もしくは元々起きていたのか、薄らと瞼が開き、青い瞳が覗いていた。

 でも焦点が揺らいでいて、視線は合わない。

 ソフィアがここに居ることに気づいているのかどうも分からなかった。


「――――み、ず」

「え、あ、……水ね。ちょっと待ってって……!」


 分からないけれど、とにかく彼は水を飲みたがっている。

 病人に水分不足はいけないことだと、医療について素人のソフィアでも知っている。

 ソフィアは慌てて部屋を飛び出し、水を持ってきてもらうためにメイドを探すことにした。


「えっと、メイドさん……」

「メイドには頼まないで」

「え……」


 気が付くと、廊下に立つソフィアのすぐそばにリリーが飛んでいた。

 赤い目元をぐしぐし擦るった彼女は、鼻をすすってから前を向き、指を差す。


「直接、井戸に汲みに行きなさい……私じゃどれだけ頑張っても一口ずつくらいしか運べないから、助かったわ。――こっちよ。案内するわ」

「う、うん。分かった」


 リリーが『メイドには頼まないで』と言うからには、何か理由があるのだろう。

 ソフィアは自分で水をくむために、案内された通りに屋敷の中を歩いて、裏口から外に出る。

 裏庭の脇には井戸があった。

 そのそばに幾つか木製の容器が積まれていたので、一つ拝借して、くみ上げた水を入れる。


 そして水を入れた容器を抱えたまま、ソフィアはリリーと一緒にルーカスの部屋に戻った。


「そこの戸棚にグラスが入ってるわ」

「ここね」


 ソフィアがリリーに言われるままに開いた戸棚にはグラスや食器がそろっている。

 キッチンではなく、子どもの私室にこれだけの食器がそろっているなんて。

 ソフィアの疑問を読んだらしいリリーが答えてくれる。


「いつも自分で食事を用意して、後片付けしてここにしまっているからね。食器もルーカスが自分で管理してるのよ」

「そんな……メイドさんは? 料理人は、ご飯を作ってくれないの?」


 少し躊躇する様子を見せたリリーだった。

 しばらく悩んでいるみたいだったけれど、結局、今度は話すと決めてくれたらしい。

 ソフィアの肩にとまりつつ、力ない声で質問に答えてくれる。


「……作りはするわよ。一応、見かけだけだけど仕事はするの。外の人から見て、ごく普通に見えるくらいには。でも作ったものは……危険だから、食べちゃダメ」

「なん、で?」

「ルーカスはね、屋敷の誰かに毒を盛られたの。エリオットの命令で。これまでにも何度かあったことだから、ルーカスは食べるものには気をつけてたわ」

「は?」

「屋敷で働いている人間は、今はもう全員エリオットのお人形さんよ。昔は味方になってくれた使用人もいたけれど、みんなエリオットが追い出して入れ替えてしまったわ」

「えっと……ま、まって。リリー?」

「エリオットは、ルーカスが邪魔なのよ」

「っ……」


 動揺に、ソフィアの唇がわなわな震える。

 

 リリーの話してくれた内容は、あまりに衝撃的なことだった。




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