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妖精の菓子職人になって欲しいというルーカスの言葉。
もちろんソフィアは、そんな話に頷くことなんて出来なかった。
「えーと、それはつまり、リリーの食べるお菓子を作る職人として、ルーカス様に雇われろってことでしょうか。あの、私一応それなりの規模の商会の娘なんですけれど」
平民とはいっても、そこそこの商家の娘。
花嫁修業や教養を養う為に侍女として貴族の家に仕える場合もあるにはある。
でもさすがに、菓子職人として働きに出るのはありえない。
(まぁ、うちの親は私が本気で菓子職人になりたいって言ったら、応援してくれるかもだけど)
でも、ソフィアが嫌だった。
だって本気で菓子職人として生きていくつもりなんて、今のところ無いのだ。
菓子作りが好きではあるけれど、そこまで熱い情熱を傾けているものでもない。
好きな時に好きなように、好きなものを作りたい。
雇い主の意向に沿いつつなんて、そんなのきっと楽しくない。
「就職の勧誘でしたら、お断りします」
「いや、別にうちで働けなんて言ってはないぞ」
「え? だってさっき、菓子職人にって……」
「言い方がおかしかったか……職人として雇うということは、何かあれば辞める可能性があるということだ。だからそれは駄目だ」
「はぁ……」
「僕はな、毎日リリーがお菓子をおいしそうに食べている幸せそうな顔が見たいんだ。 一生、ずっと、毎日だ!」
毎日リリーがお菓子を食べて幸せそうにしている姿を想像しているのか、ルーカスはうっとりと宙を見ていた。
しかし直ぐにソフィアへと視線を戻した。
「それを実現する為には、一生離れずにここにいる立場になってもらわないといけない――――つまり、ソフィアに僕の妻になれと言ってるんだ」
「は?」
「表向きには僕の為に手づから菓子を焼いてくれる優しい奥さんってことで。そして裏では毎日、リリーの為の菓子職人として働け。そうすれば僕の愛しいリリーは、毎日ソフィアのお菓子を食べられるわけだ! 僕が生きている間ずっと、一生だよ!? これすごい名案じゃないか?」
「…………」
本当に、ものすごく良い案だという風に、ルーカスは胸を張る。
「リリーも毎日美味しい菓子が出るのは嬉しいだろう?」
「まぁそうね」
「だろ? だから、ね? ――――ソフィアおねえさん。僕の妖精のために、僕の奥さんになってよ」
最後だけ、可愛い天使の笑顔で、怖いほどに柔らかな声色で、ルーカスは「ね?」と首をかしげる。
ソフィアは胡乱気な目で小柄な少年を見下ろした。
(頭痛がしてきた……)
目の前の妖精に夢中になるあまり、まったく周りが見えていない子供に、心底あきれた。彼の提案は馬鹿馬鹿しすぎる。
(妻って。結婚って……ありえない。私はこんな子供なんて、絶対ごめんなんですけど!)
十五歳のソフィアにとって、自分の胸ほどの高さ程度の身長しかない、十歳くらいの男の子なんてまったくの恋愛対象外だ。
彼はまだ、何処からどう見ても子供で、声変わりだってしてない上、大人の男性らしさだって全く無い。
あと数年すれば成長期に入って変わるだろう。
五歳差というのは、結婚相手として成り立つ年齢差でもある。
けれど、現状でこんな子供を伴侶の対象になんて考えることは、不可能だった。
金髪碧眼に、めちゃくちゃ可愛い容姿の、妖精にキラキラした目を向けて幸せそうにしているする、無邪気な子ども。
可愛いなぁと愛でる対象にはなるけれど、結婚相手になんて本当に絶対に考えられない。
そもそも身分の違う娘を、お菓子の為だけに娶ろうなんて有り得ない思い付きすぎる。周りが許さないだろう。
なのにそんな突拍子もない思い付きを自信満々に口にするルーカス。
(うん、とっても子供らしい意味不明な我儘ね。ここは年上のお姉さんとして、きっちり言ってあげないと!)
ソフィアは背筋を正して、口を開いた。
「あのですね、ルーカス様。私はそんなのお断りです。妖精のリリーの喜ぶお菓子を一生与え続けてやりたいという理由だけでの結婚だなんて、馬鹿げてます。あり得ないです。そもそも私は、素敵な大人な男性と恋をして結婚するって決めてるんです!」
ソフィアの両親は恋愛結婚。
三人兄弟で兄と姉が一人ずついるけれど、その二人とも恋愛結婚だった。
ソフィアも愛している人のもとに嫁ぎなさいと言われている。
自分の意思で素敵な異性との未来を掴むのだと、もう決めているのだ。
こんな我儘のお子様が相手だなんてありえないし、貴族との結婚だって考えたこともない。
「私は、想い合ってない相手となんて嫌です! あなたとは結婚しません!」
ソフィアの反論に、ルーカスは馬鹿にするかのように「はっ」と鼻を鳴らした。
パウンドケーキを一口頬張ってから、淡々と彼は言う。
「お前の意見はどうでもいい」
「はぁ?」
平民の意見なんて聞く価値もないと言うことだろうか。
腹が立つ余りに額に青筋を立てたソフィアは、きつい口調でまくし立ててやる。
「だいたい、ルーカス様にこれから好きな人が出来たらどうするんです! 妖精の為に私を連れてたら、その人との恋が出来ませんよ!」
「恋? ばっからしい。僕は恋なんて一生する予定ないから。政略結婚の話が来ても頷くつもりはないしな」
「はあぁぁぁぁぁ!?」
十歳になるかならないかに見える容姿の少年が使う、『一生恋しない』という言葉なんて、ソフィアはまったくの重みを感じられなかった。
明日気が変わって誰かを好きになってても不思議じゃないくらい、彼の言葉は信じられない。
政略結婚がきたとしても断わると言うが、政略的な結婚なのだからそうそう簡単に断れるものではないと理解してもいないのだろう。
(このお坊ちゃん、そうとうな馬鹿! 天使っぽい演技が上手だけど頭は馬鹿!)
本当に、一生ソフィアのお菓子を得続ける為だけの結婚なんて、絶対に有り得ない。
すぐに気の変わる子供のざれごとだろう。
本気にするだけ無駄な話だ。
(でも、どう言ったら諦めてくれるんだろう……まともに話通じないし。もうそろそろ帰りたい……)
話の通じない我儘な貴族のお子様相手に、これ以上どう対応すれば良いのか分からなくなった。
途方にくれたソフィアは、大きなため息を吐くのだった。
――その時。
苛々としていたソフィアの耳に、控えめなノックの音が届いた。
「ルーカス、客人がいらしてるのかい? 私も挨拶しようか」
低い大人の男の人の声に、ソフィアは扉の方を振り返るのだった。




