一刀斬暗雲
メリダ老はすでに、生還を度外視している。
自分は助かるまい。曲りなりにもこれからここに『神』を呼ぶのだ。傍に黄金の女という神と縁深きものがいるゆえに成功の望みはある。
「はぁ……はぁ……」
上ずった喘ぎ声をもらしながらも一念に祈祷する。
傍には彼女に付き従う神殿騎士達が大秘術の支援をするべく聖句を唱え、いまだに迫るアンデットの群れを浄化し、払い、時間を稼いでいた。
口中に溢れかえる鮮血の鉄臭さを吐き捨てて、再度印を切る。
あの屍の巨人はこちらには来ない。黄金の女ローズメイと、彼女との縁を手繰って冥府より現れた8騎たち。
彼らを呼び出したのはメリダ老だと周囲の皆は思っているだろうが、実際は違う。
彼女たち神殿騎士にできるのは彷徨い出でた魂を正しい場所へと送り返すことであり、死者を生前と代わらぬ姿で蘇らせ、一時的な助力を得るなど誰もなしたことがないだろう。むしろそれこそ酷使者の得意分野になるはずだ。
何かが、自分たちに力を貸している。
闇が濃ければ光が強さを増すように、邪神の力が強まるにつれ、善神も正しき力を増しているかのようであった。
あと少し、あと少しを乗り切ることができれば。
魔力を全て削り、後は自分自身の生命力を注ぎ込みながら、メリダ老は集中した。
死者が蘇る。
恐怖であろう。
だが最前線で、その恐怖と戦えることを知らしめるものがいれば――恐れを抱きながらも己が手に対抗できる手段があると思い出すのだ。
人間は、自分達が思っているほど弱くはないのだ。
「吹けぇー!!」
火尖槍が先端から液体燃料を勢いよく噴霧し、着火したそれらは炎の槍となってあたりを焼き尽くす。
神殿騎士団が秘蔵し、人間同士の戦いでは威力と残虐性から使用が禁止された兵器は、この世の理に外れた敵を排除していく。
「狙うなら足だ、その後は転がせぇ!」
「おおぉ!」
人間は、慣れる。
最初こそ蘇ってくる敵に恐怖したものの、足を狙って攻撃して機動力を奪い、突き落とせば容易には脅威にならぬと学習する。戦えるのだ、人間はこのような超常的な相手にも。
そんな後列の様子をちらり、と盗み見ながらローズメイは敵を見た。
「お前達、まだやれるな!」
『お気遣いなく、もう死んでおりますゆえ』
彷徨い出でたかつての部下達に声をかければ、どこか可笑しげに一人が答える。
誰も彼も、生前と変わらぬ姿。敵は多く自分達は満身創痍。不意にローズメイはここが夢の中ではないかという錯覚を覚えたほどに……昔と一緒だった。
あるいはこれまでの数ヶ月、醜女将軍からただのローズメイとなってからの時間は、自分の首が空中に飛ぶ間に見た刹那の夢だったのではないかと思うほどだ。
詮無い考えである。
状況はじりじりとだが優勢に傾きつつある。ローズメイと配下8騎はすでに何体もの屍の巨人を屠り去っている。
「援軍だぁー!!」
「ありゃどこの……昼下がりまで戦っていた敵のだぞ!!」
「ほぅ、やる……あの敵の指揮官、こっちに兵を回したか」
ローズメイは遠くから聞こえる兵士の叫び声と、将兵の気勢があがる様に胸をなでおろす。
そして、ちらりと屍の巨人たちに視線を向けた。
敵はすでに形を変えつつある。屍の巨人をすでに数体瞬殺するローズメイたちに馬鹿正直にぶつかってはもう勝てぬと判断したのだろう……今度は複数の屍を一つにまとめ、四足歩行の獣の如き姿へと変えてくる。
『姫様っ、お下がりを!』
これを、止める手立てはない。
彼女に従う亡霊騎士の一人が気遣わしげな声をかける。
相手は単純な大質量に任せて勢いでローズメイたちの守りを破り、戦局をかえる一手を準備するメリダ老を始末するつもりだろう。
「いや、構わん」
だがローズメイは一個の巨大な四足の巨人を前に――まるで自分自身も巨人となったかのような堂々とした足取りで狼龍シーラから降り、地面を踏みしめる。
不思議だ。
今や彼女の五体には不可思議な確信が満ちている。
あれほどの大質量に自分は対抗できるのか、という不安が過ぎる一方で……ローズメイの脳裏には、醜女将軍だった時代の自分の姿が横切っていく。
醜い頃の自分が、今の自分を励ますかのよう。
普通に姫として成長し、愛しい人と家庭を持って生きていくことをかなぐり捨ててまで得た強力が……あんな魂も何も持たない、ただ大きいだけがとりえの塊になど負けるものか。
ローズメイは突進した。
『姫様?!』と後ろで8騎が、死者よりも無謀な蛮行に出る姫様に呆れと驚きの声をあげるがローズメイは気にしてもいない。
彼女はやはり、勝負の天才だった。相手が疾走して加速するよりも、相手が静止している状況で殴ったほうが相手の姿勢を崩せると踏んだのだ。避けるや、逃げる、などの方法は頭にはない。
四足の屍の巨人を相手に低い弾道からもぐりこんで、拳骨を握り締めた。
神話の英雄の如き腕力で力いっぱい殴りつける。
相手に声帯はないものの、あれば恐怖と困惑の悲鳴をあげさせただろう。
ローズメイはそのまま相手の胴体から突き出ている牙の如き肋骨をむんずと掴むと……そのまま……ゆっくりと持ち上げ始めていた。
「ば……ば……馬鹿な」
今や邪神の寄り代となったアンダルム男爵が、開いた口が塞がらないというように呻いた。
重量の差は100倍どころでは効かない。ローズメイが醜女将軍の目方を持っていたとしても重量差は歴然のはずだ。ローズメイが幾ら力を込めようが、持ち上がるのは彼女自身であって相手ではないはず。
なのに。
その致命的な重量差を無視してローズメイは相手を持ち上げる――それで相手にとっては十分だった。
巨体を維持する為に四足歩行という形を取ろうとしたのだろう。しかしローズメイの馬鹿力によって重量が前半分に圧し掛かり、自重に耐え切れずに半ばからへし折れていく。
みしみしと欠陥を抱えた建物が自壊するかのように、四足の屍の巨人は全身を崩落させる。
「……しょせん、無理やり形を真似ただけの巨人か! で、どうする、酷使者、打つ手なしか?!」
鼻を鳴らして敵を睨むローズメイに対し、アンダルム男爵に潜む邪神は大声で――意外な言葉を発する。
「セルディオ、今こそその女を始末せよ!」
「なにっ」
ローズメイが、亡霊の8騎が、思わずセルディオのほうに視線を向けるのも無理はない。
邪神の力によって蘇った彼。確かに邪神である酷使者の影響を受けているかもしれない――そう考えたローズメイだったが、セルディオ自身は自分を突如として名指しされ、驚きで固まっている。
違う、誘われた。
神の癖に、こんな小細工を打ってくるとは思わなかった。
「ぐうっ?!」
「ようやく捕らえたぞ、黄金の女」
その一瞬の隙をついてアンダルム男爵の両腕がローズメイの首を掴んで地面に捻り伏せている。
「こ……」
の、と力を込めてアンダルム男爵の股間と凄まじい蹴りを叩き込む……が、人間相手ならば確実に睾丸を破壊する一撃であるのに相手はぴんぴんしたままだ。
「我を、誰だと思うている。悪神であろうと神は神。人が抗し得ると思うな……!」
ローズメイはそれでも抵抗をやめない。携える切っ先を相手の喉笛に押し当て――そのまま強烈に引き斬る。だが、これも無駄。
ならばと構えた両指で目を抉ろうと突き出す、が。
(両眼にも突き刺さらん?!)
人体でもっとも脆弱な急所への目突きでさえ何らかの力が防いでいる。
「ぐ……!」
「そぅら。このまま……!!」
周囲では配下の亡霊騎士8騎が自分を救おうと槍を投じ、あるいは突撃しようとするものの……アンダルム男爵の魔的な力がそれらを押さえ込んでいる。なるほど、先ほどまで屍の巨人を何体倒そうが相手が何の動揺も見せないわけだ。この力ならば配下などおらずとも、数百の将兵全てを正面から戦って殺せるだろう。
「うそだろっ!」
周りで奮闘していた家来衆の一人の驚愕の呻きが、全員の心を代弁していた。
剛力無双のローズメイが、力負けしていることが俄かには信じられない。
ローズメイの脳裏に、ちらちらと、死の影がよぎる。
気道を圧迫され、呼吸ができず深刻なめまいに似た状態が強まっていく。
「ふん……如何に鍛えようともしょせん人は人よ。神の膂力に抗し得るはずが……」
だが。ローズメイの首を締め上げ殺そうとした邪神は……その瞬間彼女の両眼に灯る激昂の光にひるんだ。
なるほど、相手は強大な敵だ。これほどの力、これほどの怪異を引き起こす力を持ちながらも、これはあくまで神威の影でしかない。自分のようなただの人間、ただの女(?)が対抗できる相手ではなかった。
それでも、許せぬものはある。
ローズメイは幼い頃に力を欲した。生来の美貌と引き換えにその膂力と武威で亡国の定めを覆そうと奮闘した。
神の膂力に抗し得るはずがない? 自分のその膂力を軽んじるその一言がローズメイの逆鱗に触れた。
相手の言葉は彼女にとっては……醜女将軍だった頃の自分の人生の全否定に等しい。
ふざけるな。
ローズメイは両腕で自分の首根っこを掴むアンダルム男爵の腕をつぶすつもりで思いっきり力を込める。
「こ……こいつ……」
そのあまりの握力に、アンダルム男爵の両腕の骨がぼきりと粉砕される音がして、一瞬拘束が緩んだ。
「良人でもないくせに、いい加減女の上に圧し掛かるな、痴れ犬が!!」
その一瞬の隙を突いてローズメイのそろえられた両足が相手を蹴り飛ばす。
「姫様、横槍入れますぞ!」
距離が開けばしめたもの。即断した亡霊の騎士が迅速に投槍を打ち込む――が、これも駄目。不可思議な力によって空中に縫いとめられた投槍は、くるりと回転して投じた勢いそのままに穂先を騎士へと向けて送り返される。
これを喰らう騎士達ではないが、面食らったのは確かだ。
だが、ローズメイは横槍に文字通り迷惑そうに顔を顰めて雷声を以って答えた。
「要らぬ――おれが、とどめをさす!」
「言うたな、ただの人の分際で!」
「先の侮辱は貴様の死で購え!!」
例え相手が神であろうと……あの日、国のため、愛しい人のためにささげた歳月を侮辱させはしない。
へし折れた腕を瞬時に復元し、邪神が両腕を化鳥の如く広げて飛び掛る。ローズメイは剣を握った。
「神よ、強力の神よ! 今は……今はどうか何もしてくれるな! こやつはおれを侮辱した、おれの手で決着をつけてやらねば気が済まぬ!」
ごぅっと全身を熱く焼き焦がすものを感じる。
後方に控えるメリダ老の秘術とやらが完成したのだと直感する。同時に全身に漲る強大な力、全てを理解したかのような万能感、全能感が脳裏を冴えさせる。
あの時と同じ。強力の神と初めてまみえ、託宣を受けた時。全滅必死の戦いの後で再度強力の神と言葉を交わした時と同じく、偉大な存在を身近に感じる。
口蓋より火を吹きながらローズメイは剣を振るった。
渾身の力で横薙ぎに一閃し、アンダルム男爵の首を跳ね――はねた首が空中へと零れ落ち、地面へと落下するより早く、下段から神速で跳ね上がる切っ先が、神のかりそめの肉体を正中線上に両断する。
黒雲が、晴れた。
まるでローズメイの剣が無限遠の刀身を持つかのごとく、月光さえ覆い隠す神秘の暗雲をさえ両断してしまったかのようだ。
その切っ先に導かれるように朝日の光が、遠方よりゆっくりと輝いた。
「ば……ばかな。早すぎる……! ……朝が来るまでの時間まで切って捨てたというのか!!」
闇黒を棲家とする邪神にとっては、陽光の光は天敵なのだろう。
アンダルム男爵の姿をしたソレは、肉体の維持さえ出来ず、人の姿に似た暗雲へと姿を変えて苦しみもがきだす。
同時に、周囲に散逸していた屍の巨人もアンデットも、糸が切れた操り人形のようにばたばたと崩れ落ちていった。
「勝ったのか……」「生きてる、終わった。のか」
「お……うぉおおおぉぉ!!」「やったぁ! 生きてる、死んでない!」
「黄金の女!」「ローズメイ様、バンザイ!!」
あちこちで兵達が勝どきをあげる。生還の喜びに肩を叩きあい、涙を流している。
勝った、生き残った――誰もが邪神に膝を屈し、魂を永遠の煉獄に囚われるやもという恐怖から解放され、生きる喜びに沸きかえっていた。
生還の喜びに沸き返る陣地を見つめ、絶望的な疎外感の中でセルディオは第二の死をもたらす朝日の光を見つめながらゆっくりとローズメイに歩みよった。
「ローズメイ様」
「……ああ」
セルディオは、もう死んでいる。彼だけが正気を保っているがゆえに、残酷な二度目の死を迎える恐怖と悲しみを寂しそうな微笑みを浮かべてやり過ごそうとしているのが分かった。
ローズメイ貴下の亡霊騎士達も、家来衆も、ハリュも彼の最後の望みを理解して道を開ける。
ただ一人リーシャだけが悲鳴のような声を挙げた。
「セルディオ様!!」
セルディオは申し訳なさそうに頭を下げ、そのまま進んでいく。
リーシャは理解した。
彼は消滅までの僅かな時間を、女と寄り添って語りあいながら消え去るよりも。
至高の剣士と見定めた相手との戦いの中で、斬り死にする最後を選んだのだ。
「リーシャ……だめだ、行くな!」
「なんでよ、行かせてあげてもいいじゃない……!!」
ハリュはリーシャを止めようとし、シディアはそんなハリュに喰ってかかってぼかぼかと喧嘩を始める。
こればかりは価値観の差だろう。
愛するものの傍で穏やかに燃え尽きるか、戦いの中で誉れと共に燃え尽きるか。
リーシャは主人である若者が最後はやはり剣を選んだことを知り、身が引き裂かれそうなまでに辛かったが……悲しみを噛み殺して耐えた。
セルディオはローズメイに頭を下げ、あの日の再戦を願う。
「一手のご指南を賜りたく」
「…………分かった」
ローズメイは剣を抜いた。
最後の戦いが始まる。
次回で幕。
その後で一話挟んでエンディングとなる予定です。
長らくお付き合いくださりありがとうございます。
8/24追加。
すみません、エンディングと書きましたが間違いです。
正確には『第一部のエンディング』になります。勘違いさせて申し訳ありませんでした。




