その裏技をお返しする
酷使者にとっては、際限なく生み出せる屍の軍勢も。
空を完全に覆い隠す闇黒の天蓋も強力な権能ではあった。
だが、酷使者にとってもっとも有効で強大な武器とは、異種異形をみた時の人間の恐怖心である。
人ならざる暴虐の化身を見て一致団結して戦える人間は少ない。生存本能が、戦うよりも少しでも遠くへ逃げなければと急きたてるのだ。
人間の戦いでもっとも多くの死者を生み出すのが追撃戦であるのと同じように、恐慌に至って逃げ出した人間を追い詰め、狩りの獲物の如くトドメをさすことが何より有効。
だからこそ。
誰もが逃げ出す恐怖に対して闘志を維持させる、戦意の支柱となりうる英傑の存在は目障りだ。
「……な、なんだ。敵が、引いていくぞ……」
「ほんとうだ……だが、なぜ」
半日前までケラー子爵家軍と敵対していた貴族連合軍は、引き潮のようにゆっくりと引いていく死者の軍勢を前に、当惑と……安堵の溜息を漏らした。
彼らのいる場所には神殿騎士団も参戦しており、火尖槍と共に抵抗はしていた。
しかし……こちらの被害はケラー子爵家とは違い、酷い有様である。
名目上とはいえ最上位の指揮官はすでにローズメイに崖から突き落とされて戦死が確認されており、実質的な指揮官であった男は、独断に近い形で和睦を結んだ為に反発も大きかった。
連合軍であり、自分達よりも有力な敵に対して一致団結して危機に対処できず、独立した戦力がそれぞれ各個に戦い……各個に撃破される形となってしまった。
一つの集団が全員死亡し、それら全てが再び死者の軍勢を増強させ、更に他の軍勢に襲い掛かる……ドミノ倒しのように人間が倒れ伏し、敵の戦力となっていく。
このままでは全滅必至であったにも関わらず、どうして敵は引いていったのか。
大半の騎士や貴族たちはそこまで深く考えはしなかった。今はただひたすら生き長らえたことを、光と雨の女神、闇と海の女神に感謝して安堵し……疲れ果てて倒れるのみ。
ただし。
そうでないものもいた。総指揮官だった男は引いていった敵を前に自ら剣をふるいながら指揮を取っていたものの……敵の異変に気付くとすぐさま副官にいう。
「追撃戦に移行するぞ」
「馬鹿な事を仰らないでください……敵は疲れも知らぬ不死の軍勢ですぞ」
総指揮官の男は、自分をあきれ果てたように睨むと、そのまま去っていてしまう。
彼は、それもやむなしと考えた。名目上の総大将はすでに戦死。国に帰ろうとも敗戦の責は免れぬ。自分についていく気のあるものなどいるまい。
だが今まさに戦力は必要なのだ。
敵が知力や判断力のない獣同然の相手であったなら、このまま攻め続けるだけで自分達を皆殺しにできたはずだ。
それをしなかったのは、こちら側から戦力を抽出しなければならない状況が別の戦線で起きているということ。それをする知性があるということ。
総指揮官だった男は、あの黄金の女は敵も恐れているのだと直感した。
ならばもう孤剣一つで助けに赴くしかあるまい。
一介の騎士として戦うと腹を決める。他の貴族たちに話を通してある程度纏まった手勢を連れていくかと思わないでもなかったが……怖気づいた貴族と話しても埒がない。
愛馬の元へと赴こうとした彼は……すでに十数名の騎士達が出撃準備を終え、整列する姿を見た。
「……其処許らはいずれの……いや」
彼らの鎧には家紋がない。あるいはあっても鑢で削り落とされている。
仕える主君を持たない騎士崩れと察する事ができた。
だがなぜ? 疑問に思う。
彼らは槍働きで武勲を立て、どこかの家に高禄で召抱えられることを望む仕官希望者。なのに正規の命令もなく戦いの準備をしているのか。
問いかけるような視線に、騎士崩れは面頬を挙げた。
「なに。あの黄金の女のところに参られるのでしょう?」
「ああ。だがなぜ付いて来る」
相手は照れくさそうに笑った。
「なに。伝承の登場人物になれそうとなりゃね」
白骨の戦槌の一撃で土砂が舞う。
背骨の骨鞭はまるで糸鋸のように振動して薙ぎ払う。
「シーラァ!」
「ごああっ!」
受け太刀など一撃でも考えてはいけない。
動作は大きく緩慢で避けることはできる。しかし気を抜きながら避けられるほど甘いものではない。
一足で相手の背後に回りこむシーラ。それでいて龍爪の一薙ぎで相手の関節に斬撃を打ち込んでいる。その軌道をなぞるかのように間髪入れず打ち込まれた戦斧の一撃が、僅かに除いた相手の骨を砕いた。
屍の巨人が、崩れ落ちる。
動きを止めれば好機、と何本もの火矢が、火尖槍が相手を焼き尽くそうと叩きつけられた。
屍の塊で出来た大質量といえども、火は根源的な相性が悪いのだろう。いまだに動いてはいるものの……効いている。戦えている。
悪相の家来衆は騎兵の速力を生かしてかく乱に徹し。幽鬼セルディオもローズメイと同じくもう片方の足を破壊して回っている。
一度死した身ゆえか、落命の恐怖に心揺らぐ事もなく斬撃を打ち込み続け、屍の巨人や他のアンデットを相手に勇戦していた。
ローズメイはちらり、とアンダルム男爵を盗み見る。
その顔には不快感こそ露になっているが、驚きも狼狽も見せてはいない。
まだ敵の戦力の底は見えていない。朝から昼、夜にかけての連戦で体にはまだ疲労が残っている。
「……なかなかやる。人間ども」
アンダルム男爵が小さく囁き……それと共に、再び地響きがする。
接近してくる足音は今しがた撃退した屍の巨人と同じもの。
「他所から戦力を引っ張ってきたか」
「こことは別の陣地で戦っていた連中のやつらさ」
それほど早くはない進行速度。だが見上げるほどに巨大な屍の巨人――それも一体ではない、二体、三体、四体。
それもお互いに死角を埋めるように連携できる程度の距離を維持したままである。
ローズメイは内心、まずいな、と考えてはいたものの、動揺は表には出さなかった。
数が足らない。
それも、あの屍の巨人の間合いに踏み込みながら、相手の一撃を掻い潜り接近戦をやれるだけの力量のもののふ達が。
だが、ここで自分が僅かなりと弱気を見せれば、全軍の士気が崩壊する恐れがあった。
一撃目を避ける。横薙ぎに払った刃が相手の骨肉を裂く。二撃目を、シーラの体に張り付くようにして避ける。即座に起き上がり戦斧を打ち込んだ。三撃目はまずい、受けられるか――と覚悟を決めたときだった。
「でヤァ!!」
鋭い掛け声と共に二騎の騎士が槍を構えて突撃し、相手の姿勢を崩す。
その崩れた体をまるで急勾配の坂道でも駆け上がるように騎馬で走りぬけ……胴体の後ろから槍を突き刺して去る。
ローズメイはその技に瞠目した。
彼女も戦歴は長いがあれほどに優れた馬術槍術は稀に見る。ケラー子爵家にこれほどの手練が潜んでいたのかと内心感嘆しながらも振り向いたローズメイ。
歩調を合わせるように、ゆっくりと馬を進ませる8名の騎士がいる。
鎧には見慣れた家紋。ダークサント公爵家の紋章を鎧に刻んだ幽霊の如き様相の騎士が、妖しき光と共に推参する。
アンダルム男爵の中に潜む邪神が、驚愕に目を見開いた。
「さ……逆手に取ったな、強力神めが……!!
我が力の影響下を利用して……その女に因縁深い騎士を……尖兵として呼んだか!!」
『姫様』
ローズメイはその懐かしい呼び方をするのが誰なのか、最初は分からなかった。
そんな呼び方をされたのは彼女がダークサント公爵家の姫君として、蝶よ花よと大切に育てられてきた時代。
あるいは醜女将軍として従軍していた頃だろう。
そこまで考えて、ローズメイは……腑に落ちた。
ああ。そうか。
ここは酷使者の力により、生と死の境目が曖昧になる混在した世界。
ならば。死者が生者の為に力を貸すこともあるだろう。
「あ、姐さん、お知り合いで?」
「ローズメイ様、その方々は……?」
傍で血戦していた悪相の家来衆も、セルディオも、周りで方陣を組む8名の騎士たちの纏う暗冥の気配と善神の加護に気付いたのだろう。
一人が面頬を上げ、陽気に笑う。その肉体はすでになく魂のみが生身だった頃を真似たようにおぼろげであったが、明るく快活だった。
忠誠に相応しい主君のため戦い、満足する死を遂げた清らかな武人の笑みであった。
『我らは、貴殿と同じさ。生死の境目を謀る裏技によって、朝日が訪れるあいだまで助太刀に来た、姫様の昔の手下だ』
ローズメイは心の中で小さく嘆息をこぼして言う。悲しげな目で周囲をぐるりと見合し……そうか、と答えあわせをした。
「そうか……あの時、メディアス男爵との戦いで生き残ったのはヴァッサラとモウラの二騎か」
あの時の十騎の中で生き残ったのはもっとも歳若い騎士ヴァッサラと、父の代から自分に仕えていた老練の騎士。あの二人だけはまだ息災なのだ。
「ローズメイ……さ、まっ! あと……少し、時間を……!」
その時、切迫した声が戦場に響く。
言葉に含まれた火急の気配に振り向けば……吐血でもしたのだろうか、法衣を胸元までべっとりと鮮血で濡らしたメリダ老がシディアとリーシャに支えられて叫んでいる。
「あと少しで……勝ち目が……!」
「き……貴様、奴を『降ろす』つもりか!」
アンダルム男爵に潜む邪神が焦りを見せた。
今までどれだけ手下を潰されようと動揺しなかった超越存在が、確かに危機感を抱いている。
ローズメイは戦斧を下ろして先陣を切る。
そして、醜女将軍だった頃となんら代わらぬ一糸乱れぬ連携で8騎がそれに続いた。
4騎がそれぞれ槍を相手の両膝につきこみ、屍の巨人が姿勢を崩す。残り4騎が相手の武器である両腕を牽制した。
跳躍したシーラの背を足がかりに更に飛び上がったローズメイは、そのまま空中で独楽のように回転し、屍の巨人の胴体を半ばまで両断してのける。
どう、と倒れ伏す巨体。
「う……ぬ?!」
「生憎だが……背中を任せられる仲間が増えた。以後は、簡単ではないぞ」
切り札である屍の巨人を瞬殺され、瞠目する邪神にローズメイは不敵に笑う。
そうして……死しても未だ自分にしがみつくような8騎に対して少し考え込む。
「まったく。死んだのなら忠誠もしがらみも全て水に流し、輪廻転生の輪に戻ればいいものを……」
ふとそこで、納得のいく答えを思い出したように笑った。
「ああ……そういえば生きて戻ったら寝台に侍らせてやると言ったな。その約束を果たしていなかったか」
ローズメイとしては冗談の類だったのだろうが……8名の亡霊騎士達は、無言で面頬を下ろして素顔を隠した。
その反応にローズメイが珍しく傷ついた顔をする。
「なんだその反応は!」
『いいえ。姫様。ただ姫様が予想よりはるかに美しくなられて全員照れているだけでございます』
年かさの亡霊騎士がそう答える。他から反論がないから、正しい意見だったのだろう。
ローズメイはきょとんとしたが……理解をすると自慢げに小さく声をたてて笑ってみせた。
「ふふん」




