魔神の戦術
神の視座より戦場を観察できるものがいれば吐き捨てたであろう、醜悪な戦争であった。
この戦場の一方の将帥、ファリク=ケラーは顔を赤らめ拳を握り締めてぶるぶると震えていた。
恐怖ではない。騎士団長である自分の後退命令を無視して戦闘を開始した味方前列に対して激怒していたのだ。
「どいつもこいつも……なぜ俺の命令をないがしろにする!」
苛立ちの声をあげながら騎乗する。
ファリクは自分の命令が不当なものではないと確信していた。
セルディオの独断専行は面白くないが……陣形再編のための時間を稼ぐことができた、と弁護する事もできよう。
だが彼を撤退のための生贄として切り捨てたことも決して間違ってはいない、ファリクはそう自分に言い聞かせた。
彼はアンダルム男爵の子息。で、あれば、父の罪を戦場で償わせただけのことだ。その後、奴の付き人であった娘ごと弓矢での射殺を命じたことも間違ってはいない。
敵との接敵の前に可能な限り損害を与えて次の展開を楽にするのは戦闘の常識。
その際、たった一人の女の命を惜しんで味方に多数の犠牲を出すより、セルディオと付き人を、敵兵諸共に殺せ、と命じたことは間違っていないはずだ。
そのはずなのに……ファリクは味方から冷ややかな侮蔑を浴びていた。
……ファリクの考えは、所詮自ら戦った経験のないもの。
セルディオの、軍団全員の勝利を考えての独断専行と、獅子奮迅の働きに対する報い方が――味方からの射殺。
(……命がけで戦った仲間に対する返答が……これでは……)
その小胆を天下にさらしてしまったファリクは、戦場の前方を見て歯軋りした。
「なぜ、奴らは引かない!」
「すでに戦端は開かれました。かくなる上は敵に打撃を与えた後、粛々と引くのがよろしいかと」
そしてファリクの激怒は前方で戦う味方前衛に向けられている。
突出し、必死になって帰還しようとしたセルディオ。彼の救出の為に突出した兵達がおり……一騎がけの勇士を救え! 勇士を助けようとした娘を救え! 仲間を助けろ! ……と前衛全てが熱情に引っ張られるように突撃し、驚くべきことに――数において三倍近くの相手を圧倒しているのだ。
それがなおさら、自分の判断の誤りを示しているようでファリクは面白くない。
「……それがし、前衛の督戦に向かいます!」「拙者も!」
比較的年若く、身分も低い傍仕えの騎士達が騎馬を走らせ前線へと向かっていく。
ケラー子爵家の兵士たちは皆、セルディオの戦度胸が乗り移ったかのごとく熱狂して突撃を繰り返している。騎士達もその侠気――あるいは狂気が伝染していた。
「おい、いいのか? お前は本陣付きだろ……」
「はん……仲間に射掛ける恥知らずのお守りより、勇者と枕を共にして討ち死にのほうがなんぼか面白いだろが!! お前は?」
「たしなめるべきだが、同意だ!」
近くで聞こえた騎士の声は、主君に対する敬意も何もない。
「くそがっ、セルディオの奴、死んでも不快な男がっ!!」
配下の不敬を招いたのは、自分が勇者に対して行った冷酷な判断だと気付かぬまま、ファリクは怒りの声をあげ続ける。
もしここで彼が……自分を侮り、軽蔑する配下たちに先んじて槍持ち騎馬に乗り、戦場へと早がけすれば……セルディオの死で火がついたケラー子爵家300の兵士達は一個の塊となり、敵兵1000を粉砕する事もできたかもしれない。
勇将であれば、知将であれば、戦場には予想できない流れがあることも察したであろう。この勢いに乗り、敵をこのまま撃滅する――それは戦の神がファリクに見せた、確かな勝利への手がかりであり。
「どうなさいますか、ファリク様!」
「どうせ勢いは長く続かん、負けて逃げてくる仲間を支援しつつ撤退だ!!」
ここで――勝てるはずがないと諦めてしまうことが……ファリク=ケラーの凡将たるゆえん。
一瞬の勝機に己の全てを投げ打って、賭けることのできないものが戦いに勝てるはずがないのだ。
「……こんな勢いなど長く続く訳がない。盾を前に! 10数える間に三歩ずつ後退せよ! 攻める必要は無い、守りを固めよ!!」
敵側の騎士団長はファリクと違い、判断は冷静だった。
ケラー子爵家の兵士達は勇戦したセルディオの弔い合戦とばかりに意気込んでいるが……これはただ、がむしゃらなだけ。
一日分の活力を、後先考えずこの30分ほどの短い時間で爆発させているだけのことだ。
つまり相手の遮二無二の突撃にまともに付き合わず、ひたすら守りに徹するだけで相手は体力を使い果たして勢いを失うだろう。
「両翼は緩やかに前進、あと半刻もすれば敵は衝力を失い失速する、その後は包囲の輪を狭めて料理すればいい、いけっ!」
下知を受けた伝令が走りだしていくのを確認しながら、騎士団長は後方を見上げた。
「……指揮に余計な嘴を挟まれぬのは助かるが。どうにかならぬかな」
「若様は始めての戦場で興奮なさっているのでしょう」
「ま、勝ちの決まった戦である以上は無理もないかと」
戦場を俯瞰できる崖の上の位置には、彼の仕える貴族の御曹司が護衛の兵士と共にいる。
戦地とは思えぬのどかさ、腑抜けた態度は――別な場所で生捕りにされた貴族の若様と似たようなものだ。
ここで自分が死ぬなど欠片ほども思っておらず。敵味方入り乱れての決戦を、華やかな見世物のように感じて喜び。
自分自身の鮮血と臓物にまみれて苦しみもがきながら死ぬ人間を、おお、怖や怖や、ほほほほほ……と見て笑う――兵士達の苦しみを別世界のように感じる貴種たち。
苦々しいものを感じつつも、仕方ないと騎士団長は割り切った。
あれこれ戦法に嘴を挟んで無駄に兵を死なせるより、血戦する自分達の恐怖と苦しみを見物されているほうが……たまらなく不愉快ではあったが、まだ我慢する事ができる。
敵の突撃の威力も次第に勢いを減じていく。
あと少し待てば終わる。相手の熱狂を引き出せたおかげで楽に包囲できそうだ――そう考えた騎士団長は最後の一手を繰り出そうとして……。
ぎゃああああああぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!
戦場に木霊する、もの凄まじい大悲鳴を聞いた。
「なにご…………」
悲鳴の元である後方に振り向き。
騎士団長は眼前に広がる、想像を絶する光景に思わず唖然と口を開いた。
人が。馬が。
岩のように頭上から降ってくる。
そこは――戦場から遠く離れ、安全な位置から戦を見物する崖の上であったはずだ。
だがそこから……まるで邪教の残酷な儀式の如く、次々と人間が恐怖の悲鳴をあげながら落下してきた。
たまたま真下にいた人間は不幸の極みであった。
耳に劈く凄まじい悲鳴が聞こえたと思って見上げれば――崖の上から恐怖で引きつった声をあげながら人間が飛び降りてくるのだ。恐怖する騎手に手綱を取られた馬は、崖っぷちで思わず足を止めるが、後方から奔流のように迫る人間たちと共に突き落とされ、落下してくる。
馬体に押し潰され、石榴のように血肉が爆ぜ、その上から折り重なる人間達によって見えなくなっていく。
頭から墜落した兵士の兜が地面にいた兵士の頭蓋を砕き合い、躯になって転がり堕ちる。
目を背けたくなるほど恐ろしい光景だ。
「は」
騎士団長は開いた口が塞がらぬまま呻いた。
今ちらりとみえた犠牲者。あの金色の髪、ひときわ豪奢な装束は――安全な位置から戦を見物していたはずの若様ではなかったか?
戦場で起こった謎の投身に怯えて兵士たちは即座に距離をとった。誰も彼も自殺に巻き込まれて死にたくはない。
だが、誰もが恐怖する凄まじい光景から巻き込まれないあたりにまで退けば……次に浮かぶのは、彼らはなぜこんな事をしたのか、という疑問だ。
「……見よ……あの屍。誰もが後ろを向いて降ってくる」
「まるで何かに追い立てられたようじゃねぇか……」
一人の兵士が屍の共通点に気付く。
そうだ、今もなお逃げ場を求めて崖に行き着き、投身自殺を繰り返す兵士達。後方より迫る何かを恐れて坂道を転げ落ちてくる。その数もまばらになり――。
「た、助け……助けて」
落下した兵士が、足を折りながらも手を伸ばして救いを求めてくる。
それは彼の幸運によるもの……ではない。
騎士団長がその崖を見れば理由は一目瞭然――兵士達が次々と投身して積みあがった屍はこんもりとした山となり、崖の切り立った斜面はすでに血で染まって川のようだ。
積み重なった死体の山が、兵士の肉体を墜落死から救ったのだろう。
だが、誰も動けない。逃げ惑ってきた兵士達が誰もいなくなり……誰もが固唾を呑んで見守る中、恐らくはこの恐怖の光景を作り上げた悪魔が姿を現すからだ。
陽光を反射し。
金の光をまといながら、狼龍にまたがり姿を現した。
それは。
おんなのすがたをしたおうごんのひかり。
黄金が、血塗れた髪を棚引かせながら騎龍を進める。
その人外じみた絶世の美貌を見た時……兵士達は、悪魔とは、美しいものなのだと、恐怖よりまず驚きと賛嘆と共に溜息をこぼした。
黄金の女は足元の地獄絵図を、まるで遊びなれた自宅の庭でも散策するかの如く踏み出し……軽やかに崖を駆け下りていく。
彼女の従者であろうか、おおよそ6騎の悪相の男達は次々と共に駆け下りてくる。
屍を積んで山を作り、足場を築いて降りてくる――美しき悪魔と6騎。
黄金の女は――投身に巻き込まれまいと退いた1000の威容を前にしてもなお……取るに足らぬと言いたげに、にっこり微笑んで見せた。
その絶世の美貌は見とれるほどに美しい――その笑顔が、まるで死者へのたむけ、あるいはこれから死ぬ命への残酷な慈悲のようであり。
何よりも、恐ろしかった。
なぜ、笑える。なにがおかしい。
自分たちはおおよそ1000。たったの7騎の援軍など戦力のうちにも入らない。
わずかな手勢を差し向けただけで揉み潰せる小勢なのに――生存の目などどこにもない、周り全てを囲まれた状況でどうして笑えるのだ。
それがまるで人間の理から外れた魔物の証のように思えてくる。
そんなばかな、人のはずだ、人のはずだ……頼むから人であっていてくれ!!
「う、うおおおおおぉぉっ!!」
騎士団長は全身の肌をあわ立たせる恐怖に呑まれまいと、悲鳴のような声をあげた。がちがちうるさい耳障りな響きは、自分の歯の根が合わぬ恐怖の音。
奇襲だ、奇襲攻撃だ……!!
崖の上に陣取っていた兵士達を、想像を絶する武威で追いたてたか、あるいは超常の妖術を用いたか。
河に皆で飛び込む鼠の如く、自害させ、積み上げた屍で山を築いて――騎兵で駆け降りるだけの足場を築き……まんまと味方の腹の中に飛び込んできた!
なんたる、戦慄畏怖たる天魔の所業!
100近くの兵士達を追いたて、死と悲鳴、血で大地を染め上げ、屍を用いて崖道を舗装し……1000の兵の横腹を恐怖でもって真っ二つに裂いた!!
「悪魔め……悪魔に違いない!! あ、あれが悪魔でなければなんだというのだ!!」
人間の屍で道を開いて突き進む、想像を絶する暴虐の奇襲戦法!!
生半な悪魔など尻尾を巻いて逃げ出す魔神の戦術だ!!
味方はおおよそ1000。だが果たして人の理を越えた人外相手に尋常な戦の作法など通用するのか?! おじける心を奮い立たせて騎士団長は叫ぶ。
「全軍前列はケラー子爵を……それ以外、後詰全てあの悪魔へと矛先を向けよ!」
「団長、ですがっ」
副官の騎士が、予備戦力の投入に待ったをかけようとする。
間違った判断とはいえまい。相手は7人。1000の兵数がいるのだからケラー子爵家を相手しつつ片手間に叩きつぶしてやればよい。
だが、それはやはり戦を知らぬ考えだ。
「見たであろう、先ほどの兵士達は、あの悪魔に挑むより、崖より飛び降りて千に一つの生存に賭けるほうを選んだのだぞ!
全軍があの悪魔に恐怖しておる!! ここであの首級を取って根付いた恐怖を拭い取らねば――負けるのは我らぞ!」
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