セルディオの死(上)
長らくの休載にも関わらず励ましのお言葉ありがとうございます。
ファリク率いるケラー子爵家の軍団は順調にアンダルム男爵家の領地を侵攻していた。
本来ならば、他家の領地に兵を進めることは褒められるものではないが、今回は大義名分がある。ケラー子爵家より嫁に出された娘を殺害した息子の悪行を長年放置し続けて来た事への懲罰だ。
ローズメイの苛烈なしごきに耐えかねて逃げ出した兵を吸収し、300もの兵を率いて領都への道を進んでいた。
『なかなか順調ではないか』
セルディオはファリクの言葉を思い出す。
将帥として300もの兵を率いる、なるほど、男児として痛快な事であろう……しかし、彼の幕僚として仕えるセルディオはあまり浮かない顔であった。
「若様……」
「良くないのはわかっているのだがね。リーシャ」
光無しのセルディオは自分自身の事全てを優れた聴覚でこなし、さらには生半な騎士よりもよほど巧みに戦える男ではあるが……傍仕えのメイドである馬上のリーシャに手綱を任せて騎馬で行く。
軍隊というのが武器であるなら斥候は目や耳だ。
そして送り出した斥候の幾人かが未だに……帰還しない。
はっきりと、異常事態である。
「リーシャ、どうもよくないと感じるのだ。軍から離れた方が……」
「わたしは若様の傍仕えです。どうして主人を置いていけましょうか」
アンダルム男爵家の嫡子であるセルディオは、実家の戦力を概ね把握していた。
その戦力は以前ローズメイに大打撃を受けており、またあれだけの戦力を取り戻すのは十年単位の時間が必要。
もはや男爵家には反撃するだけの戦力はない。ファリクも『いまさら敵の待ち伏せなどあるまい。斥候を出せとかお前は小胆よな』と、セルディオを軽く侮るような発言で周囲を沸かせたりもしていた。
セルディオは溜息を吐いた。
ケラー子爵家の当主、ドミウス=ケラー子爵からセルディオはよく褒められもしていたが、それが実子であるファリクからは面白くないのだろう。良かれと思って提案した事が邪推から却下されたことは二度三度ではない。
それでも斥候の派遣を彼が許可したのは、やはり索敵の重要性をケラー子爵家の騎士も承知していたからだ。
だが……その後が良くない。
斥候の未帰還は、敵対的勢力が存在している証である。
で、あれば今度は斥候の数を倍に増やしての、正確な情報収集。あるいは騎兵による斥候。
だがファリクはそれを嫌った。この状況でアンダルム男爵が反撃のための戦力を残しているとも思えず。斥候の未帰還も何らかのアクシデントであろう、と……軽視する方針を取ったのだ。
セルディオに対する、ファリクの悪感情が最悪の結果を招くかもしれない。
セルディオは自分と数名の騎兵による指揮官斥候を提案したものの、それをファリクは『自分の差配に対する反抗』と断言し、拒絶したのだ。
不安材料はあるのに、その不安に対する正しい対処を行うことが許されない。なんとももどかしい思いを抱えながらセルディオは陣中を進む。彼に指揮を任された部隊へと戻り……再度また進軍を始めるのだ。
風の音や草花の香りはセルディオがケラー子爵領と進む際慣れ親しんだものなのに……漠然とした不安感は未だに拭えないでいた。
兵を進める。
領都へと二日ほど――騎馬を全力で走らせればもっと早い……のあたりまで進んだところで、セルディオは不意に鼻を刺す、強烈な鉄の臭いに顔を顰めた。
「若様?」
「リーシャ、全周囲警戒。風が良くない臭いを運んできたぞ」
「全周囲警戒! 警戒!!」
心得たもので、若様の言葉を受けるとリーシャは即座に下知を下す。
セルディオは近習から槍を受け取り、鐙の具合を確かめた。
「場所は?」
「平原になります」
リーシャの言葉にセルディオは頷く。
金物の気配、遠くより感じる軍氣。それに加えてこの先は高い位置に崖山と平原が広がっている。
軍を展開し、正面からの決戦をやるには実にいい地形である。
指揮官であるセルディオより発せられる軍氣に当てられたか、貴下の兵士達の緊張が高まっていく。
そして――正面より軍装の見慣れぬ兵団が姿を現したことに、ようやくケラー子爵家の兵団も……これがアンダルム男爵家の残敵掃討と領都制圧という簡単な作戦から。
自分達300の数に倍する――概算にて1000の敵軍団と戦わねばならない事態に陥ったのだと理解した。
「どういう事だ!!」
ファリクの罵声が陣中にて響く。
苛立ちと疑問を抱くのは当然だが、敵の眼前に出た以上はまず対応を考えるべきだ。
だが責任を負わせる相手を探すように配下を見回す目には不審と焦りしか存在しない。
「旗印から鑑みるに……北方の貴族家の連合軍のようです」
「総数はほぼ1000、ファリクさま、ご命令を!」
……この時点でファリクたちケラー子爵家が知れるはずのない情報であったが、アンダルム男爵家の領都が、邪神の信奉者によって屍都と変えられた、という情報を受け、侵攻を開始した貴族連合軍……の皮を被った侵略者であった。
彼らの目的は、アンダルム男爵家で発見された金鉱山の占拠と支配。
このアンダルム男爵家を制圧する正統な権利を持つケラー子爵家の兵を殲滅するまでの間の連合軍だ。
もちろん――数こそ少ないが、屍都出現の報を受けて浄化を目的とする神殿騎士も参加してはいるものの、数は少数。
内実はこれを機に他家の領土を侵略する腹積もりの飢狼ばかりだ。
「……う、嘘だろう……なぜあんな軍が」
ほとんど兵数を残していないアンダルム男爵家を制圧する……それだけの簡単な戦が、突如として自軍に倍する敵と戦う。
心構えのできていないファリクからすれば悪夢じみた状況であった。
服の下からべっとりと肌に張り付くような汗が滲み出る。
平常なら不快だからとすぐさま着替えたところだが……汗の不快感など消し飛ぶような命の危機を目の前にして、それどころではなくなった。
「陣形を……陣形を!」
茫然自失のファリクを前に、ドミウス=ケラー子爵がつけた配下の騎士がこれは仕方なしと独断で命令を下す。
だが敵などいるまいというファリクの慢心が乗り移ったような陣形の成ってない自軍と、こちらの接近を事前に知り、大規模戦で一気に踏み潰すつもりの半包囲を敷きつつある敵連合軍が相手では――陣形を整える前に押し潰されるだろう。
せめて後少しの時間さえあれば――そう思った諸将の視線の向こう側で、友軍の陣地から騎士が一騎、敵陣と自陣の間へと颯爽と躍り出た。
光無き身でありながらもセルディオは並みの人間よりはるかに物事を見通す耳と頭脳を持っていた。
遠方より響く騎兵の嘶き、僅かに香る男達の恐怖と緊張の臭い、全身より発せられる敵兵の軍氣。
翻って味方は『敵などいない』という指揮官の指示を受けたのに、姿を現した有力な敵を前に『話が違う』と怖気づいている。
これはいけない。
敵は首を締めるように包囲陣を狭めるだけでこちらを圧殺することができる。
どこかで歯止めをかける必要があり……僅かな手勢への指揮権しか持たぬセルディオが打てる手は一つしかなかった。
「我はセルディオ! セルディオ=アンダルム! われと一騎打ちする勇者は名乗りをあげよ!!」
古来より一騎打ちは戦場の花。
その折には全軍戦闘の手を休めて、勇者同士の戦いを敬意を持って見守った。
ただし、賭けである。
敵にセルディオの誘いを受ける義理はない。
敵だって知者はおろう。セルディオの目的が味方の陣形を組むあいだの時間稼ぎだと分かるはずだ。相手の最善の判断とは、セルディオの一騎打ちの申し出を無視して数で押し潰すこと。
だが、彼には賭けに勝つ目算があった。
一つは――騎士にとって一騎打ちはやはり花であること。
敵が数を頼みに襲い掛かってくれば、手柄など立てにくい。で、あれば全軍の見守る前で高らかに敵の首を挙げることが望ましい。
「おおうっ! 光無しのセルディオ、俺の名は騎士ゴルザ、そっ首叩き落して誉れとさせてもらおうぞ!」
かかった。
セルディオは内心歓喜しながら頷き馬首を敵に向ける。
二つ目は――セルディオの両眼が役に立たぬがゆえに……容易く始末できる弱将であると、相手の侮りと謗りを誘えるからだ。
そして一騎打ちが始まってしまえば、たとえ敵軍の指揮官が『やめろ』と命令したくとも、一度受けた勝負をなかったことにできない。
「ではっ!」
普段は剣を使うセルディオも騎兵としては槍を使う。お互いに馬首を巡らせ、突撃。
「貴様の命を金貨に換えてくれるわ、邪神の走狗、ビルギー=アンダルム男爵のこせがれえ!!」
風切りの音からして敵の扱う武器も槍。手中にて槍を扱き、相手の呼気と馬蹄の音から完璧に位置を捉え、セルディオはお互いに槍撃を交換し合う。
相手の狙いは首。肩の装甲を盾代わりに切っ先を滑らせ……懐に構えて力をためた一撃を相手の口蓋に滑り込ませた。
全てを音で知覚する光無きセルディオにとって、もっとも狙い易い場所は呼吸音の中心、口だ。
ぞぶり、と切っ先の埋まる感触と共に横薙ぎにふるえば、敵の騎士の脊椎を半ばから断ち、鮮血を棚引かせる。
「お見事!」
「次の相手は貴殿か!」
「然り、騎士ヤーハン、槍を馳走仕る!」
次の騎士が迫る。
……先ほどの騎士を始末した事で自分の首の価値が上がったのだ。敵陣から数名、威圧感が増した感じがする。
セルディオの手並みを見て、その力量侮り難しと警戒しつつも……強敵とまみえる興奮に、闘志が抑えきれないのだろう。まるで――あの日の夜にローズメイ相手に夜這いめいて挑んだ自分のようだ。
相手の視線が自分の動作全てを見逃すまいと注目している。
恐らく敵騎士は……騎士数名を倒してセルディオの首の価値が高まった瞬間に挑んで殺すつもりなのだろう。
「でやあぁ!」
セルディオは槍を滅茶苦茶に突きまくる。
ただし距離を誤った攻撃は全て相手の体に届かない。く、ふ、と敵騎士の唇から、わずかに嘲笑の笑いがこぼれた。
野郎、みていろ。
セルディオはそのまま槍を掬い上げるように勢いをつける。
「ははっ、遠いとお……いぎゃあっ?!」
所詮光無しの悲しさ、目が不自由だからこそ間合いが正確につかめぬのだ――そう嘲笑した敵騎士の前でセルディオは刺突を放った。
ただし突如両手持ちから片手持ちに、その上、手中で槍を滑らせ槍の端、石突きに近い場所へと握りの位置を変え、槍の間合いを強引に伸ばして見せたのだ。
片手での一撃に肉体を刺し貫く威力はない――しかし何たる行幸か、切っ先は兜の隙間を縫って相手の眼中を掠め、相手の片方の眼から光を奪った。
激痛と半分失った視界に混乱する相手へと突撃し、即座にとどめを刺す。
「さすがっ!」
「次は貴殿かっ!」
「おうよっ!」
セルディオに許された休息は呼吸二つ分のみ。
即座に次の相手が挑みかかってくる。後方に背負った味方は未だに陣形を組みなおす最中だ。
そして……セルディオが命がけの奮闘で時間をどれだけ稼ごうとも数的劣勢は明らかだ。
これは勝利に繋がる戦いではなく、敗北必死の味方に陣形を取らせ、少しでも損害を減らす苦し紛れの一手だ。
セルディオは思う。
リーシャ、リーシャ。自分に良く仕えてくれた傍仕えの娘よ。
こうなると分かっていたなら、一緒に連れてこさせずにケラー子爵の下に置いてきたのに。斥候の未帰還を受けた時点で、強引にでもおいて行けば良かった。
もし敗北し、軍の規律が崩壊したのなら、女にとって味方さえ味方でなくなる。
(……ここに、あの黄金のようだと聞く、あのローズメイがいてくれたら……)
あの女に預けていれば、どんな堅牢な要塞に住まわせるより安心していられたのに。
だが、そんな思考は一瞬。
敵の新手に意識を集中させる。




