初陣
アンダルム男爵領への進軍が始まる。
ローズメイは男爵領の南方を進み、ファリクは北方を行く。
部隊数こそ差はあるが、ローズメイは特に勢いを増して進む訳ではなかった。町を侵攻するものの、乱暴狼藉は即座に斬殺すると明言するローズメイは、事実――自分の部下として従軍する兵士が、通行途中の村で婦女子に手を上げようとしたところを、己自身で処断している。
兵士たちはその一事で襟首を正した。
この絶世の美女は世間の噂で言うような、ただ美しいだけの女ではなく、自分の手足のように動かぬ兵士を躊躇いなく己が手で切り捨てる冷酷さも併せ持っていた。
相変わらず行軍の足を揃えるのは苦手だが、ローズメイ配下の兵士達は、良く躾けられた猛犬の如く余計な事をせずに進軍する。
「おおっ。あれが噂の……」
「またとんでもない別嬪だなぁ……」
「乗っているのは龍種かぁ……トンでもないぞぉ」
あちこちから驚嘆の溜息が毀れる。
これまで彼女率いる兵士達は、アンダルム男爵領の警邏隊と接触を繰り返したが……戦争になる事はなかった。
彼ら警邏隊は犯罪者の取り締まりが仕事であり、武装した軍隊と戦えるほどの精強さはない。ローズメイは彼らをそのままにして、治安維持を引き続き行わせていた。
「ローズメイさまぁ!」
「シディア。どうであったか?」
町に入場し。天井のある一室で兵達をおのおの休ませて――ローズメイは、自分と相部屋のシディアが帰ってくると、寝台から身を起こした。
町の指導者層に話を聞き、ここ数日のアンダルム男爵の動向をうかがっていた。
治安を維持する警邏隊に送られるはずの給料支払いが遅延している……これは、領内での治世に心を砕いてきたアンダルム男爵らしからぬ行動であるというのが、指導者層の評価。
彼は己の野心のためなら少数を切り捨てることに躊躇いはないが、民衆の支持こそが権力の基盤という事を熟知している。
その彼が、民衆の支持を失いようなまねをいまさらするだろうか? ローズメイは首を捻った。
「あの。それで……アンダルム男爵のいる、その町を通りがかった商人がいたそうなんですが……」
「ああ」
「……都市のほうへと近づいたそうなんですが、何か……呻き声みたいなものがあちこちから聞こえて……怖くなって逃げたそうなんです……」
その言葉に――ローズメイは心の中に強烈な寒気を覚えた。
「それ以外には?」
「……なんだか変な臭いがして。呻き声しかしなくて。子供の遊んでる声も無くて……そんな感じだったそうです」
「……薪、と。火をこの町で買い付ける要があるかもな」
心の中に湧き上がる嫌な予感。
それらが現実のものにならぬようにと願いながら……彼女は寝床に横になる事にした。
異変はその夜起きた。
すでに町中は静まり、それぞれ70名の人員は天幕ではなく、街の中にある施設に間借りして休息を取る事ができている。
ローズメイとシディアの二人は同じ部屋で旅籠に一室をとり、穏やかな眠りについていた。
だが……一度眠れば朝まで熟睡することが常のローズメイは心の中に、どこか逸るような落ち着かない感覚を覚える。
虫の知らせ、というべきだろうか。
「……敵襲……?」
ローズメイは跳ね起きる。
別にその超人的な聴覚で、敵の物音を聞きつけたという訳ではない。ただ、彼女のように優れた剣士というものは千里離れていようとも迫る軍氣を肌で感じる直感を兼ね備えており……その直感に従い命を拾ったことが何度もある。
ローズメイはそのまま近くのベッドで涎を垂らしながら寝ているシディアの枕を勢いよく引っ張った。
「はへぇっ?! え。なになに? わたしの枕どこぉ?! ローズメイさまどうしたんですか?! いじわるですか?!」
「敵が来る。供えよ」
目を白黒させながら覚醒させられたシディアに言うと、ローズメイは手早く具足を纏う。
「敵? アンダルム男爵の?」
「それが、一番いいのだがな」
シディアはローズメイが眉間を曇らせながら発した言葉に首を傾げたものの――それ以上信頼する主の言葉に異論をさしはさむことはなかった。
すぐさま身支度を整え、鎧を纏い始める。ローズメイは剣を引っさげて外に出ると、猛る激情のまま口蓋から火を吐いて光源とした。その視線が遠方を横切る。
かがり火が、ちらついている。
「シーラ」
「ごぉぉぉぉぉぉ!」
……平時は馬が怯えるという理由で隊から離れた位置を進む、頭のいい狼龍は主の言葉に今こそ非常時と姿を現す。
「ローズメイさまぁっ……敵って――あっ!
……起こしてきますっ!」
「ああ。ただしなるたけ静かにな」
遠方に見えるいくつもの松明。
それらがゆっくりとこちらへ接近してくる。行軍速度はそれほど早くはない。相手はこちらがまだ気付いていないと判断しているのだろう。ローズメイは考え込む。
「……おれならば、こちらの兵の混乱を招く為に火矢を使い恐慌を起こすところだが……。
目的は略奪か?」
もしこれで……ローズメイが250名というそれなりの軍勢を引き連れていたならば……その数を収容できる建物がない為に町の外で陣地を敷いていただろう。
だとすれば、相手はこちらを無防備な地方の町と考えている可能性があった。
火矢を使わないのは略奪で奪う財産を減らさないためか? アンダルム男爵は、自分の領地を防衛する為に自分の領民から略奪する? いや、違う、とローズメイは首を捻った。
敵の数が……どうも多い。
これは本当に損害を受けたアンダルム男爵の兵士なのか?
「ま。いい。殺して適当に捕虜に取った後で尋問するとしよう」
ローズメイは分からないことは分からないままにする事にした。
どうせ――相手はこんな深夜に軍装を纏い、先触れも寄越さず侵入を目論む軍勢。
ならばアンダルム男爵家の領地を略奪せんとする、畜生働きに身をやつす外道らだ。始末するよりあるまい。
「ローズメイ殿。どうなさるんです」
騎士ハリュが兜を被り、面頬を下ろしながら言う。
シディアに枕を取られまくった兵士達が次々と目を覚まし、そのうち何名かが狼龍シーラに鐙を装着させていく。その姿に満足しながらローズメイはひらりと乗馬した。
「お前達は町の前面で防御。
おれは戦場を迂回のち、敵後背より指揮官を狙う」
「つまり、いつもどおりという事ですね。
承知しました、ご武運を」
もう彼女のむちゃくちゃに慣れてきたハリュは命令に頷いたが……それ以外の新しく入った兵士達は驚愕で目を剥いた。
部隊の中で一番偉く、一番守られなければならない黄金の女。その彼女がこれから単騎で敵陣を後ろから突くという。
普通に考えたら、指揮官が馬に乗ってこの町から移動する――それは敵の総数におそれをなして敵前逃亡するのではないか? と怪しむところであるが……どの兵士達も、この威風堂々たる絶世の美女が敗残する光景がどうしても想像できなかった。
彼女が臆病風に吹かれて逃げる姿よりも、敵の屍の上で戦死するほうが――まだ、相応しい。
「よし。初めっ!」
ローズメイがそう言うと、言語を理解する俊敏無比の獣騎、狼龍シーラは旋風の如き疾走を見せ、建物の上を滑るように疾走していく。
夜戦が始まる。
そしてこれこそが……醜女将軍ローズメイ=ダークサントではない、ただのローズメイが正史に名を載せる一番最初の戦いとなった。




