いい為政者がいい父であるかはまた別の話
ファリクはローズメイの麗しさを見て、剣など使ったことなどない手弱女であるとばかり想っていた。
絶世の美貌があれば、平民であろうとも貴族に愛される事で富貴な暮らしができる。ファリクの世界ではそれが当たり前であった。
彼はローズメイが自分と同格の将として戦うと聞いても――それはあくまで箔付けの類でしかないと考えている。
「お、俺を誰だと想っている! 俺は……」
「ただの卑怯者だろう」
だからこそ、絶世の美女だと想い求婚を申し込んだ女が……男の後ろをしずしずと歩いて進むはずの女が、堂々と正面からこちらを罵倒する姿にあっけに取られる。
ファリクはぱくぱくと口を開閉させながら叫ぶ。
「き、貴様……父上に言いつけてやるっ!
「子供か」
「だ、だまれっ! お前などに我が領の250の兵権など与えられると……」
「いらん」
ローズメイは冷ややかな眼差しと共に。一言で切り捨てた。
ファリクはそれを最初はローズメイの強がりの類であると思った。思おうとした。
だがローズメイの眼差しには、誰か自分以外の存在を頼みにするような弱さが見受けられない。
……事実、ローズメイはここでケラー子爵より兵を借り受けられないなら、それはそれでいいと考えていた。このような弱将に率いられる為に育てられた兵士など何百何千いようが大差はない。それに元々――ローズメイは故国にて命を捨てて戦った身。死ぬならばそれはそれで良しと考えてさえいたのだ。
その、常に死んでも良いという悟りめいた死兵の気質こそが、彼女を怪物たらしめる一番の理由かもしれない。
正面からファリクを見据えつつ言う。
「シディア」
「はいっ!」
「怪我の具合は?」
「……無事です、無事ですから。ローズメイ様。ケラー子爵家と騒ぎを起こさないでください!」
ハリュが声をあげる。
事実、彼は無事ではある。
咄嗟の防御が間に合っていた。額から血が流れているものの、見かけだけで命に関わるようなものではない。シディアが水に属する治癒の魔術で傷の癒しを掛けていて。今現在はハリュの周りを家来衆が剣呑な気配と共に固めている状況であった。
黄金の姐さんに絶対の忠誠を近く悪漢無頼の男達は、下知一つで命尽きるまで奮戦するつもりである。
だがトラブルはハリュの本意ではない。彼は出来るだけ穏便にことを済ませようとしていた。怪我は軽いから問題ないといおうとしたのだ。
ハリュが、この一団の未来を憂いて言っているのは分かる。
だからこそローズメイは先の拳骨の一撃でファリクの首を折っていないのだ。
しかし、これはそういう問題ではない。
試合が終わり、決着が付いた後で不意打ちをしかけ、その結果部下に血を流させた。
これははっきりとした謝罪を受けねば到底飲み込めぬ案件であるが……謝罪もせず、地位と権力で無法を押し通そうとするファリクの言葉は、ローズメイの怒りに油を注ぐ結果となった。
ローズメイは内心後悔をしていた。
ハリュが仲間達の中で一番力量において伸び悩んでいることは知っていた。だからこそ、彼に自信をつけさせるつもりでこの試合を黙認したのに……相手のおきて破りの反則行為で怪我をする羽目になってしまった。
相手が謝罪等、筋を通さねば到底受け入れられない。ローズメイは言う。
「ファリク殿」
「な……なんだっ」
「彼に謝罪を」
まっすぐに目を見つめられ、命令されればファリクは忌々しそうに顔をゆがめた。
一時は敗れた事で頭に血が上り、反則行為をした後ろめたさはある。しかしこの領地の次期領主として生活してきた彼にとっては、他者に対して頭を下げるなどはできない。プライドが邪魔をする。
だが、その時であった。
「頭を下げよ、ファリク。事情は聞いた」
「ち……父上」
ファリクは後ろからかけられる父、ドミウス=ケラー子爵の言葉に思わず振り向く。
老いて車椅子で生活するようになっても、子爵の双眸は猛禽のように鋭くわが子を射抜いた。
「お前が求婚をしたのは短慮だ。しかしローズメイ殿が受け入れてくださったのなら遊びとして目も瞑ろう。
だが、お前は試合が終わったにも関わらず危険な一撃を放った。
その事実を……お前が地位と権力で謝罪せぬままうむやむに済ませようとするなら、それは次期当主の資質において、大いに疑問を持たざるを得ぬ」
その言葉にファリクはびくりと全身を恐怖と不安で震わせた。
肉体と武術に自信はあれども、指導者、統治者としての資質は疑われている事は多かった。
だからこそ、父であるドミウスは隣国領のアンダルム男爵家の四男、セルディオの事を高く買っていることを知っている。
なればこそ、父親に統治者としての資質に疑問を抱かれることは、彼にとって大地が失われるような強烈な不安感を誘う一言であった。
模擬剣を捨て、がばっと跪く。
「も……申し訳ありません、ハリュどの、ローズメイどの……」
衆人環視の中で土下座をする事の怒りと屈辱で、ファリクの顔は真っ赤になり、肩を震わせていたがローズメイはこくりと頷いた。
「謝罪を受け入れよう。ファリク殿」
ローズメイはそのまま自分に従う家来衆に立ち去るように促す。
ファリクは彼らが去った後……肩を怒りで震わせて立ち上がり、自室に戻ろうとするが……それを、父であるドミウスが止めた。
「ファリク。変な事など考えるでないぞ」
「……ですが、父上……!!」
「お前。殺されるところだったと分からんのか」
は? と……父の言葉の意味が分からずファリクは阿呆のように聞き返した。
この子爵家の人間を害そうとたくらむ不届きな輩がいるという父の言葉は、彼にとっては有り得ない事であり、意味が分からないと言う風に唖然とする。そんなわが子を見上げながら、ドミウス=ケラー子爵は言う。
「ローズメイ殿は単騎で30名近くの兵士を斬り殺したそうだ」
「は? ……父上。どこでそんなホラ話を?」
ドミウスは、今自分の元にいるセルディオの報告であるとは言わなかった。
ファリクはセルディオに対して敵愾心を抱いている。ドミウスが、ファリクを廃して出来物であるセルディオを養子にし、次期当主に据えようというそんな不和を招く噂が存在している。ゆえにこそ、ここでセルディオの名を出しても容易には信じまい、そうドミウスは判断した。
「手のものが報告を寄越した」
「信じられませぬ。誤報では?」
「わしが真実と判断したのだぞ。ファリク」
ドミウスはわが子を見る。わが子であればこそ指導もしているが――あの黄金の女より発せられる圧力に気付かぬままのファリクに溜息を付きたくもあった。
「お前はわしの跡継ぎだ。そんなお前と……同数の兵数を彼女に与えている。それはわしが、彼女が有数の将帥と判断したからだ。
そう判断したわしの眼を疑るか?」
「い……いえっ!!」
その言葉にファリクは背筋を伸ばし、ぶるぶると怯えるように首を振る。
そんなわが子に退出の許しを与え、ドミウスは車椅子に背を預けた。
ファリクは、父である自分に対して臣従する家臣のような怯えを持った子に育ってしまった。
良い統治者となるように努めてきたつもりではあったが、到底良い父親とは呼べないだろう。
せめて今となっては、有能な家臣を残し、近隣貴族との関係を良好に維持する――その程度のことしか、我が子にはしてやれなかった。




