不利の内に入らないのか
夜半。窓の外側から淡い月光が差し込んでくる。
ローズメイはぱちくりと目を覚ました。
元々騎士として従軍していた身。寝起きはスイッチを切り替えるかのようにいい。
逆に自国領内の屋敷など、ある程度神経に緊張を強いる状況でないなら、例え耳元で突撃ラッパが吹き鳴らされようとも目を覚ますことはない。
そういう意味では、ローズメイはこの数日を、完全な精神の弛緩を自らに許してはいなかった。
とはいえ、無理もないだろう。
故国防衛のため最後の決戦に赴き。そこからわけの分からない力でまったく別の場所に飛ばされる。
ローズメイの剛毅さと無尽蔵にさえ思える体力が無ければ、体を壊していたとしても仕方ない状況の急変だ。
「……」
ローズメイは同室のシディアが寝入っていることを確かめると、寝間着――という贅沢なものはないので実質下着――の上から服を着て、腰に剣帯をつるし、帯剣する。
松脂を染み込ませた布を巻いた松明に火をつけて光源を確保すると……誰にも言わずに旅籠の外に出た。
視線を感じる。
いや、視線というのは違う。何者かが自分に対して強烈な意識を向けている。
害意や憎悪ではない。強いていうなら……自分に崇拝の念を抱きながら、『お願いしますっ!』と模擬剣片手に叫ぶ歳若い兵を思い出させる。
ローズメイは進む。
なんとなくこれが罠の類、相手の思惑通りに動いているという自覚があった。しかし警戒よりも相手が何を目論み、自分と相対する為に何をしようとしているのか、興味のほうが勝った。
悪癖であるな、とローズメイは自覚をしているが、森の中へと足を踏み入れる。
「……お待ちしていました」
「おれを見ていたのは貴様か」
松明の光に写る敵の姿にローズメイは目を細める。
端麗な容姿の青年だ。その丁寧な口調と物腰から平民ではないな、と察しをつける。恐らく貴種の生まれであろう。
気になるのは、先ほどから目を始終閉じ続けていること。そして腕に棒を一本携えていること。腰に刀を下げていることであろう。
恐らく彼の両眼は光より、より濃い闇のほうに愛されていたのだろう。
だがそれにも増して……彼の立ち姿には隙がない。
この近隣でこれほどの使い手がいたことに軽く驚きを覚えていた。
(……この世でもっとも恐ろしいのは満天下に名の知れた英雄ではなく。未だ世に名の知られざる、まるで無名の達人であったと、ハウロの奴は言っていたな)
父に仕えた部下であり、ローズメイ=ダークサントとしての最後の戦いに赴いた10人の近衛の一人の名を思い出し、ローズメイは相手を見た。
「隠す気もなくおれに意を発したな。下手な誘い方だ」
「……それはお恥ずかしい。こんな風に女性を誘うのは初めてなので」
「で。おれはどこで貴様の敵意を買った?」
ローズメイは首を捻った。
彼女も武人である。いまさら人を殺したことで気に病む真っ当な精神性とは無縁であったし、自分の意識せぬところで誰かの恨みを買っていることも覚悟していた。全ての戦いは自衛のつもりであったが、親類や家族を殺されたものの心は理屈では納得できないことも分かっている。
だが、ローズメイの言葉に、その青年は首を横に振る。
「憎悪ではありません」
「ほぅ」
「……あなたに勝ちたいのです」
「うん? ……生憎だが今のおれはただの女だぞ」
ローズメイは首を捻った。
今の自分は、『王国』にいた頃よりも地位も名声も遙かに劣る。
このアンダルム男爵領では、神父をさらし者にして貴族の非を打ち鳴らす『黄金の女』としてそこそこ知られつつあるが――大したものではないという認識であった。
「ご謙遜を」
盲目の青年の言葉を、ローズメイ配下の一党が聞けば一も二もなく頷いたであろう。
「逆に問う。物腰といい、振る舞いといい、貴種であろう。それがなぜ一介の剣士として戦いたいと望む」
「……少しお恥ずかしいことを申し上げます」
「申せ」
盲目の青年、セルディオは貴族であるはずの自分が、一介の剣士である黄金の女に対して自然と敬語を使っていることに気付いた。
自然と頭を下げているような威。それも権力で無理やり相手に頭を垂れさせるような重圧ではない。その声から漲る強大な自負に自然と敬服しているような感覚だ。
セルディオは自分の半生の中で経験してきた、鬱屈とした感情を暴露していた。
そうしながらも……ああ、確かに。これは従いたくもなる、と騎士ハリュの心情を理解する。
この生来の威に加えて、リーシャやハリュの言葉を信じるならば絶世の美貌を有しているのだという。これは確かに、英傑だ。天運が味方すれば大陸全土を手中に出来ると誰にも思わせる恐るべき器だ。
その黄金の女を前に、セルディオは戦意を高める。
今自分の両目が見えない事に感謝した。これほどの大器を自分のわがままで殺めようとするのだから。
だが……餓鬼のような我侭、癇癪と嘲るならば、笑わば笑え。
賢い行動ではない。愚かな振る舞いでしかあるまい。物事の理非は相手にある。
それでも、セルディオにとっては意味のあることなのだ。
命を賭けられる程度には。
「貴様の望みは理解した。……それが、命を失う結果になろうとも悔いはないな?」
「ええ。ありがとうございます」
「よかろう。……遊んでやる」
セルディオは頷き。
その音のみで構成された彼の近くにも、目の前の黄金の女が頷いたのを感じ取り。
瞬時に両名は動いた。
ローズメイは腰に下げた剣を抜き打ちざまに斬り付けようとして――見た。
目の前の盲目の青年は、その腰に下げる刀ではなく――支えとしての棒……の内部に隠された仕込み刀を即座に抜刀する姿勢であったのだ。
「ちっ!」
正面から堂々たる奇襲の一撃である。
だがそれを視認したローズメイの反応は閃電の如しである、迎撃には一瞬だが足りない。ならばと後方へと身を仰け反らせ――避けようとした。
その目論見自体は成功する。
なぜなら……仕込み刀による奇襲の一撃の狙いは、最初からローズメイではなく……。
彼女の持つ、松明。
視界を確保するための光源であった。
仕込み刀の一撃が松明の炎を斬るように横に切断し。
セルディオは自分の一撃が望み通りの結果を拾ったことを悟った。
(……よし!)
最初から目の見えない彼にとっては、闇は常にそこにあるもの。
そして光源を失ったローズメイは、視界を封じられ、月光の僅かな光で相手を視認しなければいけない。
上には森の木々。足元は不確かな木の根が這い回る悪環境。
十重二重に罠を張り、この黄金の女に全力を出させずに封殺する――!!
その次の瞬間、セルディオは黄金の女ローズメイが、鞭のような鋭さで横殴りに蹴りを放った音を聞く。
反射的に守りに入った。セルディオは腕を上げ、人体でもっとも硬い部位の一つである肘での守りを選択する。生半な蹴りであれば逆に粉砕するような一撃。カウンター気味の守りと反撃を兼ね備えたセルディオの判断は――そんな浅はかさをあざ笑うような桁外れの膂力で正面から粉砕された。
「ごあっ……!?」
セルディオは自分の肘とローズメイの肉体が激突すると同時に、自分の五体が空中を飛ぶ音を聞いた。
両足が地面から離れた失調感。空を舞うという一瞬の初体験の後に訪れたのは――周囲に乱立する木々に、背中から激突した事への激しい衝撃と、内臓をかき回すような苦痛であった。
まるで己の人体が鞠のように叩き付けられ。激痛に悶えて呻き声を上げる。
「はっ……がっ……!!」
「光源を断ったまではいい。おれの不利も認めよう。しかし……一瞬見せた、『勝った』という笑みはよくない。そのたぐいの笑顔はおれの死体にのみ向けるべきだ」
ローズメイの冷静な指摘と共に、足音がこちらへと近づく音がする。
セルディオは自分の心に生じた一瞬の慢心を正面から叩き潰され、ぜぇぜぇと荒い息を繰り返した。
(馬鹿め、セルディオの馬鹿め! 彼女が想像を絶する化け物であると承知していたはずなのに、一手奇襲が成功しただけで何を舞い上がっていた!
この一撃は僕の増長慢を諫める懲罰の一撃だ……くそっ! くそっ! さきほどの『遊んでやる』という言葉はそのままの意味か!! あの女にはまだ僕は敵として見てもらえていないのか!)
その壮絶な蹴撃。黄金の女の持つ大腿の脚力を思えば、木に叩き付けられた自分に追いすがり、トドメを差すことも簡単だったはず。
それをしない意味など分かりきっている。
光源を断たれ、闇の中という不利な状況であっても――なお、相手に脅威を感じていないという意味の裏返しであった。
(目を剥かせてやる、一泡吹かせてやるっ! 命を奪ってやるっ!
……くそっ、この黄金の女、いけないな、気を抜くと好きになりそうだっ!)
セルディオは今の眼の覚めるような一撃を受け。猛烈に精製されるアドレナリンによるものか、とんでもなく頭の中が冴える感覚のまま笑った。
あまりにも一方的で、我侭な理由で勝負を挑んだ自分に対して、相手にとってはなんの利益もないまま命を賭けた勝負を受け入れ。
そして今の一撃で、困ったことにセルディオは目が見えないという理由で自分の事を哀れんでいた連中よりも、この剛毅な黄金の女のほうにこそ認められたいという気持ちが芽吹いていることを自覚した。
膝が震える。一撃を受けた肘はなんか変な感じだ。
しかしまだ戦える。地力においては自分は圧倒的に彼女の下だが暗闇の有利が失われたわけではない。
まだだ、まだ何一つ見せてはいない。闘志を燃やすセルディオに対して、ローズメイは愉快そうな声を発した。
「闘志を燃やし、渾身の力を尽くし、考えうる限りの手札を切れ」
剣を構える。
「さすれば即死のみはまぬがれるであろう」
そろそろ生活環境が変わりそうな感じです。
作品の更新頻度が下がるかもしれませんが、ご了承ください。




