浮足立ってるぼく、再会する精霊、不機嫌そうな幼馴染。
「マークス、またそれ気にしてるの?」
「そろそろだったんだ。今のころだったんだよ」
ぼくは、一枚の紙を持って、落ち着かない気持ちだ。
これは去年、風の精霊だって言う女の人からもらった物で、
来年この町に自分が来た時に、心靡かずにいたら、いいものをくれる。
そう言って、自分がいたことの証拠であり道標だと、
ぼくにこの紙を渡して一晩過ごして、何も言わずに去ってしまった。
手形のつもりで魔力を閉じ込めたら、手に当たる部分に
緑の竜巻の形が刻印されたらしい。
それを見て彼女は、手形じゃなくなっちゃったな、って笑ってた。
「そろそろって、シルフィードが来てから一年?」
「うん。夏に冷たい風が吹いたころだった」
「あの夜以来、強い風が通り過ぎると、
遠くを見つめてぼんやりしてたもんね。そんなに綺麗だったの?」
「そうだね」
「そうですか。よく一年間も思いが持続するものですね。
来るのかどうかもわからない、一夜限りの相手に対して。
それとも、報酬につられたお馬さんですか?」
「そ、そんなに睨むことないだろアイサ?」
幼馴染は、ぼくが去年出会った風の精霊、
シルフィードのエリアルさんの話題をすると、
決まって機嫌が悪くなる。女の子って、よくわからないんだよなぁ。
「だって、ずーっとオネツが冷めないんだもん」
「オネツ?」
「とにかく。今日来るって言うなら、再開して報酬もらって、バイバイしてくればいいのよ」
「な……なんて言い方するんだよ!」
「自分のことしか見えてないマークスが悪いの」
「なんの話だよ?」
「知らないわよ」
言ってることがめちゃくちゃだ。
でも、いじけ全開状態にまでなってしまったアイサを、
これ以上刺激すると怖いので、これは心の中にとどめておく。
「竜巻だ! 緑の竜巻が迫って来るぞ!」
「みんな家から出るな!」
外で大人が大声で叫んでいる。
「緑の」
「竜巻ですって?」
ぼくらは思わず、エリアルさんの手形を見た。
そして、顔を見合わせた。
あわただしく、激しく閉められる家々のドアの音。
「竜巻って、見えるほど近かったらもっとすごいことになってるんじゃないかなぁ?」
「たぶん、家とかガッタンガッタン揺らされてるわよね?」
「もしかして……人払い?」
「考えすぎでしょ」
「とげとげしいなぁ。ぼくは可能性の話をしただけじゃないか」
「どうだか。そんなに会いたかったら行ってくれば?」
「う、うぅ……そんな風に言われると、行きづらい」
「さっさと行ってこい!」
窓を開け放ちながら言うと、アイサはぼくを抱えた。
「ま……まさか?」
「そのまさかよ!」
思いっきり放り投げられて、ぼくは家の外においやられてしまった。
「うわーっ?!」
アイサ、こんな腕力いったいどうやって手に入れたんだ?
「ぐっっ! ってぇ……」
したたかに背中を打って、少し動けなくなってしまった。
大人に見つかると怒られる。でも、せっかく外に出たんだ、このまま行こう。
「さっさと終わらせて帰ってきてよね」
「アイサの奴。何事もなかったみたいに窓閉めたな。それもそーっと、こざかしい奴」
ん? 今、唇が動いたな。なんて言ったんだろ?
「人の唇みつめんな変態」
少しだけ窓を開けたアイサが、そう射殺されそうな目で、
こっちを睨みながら言ってきた。小声で。
「って言うか、窓開けさせないでよね、おとなりさんに気付かれたらどうすんの」
言うとぼくの声を待たずに、また窓を閉めた。
ぼくの家は今、両親が冒険者の遠征依頼で家を留守にしている。
だから、アイサと彼女の家がめんどうを見てくれている状態だ。
「なんなんだよもう」
痛みが引いた。バレないようにするには、姿勢を低くして走るか。
「よし、いくぞ」
黄昏の空の下、ぼくは緑の竜巻と、
してもいない待ち合わせの合流場所を考えながら走り出す。
向かう場所はどこがいいか。どこが分かりやすいだろう。
……いや。相手が竜巻なら。
吹いて来る風に突っ込んで行けばいいか!
「エリアルさん!」
町の広場まで駆け抜けた。
ここでぼくは、まるで人が歩くように、道なりに移動して来る奇妙な竜巻を、
例の紙を掲げながら、思い切って声を張って呼び止めた。
賭けとあてずっぽうだ。この緑の竜巻がエリアルさんだなんて、
そんな保障はどこにもない。でも、ぼくの呼びかけに
竜巻の姿が変わり始めた。
少しずつ薄くなって行く緑色に、ぼくは自然と笑みになっていた。
「やー、久しぶり。大きくなったねぇマークスくん」
緑の長い髪に、薄青の翼、灰色の瞳。
黒のワンピースを着た、背の高い女の人。
しっかり目に焼き付いてる。間違いなくエリアルさんだ。
「え、あ。ど……どうも」
親戚の人みたいな第一声に、ぼくはどう返していいのかわからなくて
歯切れの悪い言葉になってしまった。
「それより、どうしてぼくの名前を? ぼく、名乗ってなかったはずですけど」
「あたしはシルフィード、風の精霊。風の噂は真実を運んでくるんだよ。
精霊の間での風のうわさは、風の精霊が見聞きしたことを教えてくれる
ってことだからね」
「そうなんですか」
それ、うわさじゃなくてただの伝言のような?
「うん。あれ? どうしたの? 去年はそんな硬くなかったのに。
なんか距離感じるなぁ」
この人、こんな飄々とした人だったっけ?
もっとこう、大人のお姉さん、みたいな雰囲気だった記憶なんだけどなぁ。
「ぼくは、あなたの雰囲気が記憶と違ってびっくりしてます」
「そうなの? どんな風だと思ってたの?」
「もっと、大人っぽい感じだったなー、って」
「ん?」
ぼくの答えを聞いて、エリアルさんはなんだか考え込んでしまった。
「ああ、それ」
思い至ったようで、楽しそうにパッと明るい表情になった。
……いや、これは楽しそうと言うより、
いたずらを思いついた子供みたいな感じ、か。
「それね。世界周った後で、クッタクタだっただけだよ」
そう言って、エリアルさんは大笑いし始めた。
「あ、ああ……そう、だったんだ」
あのけだるさは、疲れてただけだったのか。
「あれ、血の気が引いてる。そんなにショックだったの?」
まだ笑いが収まり切らないエリアルさんは、ぼくを見て意外そうだ。
驚きすら混じって見える。
「この一年間、ぼくが抱き続けたエリアルさん像が……」
「そんなにかわんないと思うんだけどなぁ。けど、そういえば」
「なんですか?」
「今年は速く動けてたし、それでもぜんぜん疲れてなかったなぁ。
なんでだろ? もしかすると」
「な……なんでこっち見るんですか?」
「赤くなんない、ただ見ただけだよ」
「ぼくにとっては、それで赤くなるには充分なんです」
「すねないでよ。で、なんで君を見たかって言うとね。
もしかすると、まだなにとも交わってない純粋な魔力に触れて
あたしの魔力が強くなったんじゃないかな、って思ったんだ」
「その純粋な魔力が、ぼく?」
「うん。つまり、その魔力をあたしがこれから染めちゃおう
って話になるわけなんだ」
「どういう……ことですか?」
話がまるっきり見えない。
「キス、あるでしょ」
「えっ」
自分で顔が熱を持ったのがわかる。
「あれね、実は人間は気付いてないようだけど、お互い魔力を送り合ってるんだ」
「そう、なんですか?」
まったくの新情報だ。そんな話、誰も教えてくれてない。
エリアルさんが言うには、人間は誰も知らないみたいだけど。
「うん。あれ、軽い儀式なんだよね。で、どうしてそんな話になるかって言うと」
「あ、あの。ちょっとまってください」
「え? なんか難しいことあった?」
「いえ、あの、さっさと話し進めようとしてますけど。
その話しの流れからすると、その。ぼくと、エリアルさんが」
「頭いいじゃん。そうだよ、君にあたしがキスして
風の魔力をあげようって話」
「え、え。えええ!?」
「びっくりすること?」
「あ、あああ。あたりまえじゃないですかっ!」
「大地にしっかり立っていながら、風みたいにふわふわ定まらない心の人間。
そんな人間の、特に君達ぐらいの年頃の人間は、よりふわふわしてるって聞く。
そんな君が一年心を靡かせずに一年魔力をたもった。それに対して
精霊のあたしができるのは、魔力をあげることぐらいだからさ」
「あっさり言わないでくださいっ! そんな、キスだなんてっ!」
「ん? もしかして、初めてがしたいお相手さんでもいるのかな?」
からかうような表情で、表情と同じ声色で楽しげに聞いて来る。
「え、いえ。特に、いませんけど」
「あらら、かわいそうに」
「え? なんですかそれ、どういうことです?」
「あんなにかわいい子が、魔力を交わらせることなく近くにいるのにねぇ」
「……話が見えません」
「そっか。あの子も大変だ」
誰にかはわからないけど、同情的な表情だ。
「なんなんですか?」
「そうだね、話が脱線しちゃったね。で、どうする?
報酬、受け取る?」
それはすなわち、エリアルさんとキスするかどうかを聞いているわけだ。
できるものならしたい。したいけど、キスってそんな、
物みたいにしていいものじゃない気がする。
「迷ってるねぇ。去年の君の態度だと、喜んでしそうな感じだったのに」
クスクスと微笑して、からかうような調子だ。そう、これだ。
ぼくの中にあったエリアルさんは、こういう感じだった。
とても疲れてるだけで出せる雰囲気じゃなかったし、今もそうじゃないはずだ。
この人が、どういう人なのか読めない。
風の精霊だから、風の動きみたいに気まぐれな人……なんだろうか?
「迷わせてるのはエリアルさんじゃないですか」
「そう? あたしは、ただ報酬について説明してるだけだよ?」
「すっとぼけてませんか?」
「怖いなぁ、睨むことないでしょ?」
やっぱり飄々として言う。
この人の素はこういう雰囲気なのかもしれない。
この、ぼくの中のエリアルさんとのズレ、キスについての考え方。
だんだん、エリアルさんへの思いが冷めて来た。
百年の恋も冷めるって、こういう気持ち……なんだろうか?




