ツーカー
「そもそも、これ一つの目的によるものなのか?」
「え?」
考え込んでいた彼は唐突に話し始める。
「何か事故を起こそうと種蒔きをしているのは分かった。君の推測も完全に的外れと言うわけではないだろう。だがあまりにもバラバラ過ぎる。思惑の異なる者が何人もいると考えた方が辻褄が合う」
なるほど。頷いていれば彼は書類を取り出す。トントンと指で示されて覗き込む。
「この辺りの楽器の不正などはきっと最近の問題ではないんじゃないか?」
楽器の仕入れ先を変えた記録はあったかと聞かれた。金額までは分からないが、業者がここ5.6年は変わっていないことは記憶している。業者を変えたのは確か8年前だったような。あやふやな記憶は何らかの齟齬を生むかもしれない。鞄を取ろうとしたら制止されて持って来てくれる。
「動けるのに」
不満そうに見上げれば頭を撫でられる。心配なんだと目を細めて言われてしまえば何にも言えなくなってしまう。
資料とメモを見つけて、示せば顎に手を当てたまま思考しているようだ。
「何年もの間、組織ぐるみで着服していたってこと?」
「ああ。そして、この業者はグルだろう」
業者に関してそこまでの資料はない。連絡先だけ控えておいたが、それだけだ。
「8年前…ウィルが学園にいた頃よね?」
「俺はこの辺りの行事には関わっていないから分からない…が、知り合いなら詳しいだろう。すぐに連絡を取ろう」
「あと、学園内で借金を抱えていそうな人物はピックアップ出来そうですよね?」
立ち上がった彼に声を掛ければ頷く。オリビアに調べるように頼んでくれるそうだ。部屋の外に出る彼を見つつ、不安に思う。これだけ不正が見つかるって、この学園大丈夫なのだろうか。
「君に関する事柄は誘拐後どう動くかで分かるだろう。君の想定が正しいのならこれ以上深追いはしないはずだからな」
彼の調べによれば今の所目立った動きはないようだった。先日の殿下の部下の報告でも、気になることはなさそうだ。私にどれだけ情報を落としてくれるかという問題はあれど緊迫はしていないように思われる。
私が修理や補正をして回ったところはそのまま保たれているようだ。誘拐されるまではオセロのように私が何かをすればひっくり返される感覚はあったが、今は形を潜めているように思える。私が直接確認できていないから、100%確実とまでは言えないのが口惜しい。
私が学園に戻れば、一発でわかることだと思う。見上げれば私の考えていることがわかったのか、眉を顰められた。手を握られる。
「絶対に囮は許さない」
完全に思考を読まれている。長い付き合いは伊達じゃないのよね。ため息を吐けば握られた手に力が入る。
「相手の正体が分かるまでは、この家から出れないと思って欲しい」
「それって暫くは絶対に出れないじゃないですか。皆目見当も付いていないのに」
「本当に?」
彼はずいっと距離を詰めた。目を逸らすのは許さないとばかりに強く見つめられる。
「君は少しは心当たりがある。違うか?」
核心をついてくる。不確定要素を話すのは避けたかった。殿下の影に話したのはあちらは仕事だから。プロに任せた方が安心だ。
「なぜ?」
緊張して直接的になってしまった。これだと肯定しているようなものだ。それでも気になる。なぜ犯人の心当たりがあると思ったのだろうか。
「うーん、ただの勘?」
勘とは?と呆気に取られる。「長い付き合いだと言っただろう」と付け加えられてそう言うものかと疑問に思う。私ってもしかして分かりやすいのか? 少しショックだ。
「…気のせいかもしれません。薬のせいで事実とは違うかも」
「構わない」
「…私が連れ去られた時、甘い香りがしました」
「甘い香り…?」
「あれは礼拝堂で炊く香の香りに似ていて…」
「礼拝堂か」
「口に当てられた腕は白い装束に見えました」
そして、私が意識を失った時叫ばないように口に布を当てられたが、何か鎮静剤を打たれたようだった。随分と手慣れていた。血液検査の結果、投与されたのは鎮静剤や静脈麻酔で使われる医療用医薬品だった。殺し屋などのプロが使う系統のものではなく、医療従事者が使う方が主だと思う。この辺りはお父さまの報告を盗み聞きしたのだけど。
診療所を兼ね備えた教会なんてこの国にゴロゴロあるものではない。その上、学園関係者となれば数は限られる。宗教関係者を証拠もなしに拘束することは出来ない。彼らにはある種の治外法権があるから何かと厄介なのだ。こちらが気付いていると知れば絶対に雲隠れしてしまう。




