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手掛かりと信頼

「いらっしゃるんでしょう? 殿下の指示でしょうか?」


誰もいなくなった頃を見計らって声を掛ける。唯の勘だが、おそらくいるはず。

暫く沈黙が続き勘違いだったかと恥ずかしくなった時に影が落ちた。


「記憶喪失は嘘だったのか」

「いいえ。記憶が混濁していたのは事実です。ただ」

「ただ?」


「…、私を連れ去ろうとした犯人掴めましたか?」

「君の方が何か掴んでいるのではないか?」


一旦、口をつぐむ。思い出しことをそのまま口に出した。


「微かに香りがしたんです」

「香り?」


微かな記憶を遡る。何とか攫われた証拠を残そうと靴を蹴り飛ばした際、甘い香りがした。口を押さえてくる腕は白い装束に包まれていた。


「礼拝堂でする香の香りです。朧げですが白い装束を纏っていました」

「…それが法衣だと?」

「そこまでは…私の想像の域を出ません」


考え込む男に、私は無力さを実感する。


「何に巻き込まれているのかわからなくなってきました」


弱音を吐いた感じになってしまった。少し気まずいがこの鉄仮面の男は意にも解さない。それはそれで安心するが。


「その線も洗ってみる」

「よろしくお願いします」

「別に君の為じゃない」


彼は殿下の手足であるので、その言葉は正しい。見当違いのことを言ってしまったと反省する。


「殿下にご迷惑をお掛けしますとお伝えください。あ、行事の進捗はどうなっているかご存知ですか?」

「君がほとんど終わらせていたから計画通りに進んでいる」

「よかった」


「告げるなら早い方がいいぞ」


時間が経つにつれてどんどん言いにくくなるからな、と忠告めいた言葉を捨て台詞にして去っていった。




♦︎♦︎♦︎




馬車に乗り込み髪を乱雑に掻き上げる。柔らかい感触がよぎり、頭を振る。


「あの子は全く」


からかっているのだと睨みつければ、純粋無垢な笑顔を向けられて黙るしかなかった。下心のない純粋な笑みはたちが悪い。

目覚めた時の柔らかい感覚は天国のようだったけど、ずっと胸に頭を埋めながら寝ていたなんて。もっと堪能したかった。今になって意識を失っていたのが悔やまれる。

そもそも無防備過ぎる。俺が手を出さない保証もないのに。危機感が足りないのではないだろうか。


一人ブツブツ言っていればオリビアの生暖かい目が向けられた。顔の赤みは引いただろうか。少しわかったことがある。


「おそらく、スイレンの記憶は戻っている」

「はい?」


首を傾げる彼を視界に入れつつ、思考する。最初に俺を見た時は、不安と恐怖が目から窺えた。知らない者を見る目、態度に気落ちしなかったと言えば嘘になる。

記憶の混濁は嘘だとは思わない。誘拐のショックや頭部を打ったことで一時記憶が錯綜することは往々にしてある。


傷から菌が入り熱発を繰り返し意識が戻らなかった時は、医師からも状態は良くないと忠告されていた。抗菌剤が上手く作用し、安定するまでは生きた心地がしなかった。


その後から、彼女の目から知らない者に対する怯えが消えた。よそよそしさは変わりない。不安などの負の感情は残ったままだが、俺の存在を受け入れているようだった。

長い付き合いだ。彼女の違和感くらい見ればわかる。記憶が戻ったのはあの辺りなのだろう。

彼女の意図は読めないものの、意味のないことをする女性ではないことは理解している。悪戯に迷惑を掛ける性格でもない。


記憶喪失の方が都合がいい、とか?


あり得るな。そこまで思考を巡らせて息を吐き出す。随分と深いため息になってしまった。


巻き込んでくれればいい。協力は惜しむつもりはないのだから。俺を信用していないのか、遠慮しているのか。後者だとは思いたいが、それはそれで寂しいものがある。



俺と揉める前の彼女は色々と調べ上げて、何やらひどく考え込んでいるようだった。それと今回の誘拐騒動は関係があるのだろうか。

調べ方を変えてみるか。


「彼女が誘拐される前に探っていたことを調べろ」


そこに何らかの手掛かりがあるはず。


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