安心する温もり
全身が痛む。体が酷く重く、沈み込んでいくような心地がする。指一本を動かそうとするだけでも痺れが走った。
白い天井がぼんやり視界に入る。周囲を見渡そうと顔を動かした瞬間、ズキンと頭に強烈な痛みが響いた。
手に何やら感覚がある。視線だけ向けると手を握っていた男性と目が合った。その人は目を見開いた後、安堵したように笑った。
ぎゅっと抱き締めて来たその人の体は震えていた。
頭はぼんやりとして上手く働かない。頭がガンガンするように痛み、視界が霞む。何か言われているようだが、耳鳴りがして音も良く聞き取れなかった。
窓からの光が眩しくてチカチカした。
男性の輪郭がキラキラと光って幻想的に見えて、お迎えが来たのだろうかと正直思った。
抱き締められているから顔がすぐ近くにある。ぼんやりとしているが、顔立ちは窺えた。誰だっけ。記憶と結びつかない。ずっと握られている温かいは覚えがあった。不安な時、緊張する時、いつでもこの温かさがあった気がする。
高音と大きな音が疎にする。音が増えたような気がした。騒がしい。視界をぼんやりしたものが横切る。
反応の鈍い私に、周囲から揺らぎを感じた。男性は体を離して、白い誰かと場所を変わる。手は握られたままだった。
何か問い掛けられているが理解ができない。
どうしたらいいか困って目を伏せた瞬間、騒めきが広がった。手に水滴が落ちる。視線だけやればぎゅっと手を握り締められた。
思い出そうとして集中すれば頭痛が酷くなるだけだった。
周囲から騒めきを感じる。大きな音が波打つように動いていた。水の中で外の音を聞くのに近い気がする。
頭痛が酷く目を開けていることもしんどい。少し目を閉じると、眠っていたようだった。
次に目覚めた時には、間接照明だけ付いていて部屋自体は暗かった。夜だろうか。
視線をあちこちに向けると、先程と同じ場所に人がいた。男性は書類に目を通していたらしい。私と繋がっている手が微かに動いたのを察知して、慌てて見た視線とかち合った。
先程よりは霞は取れているので表情がよく見えた。泣きそうに見えて、胸がぎゅっと締め付けられるような感じがした。
「スイレン、大丈夫か? 何か欲しいものは?」
頭痛は無くならないものの、耳鳴りは少し改善していた。何とか言葉は聞き取れた。水が欲しいと言いたかったのに、声が掠れて出なかった。
察して水差しを手に取った。そのまま少しずつ飲ませてくれる。もういらないと口を閉ざせばベッドテーブルに戻した。
「あなたは」
ずっとここに居たのかという意味で零せば、ぐしゃりと顔を歪めた。それを無理に取り繕うと、君の婚約者のウィリアムだ、と名乗った。
ウィリアム。口の中で名を呼んでみる。まだ頭は働かないが、どこか馴染んだ名前だった。
何度か繰り返す私の言葉に、何度も頷く。手に力が込められたが、手には力が入らない。
「ここにいるから、安心して眠ってくれ」
優しい声がした。大きな手に目を覆われる。ひどく安心する温かさだった。散々寝たから眠れないと思ったが、すぐに意識は暗闇に吸い込まれていった。
翌日、目を覚ました時には数人集まっていた。おそらく家族だろう。腕や足を動かせるくらいには回復していた。
医師の指示通りに侍女がストレッチをしてくれる。一人で体は動かせないが、支えて貰い痛みを堪えればトイレに行くことも出来る様になった。
馬車の事故にあったらしい。それが真実であり、嘘を含んでいることも雰囲気で察した。
この時点で事故にあってから1週間経過しているとのこと。
治らない傷ではなく大多数が打撲。鞭打ちによる痺れや吐き気が、耳鳴り。腕の橈骨骨折。頭部外傷による記憶の混濁が見られるが、少しずつ回復していくとの見立てだった。ストレスが掛かると回復は遅くなるし、頭痛が酷いようだから記憶をせっつくことはないように医師に言い含められていた。
記憶の混濁も少し改善して来ていた。考え込むと酷く頭痛がするのは変わりないが、彼が婚約者というのは思い出した。まだ記憶は所々穴あきで気持ちが悪い。
誘拐されておそらく事故にあったまでの過程がすっぽ抜けているのは薬のせいだろう。
頭がぼんやりして上手く働かないのは、薬のせいか、ぶつけたせいか。
記憶がぼんやりとしかないのに私は焦っていない。もしかしたら、私は何かを忘れたかったんだろうか。
少し回復したと思ったら、今度は酷く怠くなった。呼吸が荒く、時折咳き込む。寒気がして喉がヒリヒリした。人を呼ぼうにも体は動かないし、声が出ない。夜の暗い部屋で毛布に包まりながら、震えて夜が明けるのを待った。
朝になって枕元が慌ただしくなったのを感じたが、目を開く元気もなかった。頭が冷んやりして少し楽になったような気がする。
私は薔薇の庭園に佇んでいた。
全身は軽く、歩き回れる。きっと夢なのだろう。
美しいバラ園はどこか見覚えがあった。歩いてアーチをくぐり抜ける。開けた芝生の上に2人の子供の姿があった。
あれは私とウィリアムだ。
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