敗北宣言
落胆する他ない。
こんなことなら、お爺さまの誘いに乗っておけばよかったと思う。後悔してもどうしようもないけれど、筋肉は裏切らないのだから。
お婆さまの口癖だった。人間は裏切るけど、筋肉は裏切らないから何かあれば筋トレをしなさい、と。
辺境にいる時にほぼ毎日言われていたから、領地に戻っても気が付けば体を動かしている自分がいた。刷り込みって恐ろしい。
「努力は自信に繋がる。自分の努力を認められるようになって自ずと自信は生まれた。
どんな女性に言い寄られようとウィル様が靡くとは思えないけど、お姉さまは別」
私が勝手に応援し始めた癖にね、とぼやく。
「何でローズがウィルのことを好きだと思ったんだ? 俺には想像出来ないが」
唸りながら首を傾げる。どんなに考えても解せないといった感じだった。
「そもそもあのローズが誰かを好きになること自体が想像できない。義務と自尊心で王妃教育をほとんどやってのけたやつだぞ」
お姉さまの中では殿下への気持ちはあったはずなのだ。どんどんと変貌を遂げ、愛という形ではなくなってしまったかもしれないが。
「初めに違和感を感じたのは1.2ヶ月くらい前かしら? ウィル様とお姉さまって意外と仲いいじゃない?」
「たまに話してるよな」
「いつも気にしてなかったんだけど、顔を赤らめながら話しているのを見かけて」
ローズが?と訝しむ殿下に私も頷いて返す。最初私も驚いた。王妃教育で感情を表さないように徹底されていたはずだから。
それからの経緯を説明すれば唸りながら殿下は聞いている。今までの2人からするとあり得ない展開だとは思うが、話だけならグレーだと思う。そして、彼はいきなり落とされる恋を知っている。
「この前うちのバラ園の裏で抱きしめていたところを見てしまって…」
「まじか」
顔が強張る。抱き合ってるってもうあんまり言い逃れできないと思うのよね。
「わかった。ローズがウィルのことを好きだと仮定しよう。それが事実だとしても一方的な気持ちじゃどうにもならないだろう? 気まずいかもしれないが、ローズは諦めるしか」
「…一方的じゃないかもしれない、と言ったら?」
まさかと呟く。信じられない顔で見てくるが、私も信じたくなかった。
ずっと特別なんだと思っていた。柔らかな表情を向けてくれるし、大切にしてくれる。あの愛おしい顔を向けられたら、誰だって好かれているって思う。
勘違いってどんなオチよ。
「あの好きだって伝えてくる表情を、お姉さまにも向けていたの。…私だけじゃなかった」
ぽかんと見上げてくる。込み上げてくる気持ちに逆らうことができなくて、唇を噛み締める。
「見間違いではないのか?」
「ええ」
「実は君に向けていたとか」
「私がいないのに?」
口をつぐむ。空気は重くなっていた。
「頑張って取り繕って来たけど最近ボロが出始めて、そりゃもうギクシャクしてる。自分が嫌になるくらい。
だからね、今あの表情を向けているのは姉だけなの」
言い切れる自分に切なさを感じる。
それでもずっと見て来たから分からないはずがない。
ウィルに会っている時はひたすら時間が経つのを待つのに、会えない時は顔を見たくて堪らない。実際に顔を見ると喜びよりも、苦しさが勝ると言うのに。
好きな気持ちがなくなったら楽になるのだろう。早く楽になりたい。楽になって早く会いたい。矛盾しているとはわかっている。
「会いたくなくて…帰らなくても許される言い訳を模索して色々引き受けたのよね」
「だから歌劇も演奏会も武道大会もエントリーしたのか?」
唖然としたように問いかけて来た彼に頷く。
理由はそれだけでもないけれど概ね合っている。もう一つの理由は後で相談させてもらおう。本来なら婚約者を頼りたかったが、どうしようもない。
馬鹿と頭を叩かれた。自分でも馬鹿だと思う。
一般的な生徒ならどれか1つにエントリーするのが普通だ。特技が多い者や就活などを有利に進めたい者がたまに2つ申し込むが、それでも結構厳しいスケジュールになる。
「運営側の仕事もあるんだろ? 寝る時間もないんじゃないのか」
殿下だって多忙を極めながら生徒会の仕事をこなし2つの競技に出ていた。
あの時は化け物だと畏怖されていたが、自分も似たようなことをすることになるとは思わなかった。
目の下をなぞられる。コンシーラーで出来る限り隠していたが、あれだけ泣けば落ちているだろう。
「隈できてるな。家に帰らなくてもいいから睡眠はしっかりとれ。俺ができる仕事なら手伝ってやる」
「ありがとうございます。助けてくれると嬉しいです。何にも考えたくなかったのだけど抱え込みすぎちゃった」
散々甘えておいて今更だけどとてもありがたい。先程の姿を見られて仕舞えばもう取り繕う気にも、遠慮する気にもならない。
恥も外聞も忘れて、縋りついてしまおうか。みっともない姿を晒しても流してくれるだろう。
ねえ、聞いて? と言葉がサラリと出てきた。こんなこと誰にも話せない。敗北宣言だから。
「久しぶりに帰ったらね、門番があの人毎日来ていたと言うの。でも私に連絡の一本もなかった。手紙も届いていない」
そこで止める。また泣きそうだった。嗚咽が漏れそうなのを堪える。話さなくてもいいと彼は首を振ったけど、終わらせなくなかった。吐き出したかったから。
「なんで来てたんだろうと思うでしょう? お姉さまに会いに来ていたんだって」
使用人が話してたの聞いてお姉様のところに突撃してこの様です、と付け足す。お手上げだった。
「…厳しいな」
「状況証拠は揃い過ぎてるのよね。まだ信じたくはないんだけど」
「信じられない、が」
「でも知ってるでしょう? 理性で分かっていても、恋に落ちるのは止めることは出来ないって」
「手酷い失敗済みだからな」
笑わそうとして失敗した。まだ笑いに出来るほど彼も割り切れていなかった。




