劣等感と蟠り
少しの間沈黙が流れる。
休日で学園内にいる学生が少ないせいか、自分たちが会話をやめれば殆ど物音はなくなる。
課外活動に参加する生徒の声や、生活の物音がしなくなるだけで物寂しさがあった。
何かを思い出したのか、頭をぐしゃりと掻き上げた。勢いよく息を吐き出す。
「大体ねえ!」
バンと机を叩いて身を乗り出す。机に置いてやったカップの水面が揺れる。それにハッとしてごめんなさいと謝った。
「大体…あれだけ人を弄んで、特別じゃないとか馬鹿じゃないの? あんな顔しないでよ。期待させないでよ」
「…ウィルのこと?」
彼女は恨めしげに頷く。いやいやいやいや。首を振る。どう考えたって、と反論する。
「ウィリアムはお前のこと好きだろ」
「そう思いますよね?」
「誰がどう見てもそうだろ」
言い切った俺を見て苦虫を噛み締めたような顔をする。
「私も好かれてると思ってたけど!!」
「けど?」
勢いがみるみるうちに萎んでいった。塩を掛けられた蛞蝓のような反応に少し驚く。
目を伏せて言いづらそうに口を開く。
「じゃあ、なんで……好きって言ってくれないの?」
「は?」
ポカンと口を開けたまま止まる。
「一度も好きって言われたことない!!!」
彼女の大声は壁に反射して響いた。室内は防音だから外に漏れることはないだろうが。
「嘘だろ???」
あれだけ好きだと全身で表現していて、一度も言葉に出したことないなんて。彼女に視線をやる男全てに牽制する男なのに。
さすがに彼女の勘違いだろ? うん。
「嘘じゃないわよ!! ふざけんなよ」
「俺に怒るなよ。え、一度も?」
「ええ、一度も」
「婚約してから4年は経ってるよな?」
ほぼ同時期には婚約が決まっていたはず。自身とローズの婚約が発表されたのが学園に入学する前だから、4年くらいは経っているに違いない。
「ええ。惚れさせたんだから責任取ってよ…好きにさせといて他の人がいいとかふざけてるでしょう」
荒れている彼女を放置して考える。好きなら好きだと言葉で伝えるだろう。片思いならまだしも婚約者である訳だし、不仲というわけでもないし。言うのが恥ずかしいと言うタイプでもなさそうだ。
「やっぱりお姉さまの方がいいんだ。知ってるよ。家と家の繋がりだものね。条件がいい方がそりゃいいに決まってるわ。どうせ、勝てないわよ。ポンコツで悪かったわね。
好きでポンコツなわけじゃないのに」
騒がしく喚きながら再び泣き出した。うるさいな。顔を顰めるが、先程の静かに泣かれるよりはよっぽどマシだった。
適当に頭を撫でながら、肩を貸す。涙で湿って来たのでタオルを間に挟んだ。
この感じは確かにポンコツだ。彼女に憧れている子たちが見たら幻滅するんじゃないか。
いや意外と親しみを覚える可能性もなくはないか。外面が厚くて超人に見られているからな。少しでも弱みを見せれば、俺に相談する必要もなくなるだろうに。
これがアザリアだったら目一杯甘やかしてやるのに。そんなこと考えながら、ぐりぐり撫で回していれば手を叩かれた。
「何か邪な気配を感じました」
「お前エスパーか何かなの?」
顔を上げた彼女に問いかける。もうそろそろ本題に入りたい。
「ローズがウィリアムに惚れたって?」
力無く頷く。自分が負けたように振る舞っているが、どういうことだ?
「君、パーティーであいつに粉掛けてきたやつ返り討ちにしていただろう? ウィリアムが他の女に靡くわけがないと。あの自信はどこいったんだ?」
「他の女には負けるつもりはない。…けど、お姉さまには勝てる要素がないもの」
言い切った彼女の言葉に頷こうとして一旦止まる。
「…そうか?」
こくりと頷いた。散々泣いて幼児帰りしているのか随分と幼い動きだった。
何度か深呼吸をするのを眺める。漸く落ち着いたようで、自嘲するように彼女は表情を歪めた。
あなたなら分かってくれると思うけれど、と前置きをして続ける。
「私、お姉さまが大っ嫌いだった」
苦しそうな顔で大嫌いと紡がれる。大嫌いと思う自分を許せないと感じているように見えた。
だろうな、と相槌が打つ。
似たようなことを感じたことがあった。
俺とスイレンは半端ない努力をしないと人並みを抜け出せない。対してローズとウィリアムは正真正銘の天才だ。ついでに言えば俺の末の弟も。
苦い思いをした記憶はまだ鮮明に思い出せる。
「お姉さまは昔から一聞けば十理解することができるのよね」
「ああ…」
心当たりがある。
王妃教育を涼しい顔でやってのける彼女に、ひたすら抜かされないように必死だった。
王族として彼女よりも早く教育を受けていたはずなのに。気付いた頃にはひたひたと後ろに迫られていて。あれだけのペースで熟されるとこちらの立つ瀬がなかった。
教師の視線が日に日に強く突き刺さるようになっていった。
プライドだけで駆け抜けた日々は今でも夢に見る。魘されて汗びっしょりになって起きて、その過去から脱却したことに安堵するのだ。
「年近いから当然の如く比べられて」
ああ言う比較って悪気があってもなくても当事者からしたら地獄なんだよな。
彼女は遠くをぼんやりと見つめている。その先にあの過去があるのだろうか。
「家庭教師や周囲が"お姉さまは"と口を出す度に、どんどん自分が無価値な人間になっていくって感じてた」
あの奈落の底に沈んでいくような焦燥感は、同じ立場にないと共感できない。そしていつまで経っても完全に消えはしないのだ。
俺の場合は、ローズは婚約者で同じ家にはいなかったし、王子と令嬢を表立って比較するような命知らずはいなかった。
末の弟も年が離れているから最初に才能に気づいた時は脅威に思ったが、ずっと比べられていた彼女ほどではない。
割り切れるようになっても、たまに思い出す。
伽藍堂の目はあの頃の自分を見ているようだった。天才が近くにいるとどうしようもない。
なまじ相手の凄さがわかる程度には出来るから余計に苦しくなる。
いっそローズが自分の才に驕っていれば楽だっただろう。嫌な奴を嫌って何が悪いと開き直ることだってできた。
しかし、彼女は努力を厭わない人だったから嫌うに嫌えなかった。そんな人を嫌って仕舞えば、自分が嫌なやつに思えてくるからな。
そこで彼女は口を閉ざす。
言葉にするって大事です。




