惚れた方が負け
婚約者視点のお話です。糖度が違います。
俺の婚約者は頑固だ。意志が固く、何があっても貫き通そうとする根性がある。有言実行の人。
必要とあれば姉のために王子殿下と対立するのも厭わないし、姉や弟の婚約者候補の情報を自分のことのように熱心に集め始める。
他の男の情報を聞き出そうとしたときには、浮気かと思って問い詰め過ぎたことは反省している。余裕がないとは言ってくれるな。
結婚までは彼女に公爵家の仕事を任せるつもりはなかった。手本となるべき母は、まだ本調子ではない。社交界は魔物だらけだ。公爵夫人としてその重圧を背負わせることはまだしたくなかった。いずれはしてもらわないといけないことだが、まだ時期ではない。学生時代を謳歌してもらいたいと思っていたのだ。
彼女が社交を手伝ってくれれば、自分の負担が減ることも分かっていた。自分が公爵家を継いで安定したことをそろそろ示す必要があることも分かっていた。まだあの家はその余裕もないとなめられることにも、嫌な腹を探られることにもなりうる。分家がまた調子に乗るのも避けたかった。
それでも彼女に今から負担をかけ過ぎて逃げられることにでもなったら目も当てられない。それも俺の本音だった。手放すつもりはなかった。
しかし、役に立ちたいと言われれば折れるしかないのだ。俺の為なのだから尚更。
最低限の王宮の晩餐会や舞踏会にしか参加していなかった俺が、婚約者と共にパーティーに赴けばかなりの注目を集める。
今までは彼女の家族と共に参加していたから2人でパーティーに参加するのは初めてだった。
手始めとして選んだのは歴史が古く、王家からの信頼も厚い中立の派閥に属する伯爵家の主催のパーティーだった。
主催者と挨拶を交わした後、最初は様子見で遠巻きにされていた。どうしたものかと参加者を思い返していると、意気揚々と近づいて来る女性がいた。
「ご機嫌よう」
華麗なドレスを見に纏った女性は、見覚えがあった。女性をあまり見分けられない自分でさえ、覚えているのだから社交界の中心人物だ。
現在の国王陛下の弟君、つまり王弟が臣下に降りて賜ったのがカースマルツゥ大公家。
その王弟の息子(陛下の甥)に嫁いだのがこの煌びやかな女性だった。アマリリス・カースマルツゥ。
なぜこのパーティーのこの方が参加されているんだ。周囲に騒めきが広がる。
面識はあるものの、挨拶を交わす程度。彼女の元に人が集まることはしばしばだが、先陣を切って挨拶に向かう姿は初めて見た。彼女の視線の先には俺ではなく、スイレンの姿がある。
「ご無沙汰しております」
スイレンは動揺することなく綺麗なカーテシーを披露していた。上流貴族の女性の繋がりはあるだろうが学園生活は被っていないし、特に仲がいいとは聞いたことがない。
アマリリスは少しの距離を詰め、スイレンの両手をとった。さすがにそれには瞠目したようだが、表情は穏やかに保っている。アマリリスもこちらから伺う限りはマイナスな感情を抱いているようには見えなかった。
「あなたに会えたら絶対伝えたいことがあったの。妹を助けてくれてありがとう」
スイレンは察しがついたのか、とんでもないことですと恐縮している。大したことはしていないと説明しているのを見て彼女の人助けの一環で関わりがあったのだと分かった。
あなたが参加すると聞いたから慌ててやって来たのよと言うのにはさすがに驚いたが。
アマリリスは派手な容貌の通りにはっきりとした性格をしている。歳の離れた大人しい妹をかなり可愛がっているとの噂がある。
マシンガントークで感謝の言葉を述べるアマリリスにスイレンは笑みを浮かべて丁寧に頷いている。そろそろ止めてあげたいが、話の腰の折り方が分からない。
後ろから近づいて来た男性が、コホンと咳払いをしてからアマリリスの名を呼んだ。あら、と振り返った彼女は話すのを止めた。
「アマリリス、君の勢いに彼女が困っているよ」
「そんなことないわよ、ねえ?」
スイレンはアマリリスに笑って返す。話しかけてくださって嬉しかったですとすかさずに言う婚約者が可愛すぎる。アマリリスもそう思ったのだろう。気分屋と有名だがかなり機嫌が良さそうだ。
「私は、シルヴィア・カールマルツゥ。義妹の恩人とあれば協力は惜しまないよ。何か困ったことがあったらいつでも言ってくれ」
そんな置き土産をくれた大公夫妻。この時点で注目を浴びすぎていて、今日のお披露目という目標は達成している。が、まだ序の口に過ぎなかった。
嵐が吹き抜けて行った後は、様子を伺っていたのが嘘のように続々と挨拶にやってくる。
娘だけが来る場合もあれば、両親を伴って挨拶に来る場合もあった。
学園の内情を調べた際、彼女が派閥の天下を取ったという事実は確認していたが、これほどまでとは思わなかった。
顔が広いのはさることながら、一人一人名前を呼びながら会話を繋げていく。曖昧な者は誰1人いなかった。
最初だからリードしようと思っていたが、いざ蓋を開けてみれば俺の方が彼女の縁に助けられている始末で情けない。
今日紹介された何人かは俺の上司のより上の上司であり、初めて会話を交わした方もいた。こういう場所で関係を築いて行くことが大事だとは分かってはいたが、苦手なこともあり遠ざかっていた。何を話したらいいか分からないときに、出しゃばらない程度に会話の種を振ってくれる彼女に何度助けられただろう。
それに引き換え俺は邪な感情を向けてくる奴らを牽制するぐらいしか出来なかった。
全く油断も隙もない。
男たちに鋭い視線で牽制し、彼女には見たことがないほど柔らかい表情を見せていることから氷の貴公子は婚約者を溺愛しているという噂が王都を駆け回ることになるが、彼らには関係ないことだった。
俺の知り合いも紹介して、少し会話を交わしていれば奥方と仲良くなっちゃうんだから流石というか何というか。昔の家族と離れて泣いていた姿が嘘のように思える。
「お前が紹介してくれなかったからどんな子かと思えば良い子じゃないか」
「知ってる」
「……まあ、そうだよな」
「何だ」
含むような言葉に視線をやる。
「第一王子の婚約打診の噂を聞いて慌てて婚約を結ぼうとするくらいだからベタ惚れだよな」
「それあの子には言うなよ」
「何で? 隠すようなことじゃないだろう」
「……格好悪いじゃないか」
言いにくそうな俺に友人は鳩を食ったような顔をした後、笑い出した。暫く腹を抱えて笑った後、安心したような顔で言う。
「よかったよ。お前にスイレン嬢がいてくれて」
帰りの馬車で隣り合いながら座っている。こてんと肩に頭が当たる。珍しいと思って見下ろすと目が合った。ふふ、と笑う振動が伝わってくる。
「緊張しました。特にアマリリスさまの時とか」
「本当に?そうは見えなかったが」
「ウィルさまがいたからですよ。あなたの役に立てるって思ったら頑張れました」
眠いのかにっと幼い笑みを浮かべている。言葉も少し子供っぽい。頭を撫でればその手に擦り寄ってくる。頬まで手を滑らせて顔を近付ける。至近距離で視線が合い、彼女は目を伏せた。合意と取って唇を寄せる。ふにっと柔らかさを楽しむ。くすぐったいのか身を捩る。角度を変えて柔らかさを堪能した。
暫くして解放すればテカテカの唇が目に入る。酸欠なのか目に涙が滲んでいて頰が赤らんでいる。
誘われるように顔を近付けたが、もう終わりとばかりに体を離される。残念と背を背もたれに預ければ彼女は安心したように息を吐いていた。
恥ずかしくなったのか、肩にウリウリと頭を撫でつけてくる。そんなことしても可愛いだけだ。トントンと頭に触れれば動くのをやめた。フワッと欠伸をしたかと思えば、すぐ寝息を立て始めた。




