ある昼下がり
美しい庭園を眺めながら、味わい深い紅茶をいただく。柔らかな日差しが心地よい昼下がり。穏やかで微睡みそうなゆっくりとした時間が流れていた。
「もう一杯いかがですか?」
ありがとう、と微笑みながらお願いする。給仕の姿も様になって美しい。さすが公爵家の執事だ。逆に私の為にこんなことしてもらうのが申し訳ないくらい。
今日はお約束のお茶の日だったので、お昼から公爵家を訪れていた。仕事が忙しく立て込んでいると本人が申し訳なさそうな顔で、謝罪に来た。
顔が見れたことに満足したので帰ろうとしたが、慌てて婚約者と執事に引き留められる。
なるべく早く終わらせるから待っていてほしいと懇願されれば断ることもない。
ゆっくりで大丈夫だからと念押しして、何度もこちらを振り返る彼を送り出した。
さて、どうしたものかと考える。
他所の家に伺うのだから学園の課題も生徒会の仕事も持って来なかった。書斎から本を借りたいと言っても無碍にはされないだろう。
でもせっかくここに来たのに勿体無い気もする。彼は働いている訳だしね。
「ねえ、オリビア」
「どうされました? スイレンさま」
「私が見て構わない範囲で構わないのだけど、公爵家や領地の資料で知っておいた方がいい資料とかないかしら?」
ウィルさまがお仕事されている時にゆっくりしているのは偲びなくてと続ければ、少し考えた後柔らかい笑みを浮かべた。
「坊ちゃんには余計なことをと怒られそうですが、スイレンさまが覚えておいて損にはならない資料ならございます。お待ちしてもよろしいですか?」
執事のオリビアが去った後、日当たりのいい窓際にお茶を用意してくれた。
カップに口を付けると豊かな香りが広がっていく。殿下の執務室に置かれている茶葉もとてもいいものだが、こちらのは私の好みをよく分かっているだけあって幸せな気持ちになる。
いつの間にか戻って来ていたオリビアが注いでくれた。
渡された書類を見ながら、分からないところは尋ねていく。餅は餅屋。知ったかぶりをするよりも分からないことは聞いた方が早い。
私の家でもこちらの領地のことは学んではいたけど外と中では情報量が異なる。隣り合っていても得意な産業や農業、自然災害の頻度など違っていて興味深い。一通り質問をして目を通した後、返そうとしたら持っていて良いと言われた。さすがに領外に持ち出すのは憚られて、困惑気味に見上げる。いつでも見られるように保管しておきますね、と受け取ってくれた。
「今まで私が口を出していい問題かわからなくて言えなかったのだけど、お茶会やパーティーを開かなくていいのかしら?」
「率直に申し上げますと、良くありません」
「そうよね」
彼が家督を継いで、私を婚約者としてお披露目した後、ここ数年は公爵家主催で何かを開いたことはなかった。
理由としては彼が家を安定させるに奮闘していたこともあるし、パーティーなどを準備する女主人がいなかったことも挙げられる。
「ウィルさまの誕生日に催し物を開きたいと言ったら協力してくれるかしら?」
「勿論でございます」
「私はまだ学園を卒業していないし、この家に嫁いだわけではないけど準備に関わってもいいのかしら」
「嫁ぐ前から関わられる方もいますし、ウィリアムさまも卒業前から執務を行われてました。この家には女主人はいないので婚約者として準備される分には問題はないかと。分家の者を連れてくる方が余計な問題を起こす可能性があるのでスイレンさまがやってくださるならこれ以上のことはありません」
「まずはあの人を説得しないといけないわね」
彼は私が彼の家に関わることを嫌がる。あの騒動で彼に助けを求めるまでは、好かれていないから介入されたくないのかと思っていた。
しかしどうも異なるように感じる。
私の勘違いでないのならちょっと、いやかなり好かれている。自惚だと言われそうだけど理由はあるのだ。
私だって忘れているようなちょっとした話の流れで出した好きな俳優を覚えていてくれた。それだけでも勿論嬉しいのだけど、予約が全く取れないって有名なお芝居を取ってくれていたのだ。
伝手があってと言っていたが、オークションでとんでもない金額でやり取りされると噂のチケットを簡単に手に入れられるとは思わない。
また明くる日にはいつか食べてみたいと言ったお菓子をお土産に買って来てくれたこともあった。そのお菓子は王都の有名パティシエが個数限定で作っている逸品で販売してすぐに売り切れてしまうのだ。
私の家のタウンハウスからは遠いので半ば諦めていた。さすがに使用人に深夜から並んで貰おうとは思えないし、私が並ぶと色々な面で周りに迷惑をかけてしまう。
彼からお土産で渡されて開けて驚いた。思わず満面の笑みで抱き着いてしまったのは許してほしい。レディーとして失格だと分かっているけど嬉しかったんだもの。
呆れながらも優しく笑ってくれた。それから何度か買って来てくれる。喜んで食べるから少し太ってしまって、侍女に彼が怒られていた。
他にも色々あるが、そんなことが続けば嫌われてるとは思わないでしょう。
「ある程度の問題は片付いて来ましたが、まだ分家の者たちも諦めた訳ではないですからね。まだ嫁いでないスイレンさまに負担をかけさせたくないのだと思いますよ」
「それは分かりますけど…他人事と言われたらそれまでなんですが。寂しいと思ってしまうんです。もうすぐ他人じゃなくなるのに、何も頼ってくれないなんて」
「そのまま仰っていただければいいと思いますよ。誕生日を祝いたい気持ちも添えていただければ更に」
やっぱり分かっていたのね。
「坊ちゃんも可愛い婚約者さまの言葉を無碍にすることはないでしょう。ね、ウィリアムさま?」
呼び掛けられた名前に弾かれたように私はそちらを見る。何とも言えない顔でこちらに歩いて来ていた。かなり急いだようで羽織った上着は裏地が見えているし、髪は少し乱れている。
立ち上がって彼の洋服と髪を整えれば、少し顔は赤いように見えた。遅くなってすまない、とこちらを伺うように謝ってくるが、首を横に振る。忙しいのも当然だし、そんな中で時間を割いてくれていたのだから文句を言うつもりも毛頭なかった。大丈夫よと笑顔で返した後に、先ほどの話を思い出す。
「聞こえていたと思いますけど、あなたの誕生日会を開きたいの。駄目かしら?」
少し甘えたように首を傾げてみる。以前こう言うのがお好きとオリビアに聞いていたのよね。
少し眉間に皺がよるが、こちらも勝負所だ。しょんぼりした表情を心掛けて見上げてみる。
「……君がやる必要はないだろう?」
やる気出ないことを言外に匂わせているが、ここのポイントは、嫁ぐ前なのにでしゃばりやがってと言う意味ではなく、嫁ぐ前なのに無理をする必要はないって所なのだ。
「私じゃ力不足でしょうか?」
その証拠に私の言葉に慌て出す。そんなことはないと言った後に言葉を濁らせる。
「うちの者は協力を惜しまないし、君ならきっと上手くやるんだろうね。でも、うちの親戚は君の所と違って…協力的じゃない。いつでも家督を奪いとこうと虎視眈々と狙っている。政敵も片付けたとは言えどこから文句をつけてくるかわからない」
言葉を選びながら真剣に私を見る。いきなり主催をするのはやはり無茶だろうか。
「安泰をアピールするためにも、社交の場を設けなければいけないのもわかる。矢面に立たされるのは君だよ。母はまだ王都に来れるほどにはなっていないから君に全て負担をかけることになる。俺は、君が嫁ぐ前にその重い荷を背負う必要はないと思ってしまうんだよ」
彼の母親は事故で負った怪我は癒えたものの、ショックは大きく領地でいまだに休養中だ。ひとりで全て背負えるほど公爵家の責任は軽くない。
「いずれやることになるなら…とは思うのです。あなたの為にすることなら何も苦にはならない」
目を合わせて言い切る。少しでも躊躇ってしまったら彼は承諾してくれないだろうから。
「君の家と俺の家は派閥が違う。君からしたら四面楚歌だ」
「なるほど…」
分かってくれたかと安堵する彼に、攻める角度を変えることにする。きっとこちらの方が現実的だ。
「晩餐会や舞踏会は私には荷が勝ちすぎます。小規模の昼間のガーデンパーティーくらいならとは思いましたけど、そもそも繋がりを作らないことにはどうしようもないですよね」
ああ言った場に参加して初めて交流が生まれることがある。貴族は横の繋がりがかなり重要だ。国の上位に位置していても人の繋がりから離れて仕舞えば、取り残されてしまう。
「今年の誕生日会は諦めます。まずは色々参加して人脈を作っていく方が先ですね」
学園の女生徒は全て掌握しているので、全く味方がいない訳ではない。まあ、基本社交界の中心は子供ではなく親なので取っ掛かりにしかならないが、全くないよりはマシだ。
「私もあなたの役に立ちたいのです」
真っ直ぐな思いを伝える。私は一度決めたことはテコでも動かない。固い意志を悟ったのだろう。ため息を吐いて、了承した。
ありがとうと笑いながら彼の手を両手で掬い上げる。ニコニコと笑う私に、再び重い息を吐き出す。
「君が参加するパーティーは俺が選ぶよ。うちの事情に巻き込まれない保証はないから、俺が参加出来ないものに参加することは許さない。それでいい?」
「勿論!」
お誕生日会は身内だけでやりましょうね、と笑い掛ければ彼は瞠目する。そもそも1番は誕生日を祝いたかっただけなのだ。
この家を継いでから誕生日もクリスマスもなく仕事をしていたことは知っている。プレゼントは渡していたけど、それだけだと味気ない。
人の誕生日は祝ってくれる癖に自分を蔑ろにするのはナンセンスだ。
スケジュールを空けておくように念を押せば、困った顔で抱き寄せられた。
もしやこれは誤魔化されているのでは、と抗議するが抱き締められる腕は強まるばかり。
そんな微妙にすれ違ったやり取りを敏腕執事は温かく見詰めていた。




