個人情報って言うやつの壁だな
ちなみに、と和泉が続ける。
「今は既に亡くなっているそうですが、組長の娘だそうです」
「まさかその娘というのが、美人局じゃないだろうな?」
「残念ながら、娘の方が被害者に夢中だったようです。いわゆる押しかけ女房みたいな感じで、それと……」
和泉は口を閉じ、後はうさこに任せることにしたらしい。
「被害者は元々、大手新聞社の社会部記者だったそうです。それが女性関係で問題を起こし、閑職に追いやられた末に……今の出版社へ流れたということでした。どうやらその問題に彼女が関わっているような話でしたが、詳しいことはわか……現在調査中です」
わかりません、と言いかけて「調査中」と言い直したようだ。
「これは僕の推測ですが」再び、和泉が口を挟む。「その彼女ですが、被害者のクラスメートだったそうですよ。ついでに言うと彼女、女優をやっていたんですが……思うように売れなくてムシャクシャした末に、クスリに手を出したそうです。それなりに名の知れた劇団だったそうで、ニュースになりましてね……おそらくその事件を通じて、他社の知らない特ダネをモノにしようとさもしいことを考えた被害者が、顔見知りなのをいいことに近づいて……」
結衣が妙な表情をしている。
聡介にはピンときた。おそらくかなりの部分、和泉の脚色というか、勝手に作った話が『盛られて』いるのだろう。
「うさこ、話を聞いたのはその……被害者の恋人の女性からだな?」
そうです、との返事。
おそらくその女性が和泉の好きではないタイプだったに違いない。言っていることは間違っていないのかもしれないが、かなり悪意が混じっているような気がする。
「いつかまた、社会部の記者に返り咲いてやるって意気込んでいたらしいですよ」
「……葵、お前は?」
駿河はノートを広げて答えた。
「被害者が御柳亭で、顔見知りの仲居と何やら話し合っていたという目撃情報があります。名前は奈々子。かなり親しげな様子だったと聞きました」
親しげな、というのはあくまで目撃した人間の主観に過ぎない。
それに。
必ずしも常に、皆が真実を語っているとは限らない。
「あ、班長~ありました!」
向こうから日下部の声がした。
「これですね、きっと」
彼が指差したパソコンの画面の向こうに、電子文字が羅列されている。
聡介は眼鏡を取り出して覗きこんだ。
それは全国の温泉旅館を紹介するサイトである。満足度、清潔さ、接客態度などの項目に、★の数で評価がつけられているようだ。
「この『RYU-1』っていうのがおそらく、ガイシャのハンドルネームですね。なになに、料理も抜群、眺望は言うことなし……」
数々の写真と共にコメントが寄せられている。
その中に、被害者と一緒に和服姿の男性が映っている画像があった。
『若旦那と一緒に』そう書いてある。
「これって『白鴎館』のことですよね? じゃあ『御柳亭』のことは?」
和泉が急かす。
これだな、と日下部が画面をスクロールすると、
【料理はイマイチ、仲居達は皆一様に表情が暗い。部屋はどこか埃っぽくて、喉がヒリヒリ。風呂場は狭い上に設備も悪い。足元が滑りやすくて、これじゃ年配のお客様が転んで怪我をしかねない】
「……なるほど。これは確かに【荒らし】ですね」
「荒らし?」
聡介の疑問に駿河が答える。
「金銭を積まれて、ライバル旅館の悪口をネットに書きこむジャーナリストのことをそう呼ぶらしいです。被害者が荒らし行為をしていた、という目撃情報もあります」
となると、と和泉はちらり、固まって相談している宇品東署の捜査員達を見た。
「単純極まりない刑事なら、荒された旅館の従業員が腹いせに被害者を殺害した、とか言い出しそうですよね」
そうかもしれないが……。
なんとなくしっくりこない。
「ま、その点はほとんど気にしなくていいと思います」
和泉は気軽に言う。「だいたい、よく思い出してくださいよ。ガイシャは夕食の時、突然かかってきた電話に呼び出されて、慌てて外に飛び出して行ったまま帰ってこなかった。通話記録は判明しているんですか?」
そうだった。発信元は公衆電話となっていた。
実は発信元の公衆電話の場所を特定するのに時間がかかっている。今時、通話記録を調べるのにも裁判所に許可を要請しなければならないのだ。
「はっきり言って、旅館の荒らしの方はそれほど真剣に考えなくてもいいと思いますよ? 本人も言っていましたが、売り上げ部数もたかが知れているマイナー雑誌の記事じゃ、それほど大きな影響力を与えることもないと思いますし、ネットの情報も流れが早いですしね……」
和泉は言ったが、駿河が疑問を呈する。
「では、奈々子と言う仲居が姿を消したのはなぜですか?」
「え……? 奈々子さんって、あの奈々子さん?」
「彰彦、知り合いか?」
「ええ、まぁ……彼女がどうかしたの?」
彼女が被害者と顔見知りであり、事件の後、突然行方をくらましたという。
和泉は驚きを顔に出し、それから黙りこんでしまった。




