知らない方がいいことって、たくさんあるよね。
「どこかの劇団に入っていたのですね?」
「ええ。有名な俳優さんが運営している、名の知られた劇団で……そう。彼はその時まだ新人記者で、いわゆる『暇ネタ』を拾う文芸部っていうんですか? そういう部署にいたんです。うちの劇団を取材に来た時に再会しました。実は私……学生時代に彼から告白されたことがあるんです。でも、その時はそう言う気になれなくて……一度断ったんですけど、それでも、こうして東京でもう一度会えたのはきっと何かの運命だと思いました。彼は私のことを覚えていて……そうして……」
「お付き合いが始まったということですね?」
はい、と答えてそれから亜美は続ける。
「でも彼、けっこうモテるみたいで……」
そうだろうね。特にキャバ嬢とか。
金払いは悪くなかったみたいで、行きつけの店のキャバ嬢からと思われる営業メールが山のように届いている。
「私と付き合い始めたばかりの頃、まだ関係が精算できていない他の女の人から、けっこうキツイ嫌がらせとかあったりして……かなり精神的に参っていたことがあったんです。眠れなくなって……それで同じ劇団の先輩に相談したところ、紹介してもらったのが……」
これです、と彼女は袋に入った何やら白い粉を持ってきた。
えっ?! と、素直な結衣はぎょっとした顔を隠そうともしない。
すると亜美はクスクス笑って、
「やだ、これはただの小麦粉です」
「こ、こ、小麦粉……?!」
和泉はパソコンから離れ、結衣の隣に座りなおしてビニール袋の中身を検分した。
確かに麻薬ではなさそうだ。小麦粉独特の匂いがする。
「……実は昔、クスリをやっていました」
その話を聞いて和泉はなぜか、何日か前のことを思い出した。県警の中に暴力団と癒着している人間がいる。
表に出ないだけできっと、隠れて何人かはいるに違いない。
結衣は驚きで声を失っている。
「逮捕、されました。私も、その先輩も」
前科あり、か。
「私の場合は初犯だったことと、それほど重い中毒症状でもなかったためか、どうにか刑務所に入らずには済みました」
彼女は続ける。
「これで、竜一さんとはもうお別れかな……って思いました。でも彼、見捨てないでいてくれたんです」
「優しい人だったんですね」
結衣が合いの手を入れると、
「はい。私の家族のことを知っても、それでも好きだって言ってくれました」
「家族?」
身内に犯罪者でもいるのか。
「実は私の親、ヤクザなんです」
結衣は驚きに声を失くしている。
仕方ないので、和泉が後を引き取った。
「お父さんは?」
「亡くなりました。今、組を仕切っているのは……」
市内にはいくつか指定暴力団が存在するが、いずれも系統は同じだ。和泉にはなんとなくピンと来るものがあった。
「もしかして、支倉ではありませんか?」
支倉潤。
今まで何度か関わったことのあるヤクザの1人だ。
「……知っているんですか?」
当たりだ。
「何かと妙な縁がありましてね。支倉はいつから?」
「私が上京した後だから、詳しいことは……でもタカが……あ、古くからいる私の用心棒です。初めは父の弁護士として雇われたそうなんですが、いつの間にか……組を牛耳るようになったそうです。頭もいいし、力もあるからすぐに皆、従ったそうですよ」
和泉はそう何度もあの男と会った訳ではないが、なんとなくわかる気がした。
相手が女性だろうと遠慮なく手を挙げ、眼鏡の奥に光る瞳はどこか凶悪そうで、弁護士だったという過去から頭の良さは伺えるが、それはつまり狡猾だということでもある。
「あなたは、支倉と面識は?」
「一度か二度、ありますけど……」
「けど?」
「変な人ですよ、あの人。もしかしたらゲイじゃないかしら」
もしかしなくてもそうだ。
確か、誰かがそんなことを言っていたことを和泉も聞いたことがある。
しかし今、そのことはあまり関係がない。
「それよりも……最近、若尾さんに何か変わったことはありませんでしたか?」
彼女はしばらく考え込んでいたが、よくわからない、と首を横に振った。
パソコンからこれと言った情報は出てこなかった。
何か重要な証拠なり、情報なりはきっと他の機器に入れて持ち歩いていたに違いない。
和泉は結衣に引き揚げるよ、と目だけで話しかけた。この頃やっと彼女ともアイコンタクトがとれるようになった。
礼を述べて靴を履いていると、後ろから声が聞こえた。
「……誰が竜一を殺したんですか?」
和泉は振り返る。
「鋭意捜査中です、としか申し上げられません」
それがわかれば、わざわざ東京にまで出張したりしない。
「何か分かったら、今度は私に一番に報せてください!!」




