堪え切れなかった
「……そんなこと訊いてどうするの?」
「いや……あまりにも落ち着いているから、少しびっくりしているんだ」
「私に、泣き喚けとでも言いたいの?」
「そんなことは言っていない」
あくまでも静かで感情のこもらない答え。
そのことが余計に、美咲を苛立たせた。
「あなたは、楽しいでしょうね。高いところから、くだらない人達のくだらない行動を見聞きして……どうせ、バカバカしいって笑ってるんでしょう?!」
賢司は無表情のままだった。
「そうよね。あなたは大きな一流企業の経営者一族に生まれて、何不自由なく暮らしてきたんでしょうね。お友達と一緒に遊んだりなんて許されなくて……もっとも、友達になってくれた子なんて1人しかいなかったわ……学校が終わったらすぐに仕事……他の仲居達からは売女の子だなんて陰口を叩かれて、どんなに一生懸命頑張ったって、理由もなく人から嫌われて……親のせいで、何をやっても上手く行かなくて……私がどんなに惨めな気持ちだったかなんて、あなたになんてわかる訳がない!!」
泣いたらいけない。
絶対に!!
「葵さんは一度だって、私の親のことで何か言ったりしなかった!! 私自身のことを見てくれた。私だから……寒河江美咲っていう、1人の人間を好きだって、愛しているって言ってくれたの!! あなたみたいに、親の罪がどうこうなんて、一言だって口にしたことなんかない!!」
その時。美咲はふと、夫の表情に変化があらわれたのを見てとった。
泣きたいのはこっちなのに。
どうして、あなたがそんな、泣き出しそうな顔をしているの?
「賢司さん……?」
「そんなに、好きなんだね……」
葵さんのこと? と口にしかけて声にならなかった。
そうよ。
あんな人にはもう、2度と会えない。
許されるなら叫びたい。
今でも好き。あの人を愛している。
でも言ってはいけない。
どうか、ブレーキよ効いて。
感情のまま、思いのままを口にすることが決して良い結果を生み出さないことは、充分によくわかっている。
美咲は必死の思いで深呼吸をした。
大丈夫、まだ頑張れる。
「……ねぇ」
『寒いから早く家に帰りましょう?』
そう言えると思っていた。直前までは。
それなのに。
「……お願いがあるの」
「……お願い?」
「一人で帰って」
彼は呆れたように肩を竦めた。
「だから、僕は初めからそうするつもりだったんだ。君が勝手に……美咲?」
身体全体が震えだす。
怒りなのか、悲しみなのか、もう自分でもわからない。
そして、口をついて出たのは、
「あなたの顔なんて、しばらく見たくない!! 口もききたくない!! お願いだから、早くどっかに行ってよ!!」
初めて見た、傷ついたような顔。
「……ご、ごめ、ごめんなさい……!!」
いたたまれなくなって、美咲は駆け出した。
どうして、いつも通りにできなかったのだろう?
そう、何度も自分を責めながら。




