なんてお呼びすればいいんですか?
「ワシは、そのことを知ったワシは……誰にも顔向けできんで……逃げるように本土へ移って……定年を迎えた後は、こっちに戻って引きこもっとった」
だからなのか。
それほど広くない島でずっと彼女を見かけなかったのは。
市役所の人間が訪ねて行っても、一度も会ったことがない。
年に何度かある祭りの時もまったく姿を見せない。いつしか、めったに会うことがかなわない気難しい人というレッテルを貼られていたのはそういう理由なのか。
「……浅井先生」
美咲が呼びかけると、
「ワシはもう、人に何かを教えるような立場もなければ、資格もない」
じゃあ、どう呼べば? 美咲が躊躇していると、
「それで、真弓さんて言う人は……娘さんはどうなったんですか?」
細く、泣き出しそうな声で訊ねたのは周だった。
「……死んだよ。自分で命を絶ったんじゃ、崖から海に身を投げて……」
やはり、とその場にいた全員が感じたに違いない。
しばらく誰も何も言葉を発しなかった。
「遺書があった。すべてを知ったワシは、俊幸に事情を話しに行き、真弓が奪い取った資金を全部返したんじゃ」
「しかしそれは、今から20年ぐらい前の話ですよね?」
場の空気を切り裂くように口を挟んだのは、賢司だった。
「経営が圧迫されているのは今も同じです。誰かが、資金を横領しているに違いない。その犯人に心当たりはないのですか?」
「……」
驚いた。
美咲は思わず夫の横顔を見つめた。和泉の友人だという会計士がそう言っていたことを、一度だって賢司に話したことはないのに。
やがて長い沈黙の後、浅井梅子は口を開いた。
「……朋子じゃ。仲居頭の米島朋子」
そのことはもはや、周知の事実だと言っていいだろう。ダメ押しと言ったところか。
「いつからです? なぜあなたはそのことを知っているのですか?」
なぜ賢司はまるで警察官のように、そう突っ込んで質問をするのだろう?
自分が資金提供しているからだろうか?
それとも他に何かあるのだろうか。
「今の女将を、里美を迎えることになってからじゃ」
ということは、美咲が中学生ぐらいの頃の話だ。
「……俊幸も女癖の悪い男でな、前の女将が愛想を尽かして出て行った時、しばらくは流川で見つけたホステスを連れ込んどったが、とてもじゃないが女将なんぞになれる器ではのうて、追い出されたんよ。その時、既に朋子は俊幸の愛人としての立場を確立ちゅうのもおかしな言い方じゃが……じゃけん、今度こそ自分が女将になれると本気で信じとったんよ」
その話なら美咲も知っている。
確かに、あの頃の朋子はひどく荒れていた。
「元々を正せば、朋子は俊幸じゃのうて、隆幸……あんたの父親のことを好いとったんじゃ、子供の頃からずっと……でも上手くいかんで、代わりに社長の愛人になったはええが、どう頑張っても女将にはなれん。そういう歪んだ気持ちが段々と、この旅館を潰してやって、自分を虚仮にした俊幸と、隆幸を奪った咲子を苦しめてやろうと、もちろん……娘のあんたのこともじゃ……そうやって、長い時間をかけて少しずつ腐食させて行ったんじゃよ」
そういうことだったのか。
長い間引っかかっていた胸のつかえが降りたのに、少しも気分は爽快ではなかった。




