別れた女房の口癖だ
刑事は靴底の減りが早いと聞いたが、本当だった。
何しろ歩く距離も時間も半端ない。
生活安全課にいた頃に比べて、靴がダメになるスピードが速い。もっと若い頃から刑事稼業に携わっていれば、安くて履き潰してもいい靴を上手に選ぶことができるようになっていただろうに。
この靴も持ってあと何日か……。
若い頃に比べて、歩き続けるのがやや面倒になってきた。
友永修吾は隣を歩いている若い刑事を横目で見ながら、ちょっと休憩してるから、しばらく1人で続けてろ……なんて言えないよなぁ、と考えていた。
遺体発見現場は宇品東署の管轄である。
所轄の刑事課に今年の春から配属されたという、若い刑事は張り切っていた。おそらく年齢はうさこと同じぐらいだろう。
そんなに刑事になりたいもんかね……と、友永は不思議でたまらない。
自分が初任科を卒業した時、どうか将来は刑事課にだけは異動になりませんように、と心底願ったものだが。もっとも希望してもなれないケースの方が多い。
友永が3年間の交番勤務の後、配属されたのは生活安全課少年係であった。
子供の相手は嫌いじゃない。誰が采配したのか知らないが、天職だと思った。
実際、かなりの実績もおさめてきたと自負している。
あんなことさえなければ、定年までずっと子供達の相手をしてきたと思う。
事件が起きたのは今から7年前。
ある時、友永が仕事で関わった未成年の少女に対し、売春の事実を黙っていてやる代わりに肉体関係を強要した、などという噂がでっち上げられ、週刊誌に取り上げられたことがあった。
ご丁寧にホテルから二人が出てくる写真まで偽造され、雑誌に掲載されて、おかげで彼は監察官に睨まれる羽目になったのである。
上司は何もしてくれなかった。
それどころか自らの保身に一生懸命で、何一つ助けにはなってくれなかった。
マスコミが連日自宅に押し寄せ、収拾がつかない事態になった時、妻が切り出した。
『知也のために別れてください。このままでは、この子は精神的に参ってしまう。身体が持たないんです』
何も言うことができなかった。
友永はただ黙って離婚届に判子を押し、妻子と別れた。
知也が高校1年生の頃の話だ。
後で考えてみれば、事件のことは単なる口実だったに違いない。
仕事にかまけて家庭をほったらかしにしていた自分に対し、妻の辛抱がとうとう切れたというのが真相だろう。
それでも知也は、本当は一切連絡を取らない約束だったのに、時折電話をくれたり、学校帰りに彼が勤務する所轄署の前をわざわざ遠回りして来てくれて、受付の事務員に菓子や飲み物を託けてくれたりした。
その知也は高校を卒業する少し前辺りから、体調に異変をきたしていたそうだ。
卒業はできたものの、進学はせず、病気と闘いながら、得意だった英語を近所の子供に教える仕事をしていた。
そして先月、久しぶりに別れた妻から連絡があった。
息子が危篤だと。
何年かぶりに元妻と会った。少し歳をとったが、ほとんど変わっていなかった。
彼女は覚悟を決めていたのか、取り乱したり、友永を責めたりはしなかった。
もともと自己主張をそれほどしない女だった。
一度だけ息子の名前を決める時、名字が「ともなが」なのに、名前が「ともや」って変じゃない? と言ったが、覚えやすくていいだろうがと友永が押しきった時も、そうね、とそれ以上反対しなかった。
知也はあと持って何日だろうか、という頃に友永は篠崎智哉と出会った。
息子と名前は同じだが、似ても似つかない美少年である。
ただ、少し気の弱いところや物腰の柔らかいところはよく似ていた。
そして気が付けば友永は、彼を自分の息子のように思うようになっていた。




