の、だけじゃありません。へのへのもへじ、です!
「ああもう、うっとおしいわねぇ。いつまで畳の上に『の』の字を書いてるのよ」
北条は面倒くさそうにそう言うが、和泉にとってはデッドオアライブな問題なのであった。
奈々子にどう思われてもいいが、周にだけは変な誤解をされたくなかった。
「だって、周君が……」
ここは先日、年末にあの魚谷組の支倉が宿泊した部屋である。
和泉はこちらに帰る際、この部屋を開けておいてもらうよう、旅館に頼んでおいた。
若尾竜一殺害事件の真相について、関係する人間をすべて集め、自分達が調べてきたことを披露し、真相を問うつもりでいる。
本当は本部の会議室を使いたかったのだが、上から睨まれるのが面倒だった。
まるで『犬神家の一族』の一場面だな……と、和泉は苦笑していた。
奈々子には重森夫妻をここへ呼び出すよう依頼しておいた。果たしてやってくるかどうかは賭けだが、和泉は勝てるような気がしていた。
そこへ。
襖を開けてやってきたのは、組織犯罪対策課の坪井課長である。
ヤクザも顔負けしてしまう強面で、長い間ずっと捜査4課の畑を歩いてきた人物。
義理人情に厚く、部下にも慕われている。
和泉は彼にも連絡をしておいた。
彼には知る権利がある、そう考えたからだ。
「新年早々、何の余興じゃ?」
ジロリ、と坪井課長は和泉と北条を見つめた。
「あんたは、確か捜査1課の……」
「北条です。どうぞよろしく」
外面のいい特殊捜査班の隊長は、丁寧にお辞儀をした。
それから坪井課長は辺りを見回し、
「……お前らだけか。聡さんは?」
「やってきますよ、必ず」
ふん、と鼻を鳴らして課長は座布団の上に腰を下ろす。
この中で一番下っ端と言えるのはおそらく、自分だ。
和泉は率先して、お茶を淹れることに決めた。
※※※※※※※※※
今日は正月特別料金設定のせいか、それほど予約は入っていない。
日帰り入浴も今日は営業していない。
宿泊なしの予約客の中には昼食を注文してくれる客もいるが、年末年始は何しろ市場が休みなので、あまり新鮮な食材が手に入らないのである。
だったらいっそのこと、営業を3日ぐらいからにして、客を迎える準備を整えてからの方がいいのではなだろうか。
年末年始になると美咲はいつもそう思う。
ビアンカは今日も出勤している。
2人でおしゃべりをしながらタオルの用意などをして、それから美咲はロビーに向かった。
そこで弟の姿を見つけた。
冬休みの宿題はもう終わったのだろうか?
「ねぇ、周君……」
美咲が声をかけると、なぜかひどく不機嫌そうな顔で彼は振り返った。
どうしたのかしら? 何か怒らせるようなことをしたかしら。
「……何?」
「あのね、そこが終わったら……何かあったの?」
「別に……」
「……やっぱりいいわ、なんでもない」
そこへ。
おはようございます、と何度か見た顔があらわれた。
女性の2人連れ。眼鏡をかけた小柄な女性は、確か和泉の同僚だ。そしてもう1人は……そうだ、昨日大通りで男3人に絡まれて(?)いた女性。
何があったのか知らないが、顔のあちこちに傷テープが貼られている。
そのすぐ後ろからあらわれたのは、
「和泉さんは来ているか?」
駿河だった。
来てるよ、と吐き捨てるように周が答えた。
「元カレと一緒に」
「元カレ……?」
「駿河さん、行きましょう」
女性刑事が声をかけると彼は、ああ、と返事をして歩きだす。
思い出した。昨日、2人が一緒に町を歩いていたことを。
ただの仕事仲間なのか、それとも……?
美咲はなんとなく2人の様子を目で追った。
親しげに会話をしながら客室に向かう様子を見ていると、胸が痛む。
我知らず溜め息が漏れた。




