なんだこいつ?!
今日は団体客の宴会も入っておらず、個人客もそれほど多くない。
明日の午前中で年内の業務は終わりだ。
少しの安心感を覚えて、周はうーん、と伸びをした。
一通り、客を迎える準備が整ってほっとした時間帯である。
今日はほとんど姉の姿を見ていない。賢司の具合が思いのほか良くないので、しばらく傍についていると言っていた。
その代わり、姉の友人の姿は何度も見た。
何しろ金髪碧眼である。否応なく目立ってしまうのだ。
「周!!」
姉の友人であるビアンカは屈託も遠慮もなく、まるで自分の弟のように話しかけてくる。
少しも悪い気はしないし、むしろほっとする。
「賢司、そんなに具合悪いの?」
「そうみたい……」
「ちゃんと病院に行ったのかしらね」
「年明けに、検査入院だって言ってた」
ビアンカは軽く溜め息をつき、肩を竦めた。
「薬を作っている人が、病気で入院なんてシャレにならないわね」
確かに……。
「ねぇ、周。ところで……」
急に彼女は心配そうな顔でこちらを見つめてくる。
「最近、美咲の様子はどうなの?」
「どうって……」
どうやら彼女は姉についてかなり【いろいろ】知っている様子だ。その上、どういう事情か知らないが、あの駿河葵の知り合いでもあるらしい。
「彼女、空気を読んで無理して笑顔を作ってるところあるじゃない。そう言うのってストレス溜まるのよね。賢司に続いて、美咲まで体調を崩したら……って心配だわ」
いい人だな、と周はビアンカと初めて会った時から思っていた。
姉が彼女と話している場面も何度か見たが、とても楽しそうだった。
「ビアンカさんが傍についていてくれたら、たぶん大丈夫。うちの姉の、愚痴やら何やら聞いてやってよ」
「……そうね」
微笑んでくれた彼女はとても素敵だ、と周は思った。
さて。今日の担当は507号室。
最上階の一番端の部屋が周の担当である。
どんな客がやってくるのだろう?
少しドキドキしながら出迎えたのは、男性の一人客である。
その顔を、周は確実に見たことがあった。名前は知らない。
覚えているのは兄の賢司がやたら、その男のことを敵視していたことぐらいだ。
そう言えば、つい先日もこの近くで見かけた。
銀縁眼鏡に切れ長の目、どこか一般人とは違う服装と身なり。
「いらっしゃいませ。お荷物をお持ちいたします」
周は手を伸ばしかけたが、男はさりげなくそれを拒んだ。
部屋は最上階の一番端。
周は男を先導してエレベーターに乗り込んだ。
「めずらしいね、男の子の仲居さんなんて」
男が話しかけてくる。
「冬休みの間だけの、手伝いなんです」
周が愛想笑いを浮かべて応えると、
「……お金が欲しいの?」
そう問われて戸惑う。
否、と言うのは嘘だ。
それから連鎖的に思い出してしまう。姉は、というよりこの旅館は借金だらけである。
全額返済できたなら、おそらく彼女は自由だ。
本当に好きな男の元へ嫁がせてやることができるかもしれない。
返事に困っている間に、最上階に到着した。
周は我に帰って、男を部屋に案内し、鍵を開けた。
一緒に部屋の中に入って緑茶の準備をする。それから、夕食の時間を聴取し、一通り館内の案内をしなければならないのだが……。
男はずっとスマートフォンを操作していて、声をかける隙がない。
どうしたものか。
「ああ、館内の案内ならいいよ。初めてじゃないから。それと、夕食は7時にしてもらえるだろうか?」
なんだ。
「かしこまりました。それではどうぞ、ごゆっくり」
周がお辞儀をして部屋を出て行こうとした時だ。
「君、芸能界に興味はない?」
「……はい?」思わず間抜けな声を出してしまった。
「いや。素材がいいから、きっと売れると思ってね。年齢はいくつ?」
「17ですけど……」
「演劇とか、興味ないかな?」
全然ない。
周が戸惑っていると、男は名刺を一枚取り出した。
「実は、私はこういう者でね……」
何やら肩書きが書いてあり、名前も書いてあったが、依然として相手の正体は不明だ。
「さっきお金が欲しいのかと聞いたら、返事はなかったけれど……上手くすればきっと、この旅館を救うぐらいの金額は稼げると思うな」
驚きのあまり、周は思わず大きな声を出してしまいそうになった。
どうして、この男はいったい何者だ?!




