8、俺のーーー
井坂視点です。
詩織の見送りに後押しされて大学に来た俺は、なんとか一限の最後に間に合う事ができ、ギリギリ欠席扱いとはならなかった。
詩織に心の中で感謝すると、俺はふと受け取った包みを見て頬が緩んだ。
あの短時間で朝ご飯のことにまで気が付くなんて…
さすが詩織だよなぁ~
またさらっと持たせてくれるとか
これはもう彼女じゃなくて…俺の――――――
俺は送り出してくれた詩織の姿を思い浮かべて勝手な妄想をしていたら、講義が終わるチャイムに我に返った。
そして教室内が騒がしくなり始め、俺は次の講義までに持たせてもらった朝飯を食べてしまおうと、包みを机の上で開けた。
中からレタスやトマトの挟まれたものと、卵とチーズが挟まった二種類のサンドイッチが出てきて、俺は食べるのが勿体なかったけど、小さく「いただきます。」と呟いてからレタスとトマトのものを先に口に運んだ。
口にすると食欲が刺激されて、ただのサンドイッチがどこかのお店のものかと思うほどに美味しかった。
これは詩織の愛情がなせる業だとしみじみ感じながらぺろりと食べ終えると、もう一つを手にしたところで鬱陶しい奴に魅惑の食事タイムを邪魔された。
「よっ!こんなとこで飯食ってるとか珍しいな。講義も遅れてきてたっぽいけど、寝坊か??」
「うっせーな。邪魔すんな。」
俺はちゃっかり前の席に座ってしまった藤城征哉から顔を背けると、手にしていたサンドイッチを口に運んだ。
その藤城の横に志村優までやって来て、藤城と同じようにサンドイッチを頬張る俺を驚いたような眼で見てくる。
「もしかして彼女さんの手作り…とか?」
「――――ゴフッ!!!!―――は!?!?」
志村に言い当てられたことに咽ながら目を剥くと、志村が目を丸くさせる。
「そうなんだ…。」
「へ!?手作りって、お前の食べてるソレ!?マジで彼女の手料理なのかよ!!!」
「うるっさいな!!俺が彼女の手料理食べて何が悪い!!」
大きな声で食いついてきた藤城を黙らせねばと怒鳴るけど、藤城は大人しくなるどころか面白そうに騒ぎ始める。
「わはははっ!!お前彼女絡みだとそんな反応すんだ!!なんか新鮮だな!な!!」
藤城が志村に同意を求めていて、志村はどこか納得できないような表情で渋々頷いている。
俺はちゃんと味わう事もできやしないと、最後の一口を食べ終えた。
「人のことおちょくるけどさ、そういうお前は彼女の一人ぐらいいないのかよ。」
「へ、俺??」
俺は赤井達のおかげでからかわれたときの対処法を身に着けていたので、自分の話題から藤城の話題へと切り替える事に成功した。
藤城はへらっと笑いながら目の前で手を横に振りながら言う。
「ははっ、いるわけねーだろ?こう見えて、俺は大学デビューしたタイプだからさ~。」
「大学デビュー?」
「そう。俺は高校まで黒縁メガネかけて丸刈りの地味~な奴だったんだよ。」
「へぇ。」
俺は目の前の茶髪でピアスをつけたチャラそうな藤城からは想像もつかない話に、珍しく他人に興味が湧いた。
「俺の地元どこか知ってるか?本島最北端の青森だぜ?こっちに出てくる前にどれだけファッション誌見て勉強したか!!」
「ははっ、勉強とか!ここ入るのに散々やったのに、またやったのかよ。」
「お前笑うけどな。普通の勉強の方が何倍も簡単だからな!?俺がこのモテを追及したスタイルを身に着けるまでにどれだけ苦労したか…。」
「へぇ、それで?成果はあったわけ?」
「あるわけねーだろ!!見りゃ分かんだろ!!!!いまだに彼女いない歴=年齢だよ!!このリア充め!」
藤城は「これだからイケメンは嫌なんだよ。」とブスッとして怒り出す。
俺はこういうタイプの奴と付き合うのは初めてなだけに、この自分がからかう側の立場になれるなんてことが新鮮で楽しかった。
だから攻める手を止めずに追及を続ける。
「好きな奴とかはいねーわけ?そんだけモテてぇなら、校内中の女子を物色してんだろ?」
「物色とか嫌な言い方すんじゃねぇよ!!まぁ、好きな奴に関してだけ言うと、まぁ、いないこともねぇかなって感じだけどさ。」
「へぇ。」
好きな奴はいるのか…
まぁ、そんだけモテに気合入れるってことは、大体好きな奴絡みだもんな。
俺は詩織に恋したときのことを思い返して、自分も散々見た目に気を使ってたと懐かしくなった。
「おい!ここで会話終了か!?好きな奴は誰かとか聞かねぇのかよ!!」
「は?そこまで聞くのはさすがに無粋だろ?」
「こんなときに変な気遣い!!お前って、ほんっとよく分かんねぇ奴だよな!?」
また怒りだした藤城を見て、まだ聞いて欲しかったのかと意図にそぐえなかったことに軽く謝る。
「悪い、悪い。俺だったらそこまで聞かれるの嫌だと思ったからさ。」
「そ、りゃ…そうかもだけどさ!!まぁ、じゃあ…今度二人のときにこっそり教えてやるよ。」
「なんだよ二人とか気持ち悪いな。」
「教えてやるっつってんだから、素直にありがとなって言えばいいだろ!?」
「別に知りたくねぇけど。」
俺が本音を溢すと、藤城は「何だと!?」とこっちに身を乗り出してきて、俺は面倒なことになる前に笑って躱した。
まぁ、それでも藤城は俺に聞いて欲しそうに話を続けようとしていたけど、講義開始のチャイムが鳴り阻まれていた。
俺は長くなりそうなやり取りがなくなりホッと一息つき、ふとほとんど会話に参加していなかった志村が気になった。
志村はもう前を向いていて表情は見えなかったけど、どこか沈んでいるような空気を纏っていて、その姿が微妙に詩織と重なり頬が緩む。
きっと詩織も家で寂しく肩を落としてるんだろうな…
俺はなるべく早く帰らないとな―――なんて思っていたのだけど、一番大事なことをすっかり忘れて、なんと夕方まで思い出さなかったのだった。
***
俺が詩織に関する大事なことを思い出したのは大学の講義もすべて終わり、バイト先へ足を向けていた時だった。
日が傾き辺りが橙色に染まり始めた道を歩いていたら、大きなキャリーケースを引いた女性とすれ違って、俺はその女性の姿に背筋が凍りついて足を止めた。
詩織!!!!
俺は詩織が今日帰るということを口にしていた事を突如思い出して、足をUターンさせかけたのだけど、バイトのことが頭の中を過りその場でつんのめった。
俺はバカか!!!
幸せボケし過ぎて、一番覚えとかなきゃならないことが頭からすっ飛んでた!!
バイトとかしてる場合じゃねぇけど、無断で休むのも迷惑かけるし…!!!
俺は自分の家の方角とバイト先の方角を交互に見ながらウロウロして、しばらく悩む。
とりあえずバイト先に電話して、休ませてもらえないか交渉だけでも…
そう思い鞄の中を探ったのだけどケータイが一向に出てこなくて、俺はふと昨晩のことを思い出した。
あ、そういえば詩織の寝顔が可愛すぎてケータイで写真撮ったあと、ベッドの脇に置いたっけ…
でもその後見てねーってことは、ベッドの下にでも落っこちてるな…
俺は色ボケしまくってた昨晩のことを思い返し、泣きたくなりながら大きくため息をついて肩を落とした。
するとそこへ救世主のような声が耳に届く。
「お、井坂じゃん。おっつー!これからバイトか?」
陽気に声をかけてきたのはバイト先の方向から歩いてくるバイト仲間で、俺はそいつの顔を見て落ちてた気分が少し浮上する。
「高松!!!お前、バイトは!?」
俺が一縷の望みをかけて声をあげると、バイト仲間の高松は驚いたように目を見開いた。
「終わったとこだけど、一体なんなんだよ。お前がそんなに焦るとか珍しいな。」
「終わったとこで悪いけど頼みがある!!」
「は?」
俺はこっちに来てから誰かに借りを作るのが嫌で、誰にも頼みなんてしたことなかったけど、今回は背に腹は代えられなかった。
「俺これからバイトなんだけど、代わってくれないか!?大事な用があって今すぐ家に帰りたいんだ。この借りは必ず返すから、頼む!!!」
俺はしっかりと頭を下げて頼み込むと、微妙な含み笑いが聞こえたあとに嬉しい言葉が聞こえてきた。
「お前から頼み事されるとか、すげー新鮮。なんか気持ち良いなぁ~。いいぜ?お前のそんな姿初めて見れたしバイトぐらい代わってやるよ。ちょうど何の予定もねぇしな。」
「マジか!!助かる!!」
快くバイトの代打を引き受けてくれた高松が光輝いて見えて、俺は零れる安堵の笑みが抑えきれないまま何度も頭を下げた。
「はははっ。お前をそこまでさせるって何事だよ?すげー面白いんだけど。」
高松は面白そうに笑った後、俺の背を押して「用事あんなら早く帰れよ。」と言ってくれて、俺は高松がこんなに良い奴だったとは思わず感動してしまい、すぐに足が動かなかった。
こいつにはちゃんとお礼しなきゃな…
俺は再度「ありがとな!!」と感謝を口にすると、これからは高松ともうちょっと親しく付き合っていこうと考えながら、自宅に向かって足を翻した。
そしてまたバイト先へと戻ってくれた高松とは別れ、全速力で自宅までの道を走る。
その道中、詩織が帰ってしまった最悪のケースを考え、胸の中がグリグリと槍で突かれたかのように痛かったのだけど、顔をしかめてそれを堪えながら、まだいてくれるはずだと前向きに考えようと努めた。
でも家に近付くごとにいない可能性が大きいと思い始め、ぐっと熱いものが鼻の奥の方まで立ちこめてきて苦しくなる。
俺はそれを寸でのところで我慢して、なんとかものの数分で自宅に辿りつくと、昨日と同じように「詩織!!」と声をかけながら部屋に飛び込んだ。
するとすぐ前から、不満気な声が聞こえる。
「…遅いよ。」
声の主はブスッとふくれっ面で玄関に座り込んでいる詩織で、俺はいてくれたことに心の底から安堵して倒れるように詩織に抱き付いた。
「いた…。良かった…。」
詩織の花のような香りを鼻から思い切り吸い込んで安心しきっていると、詩織の手に両頬を挟まれ少し引き離された。
「良くないよ!!私、もう今日中に帰れないんだけど。」
「え、あ。マジ?まだ夕方だけど…新幹線ないのか?」
「そういうんじゃないの!」
詩織は俺の頬を軽くつねると、可愛く怒り始める。
「全然井坂君、帰って来ないんだもん。今日ほとんど一緒にいなかったのに、会えた途端さよならなんて…――――」
詩織はそこで言葉を切るとギュッと口を引き結んで眉根を寄せ始め、その表情から詩織の気持ちを推測すると、俺は堪らず詩織に顔を寄せると抱きしめながら謝罪した。
「ごめん。寂しい思いさせたよな…。悪い…、俺ばっか詩織がいてくれることに嬉しくて安心しきっちまってて…、詩織の気持ち考えてなかった…。ホント、ごめん…。」
「ううん…、私も勝手に来ておいて我が儘言っちゃって…、こっち来て欲張りになってるかも…。でも、嫌な気持ち抱えたまま帰ったら絶対後悔すると思って…。こんな彼女で…ごめんなさい。」
詩織は優しく抱きしめ返してくれると、沈んだ声で謝罪してきて、俺は詩織の小さな我が儘が可愛くて胸がくすぐったくなった。
「こんな彼女って…、そんな詩織だからいいんじゃん。俺と離れ難くて残ってくれてたんだろ?」
「……うん。」
「俺はそっちの方が嬉しいよ。俺も詩織とまだまだ一緒にいたかったから、すげー安心した。」
「……井坂君、嬉しいの?」
詩織が驚いたように少し俺から離れると大きな瞳で見つめてきて、俺はそんな無垢な子供のような顔に笑ってしまう。
「嬉しいに決まってるだろ?だって、帰らないってことは今夜も一緒に寝られるじゃん?」
俺が素直な気持ちを打ち明けると、詩織は何か変な方向に捉えたのか少し照れると「井坂君のえっち!!」と怒られた。
「明日朝一番には帰るからね!?じゃないと大学間に合わないから。」
「分かってるよ。朝、駅まで送ってく。」
俺が詩織と一緒にいられる時間が伸びたことにニヤケながら詩織に頬ずりしていると、詩織もなんだかんだ俺と同じ気持ちだったようで大人しくなってしまった。
そうして俺と詩織の初めての同棲生活は幕を閉じるんだけど…
詩織が帰ってしまったあと、俺は詩織が来る前よりも詩織に会いたい病が悪化してしまい、周囲にかなり迷惑をかけてしまったのだった。
これにて詩織と井坂の話は一旦おしまいです。
次話からは八牧貴音と島田新のお話になります。




