5、お隣さん
井坂君が大学とバイトへ行ってしまい、私は一人部屋に残されてしまった。
これから何をしようかと部屋を見回して、ふとベッドが目に入り今朝のことを思い出してしまった。
う~~~~っ!!!!
思い出しただけで照れる!!顔、熱いっ!!!
私はベッドの前でウロウロしながら、熱くなった顔を押さえてギュッと目を瞑った。
今朝の井坂君は私の知ってる井坂君とは少し違った。
いつもよりずっと男らしくて、すっごく凛々しく見えた。
あ、いつもカッコいいんだけど、今朝は何て言うか…
男らしい強引さが前面に出ていて、そんな人に求められてることがすごく嬉しくて…
心臓が壊れるかと思うくらい、ずっとドキドキしていた。
改めて井坂君は男の人で、私は女なんだって実感した。
当たり前のことなんだけど…
私は今も激しい井坂君を思い出しただけで身悶えしてしまって、部屋を動き回る足が止まらない。
ダメ、ダメ!!
こんなことばっかり思い返すなんて、欲求不満みたいだ
井坂君が帰ってきたときに、絶対物欲しそうな顔しちゃう!!
その前に煩悩を吹き飛ばさないと…
私はとりあえず思い返す元凶となっているベッドの掛け布団を抱え込むと、ベランダに干してしまおうとベランダに繋がる窓を開けた。
そして熱い日差しの中、掛け布団を干すと今度は敷布団を取りに部屋に戻る。
そこで昨日も聞いたガチャガチャ、バタン!!!という激しい音がして、お隣さんが帰ってきたのが分かった。
私は音が大きなぁ…と思いながら敷布団を手にベランダに出る。
そして掛け布団の横に干し終えると、今度はお隣の窓が開く音がして、はぁ~~~と長く大きなため息が聞こえた。
私はそのため息が妙に気になってしまい、ベランダの衝立の向こうにいるだろうお隣さんに声をかけてしまった。
「あの~…、大丈夫ですか?」
「……、は?…え、誰??」
お隣さんは男の人のようで、困惑する声が聞こえた。
私は声をかけたのはまずかったかと思いながらも、姿の見えないお隣さんに気になった旨を伝える。
「えっと、隣の者なんですけど、布団干してたらあまりにも大きなため息が聞こえたんで…。大丈夫かな~と思って…。」
「あぁ、お隣さんか。あれ?でも、隣って確か男の人じゃ…。」
「あ、私、今ここに泊らせてもらってて…、住んでるのは彼なんです。」
「あ~…、彼女さんか…。そいついいね…、彼女に泊ってもらえてさ…。」
お隣さんは再度大きなため息をついていて、言い方からお隣さんのため息の原因は恋愛絡みかと察した。
これは話を続けて相談にのるべきかと迷っていたら、向こうが先に口を開いた。
「俺も、泊まりに来てくれるような彼女がいればなぁ…。なんで俺っていつもこうなんだろう…。」
「えっと…、女性関係で何かあったんですか?」
「その逆。もう大学4年になったっつーのに、何もねーんだもんなぁ…。彼女いない歴更新とか、もう最悪だよ。」
「それは…。」
言葉に困るなぁ…
私はお隣さんのことを何も知らないだけに、変なことは言えないと言葉に迷った。
それをお隣さんは察してくれたのか、軽い笑い声が聞こえる。
「ごめん、初対面の子にする話じゃねぇよな。昨日誕生日だっただけに、ちょっと凹んでてさ。悪いね。」
「お誕生日だったんですか。」
「そう。だから彼女いない歴更新なんだよ。これ、笑ってくれていいからね。」
自嘲気味に笑い続けるお隣さんに、私は何かしてあげられないかと考えて、ふとあるものを持って来ていたことを思い出して部屋に戻った。
そして荷物の中から袋に入った物を取り出して、ベランダに戻りお隣さんに声をかける。
「あの!!手だけ出してもらっていいですか?」
「へ?手??」
私がベランダの薄い衝立の向こうに目を向けていたら、お隣さんの手が遠慮がちにこっちに向かって出てくるのが見えた。
私はそのお隣さんの手に、持ってきた袋を握らせて渡す。
「これ、地元っていうか…私の通う大学のあるところのお土産なんですけど、良かったらお誕生日プレゼントだと思って、受け取ってください。」
「え?これ、いいの?」
「はい!!まだあるので、もらってください!」
私はせっかくのお誕生日に暗い気持ちを抱えたままでいて欲しくなくて、ちょっとしたことでも元気になってもらえればと思ってのことだった。
お隣さんは突然のことに戸惑ってる感じだったけど、私の気持ちを汲んでくれたのか少し弾んだ声が聞こえてくる。
「ありがとう。初対面なのに、こんな贈り物…。嬉しいよ。」
「いえ!ただのお土産なので気にしないでください!!」
「ははっ、ただの…ね。うん、有難くいただくよ。ところで、これ関西のお土産っぽいけど…君、どこの大学―――――」
お隣さんが元気になったようでトーンの上がった声で話し始めたとき、私のケータイが部屋の中で鳴り始めて、私は部屋に振り返って話が途中なのにどうしようかと考えた。
するとお隣さんが気を使ってくれたのか、「電話出た方がいいんじゃない?」と言ってくれて、私は一言「すみません。」と謝ると部屋に戻った。
そしてケータイ画面を見て井坂君からだと分かると、慌てて通話ボタンを押す。
「もしもし、井坂君?」
『詩織!!ちょっと色々あって、バイトの前に一旦帰る。』
「え?どうしたの?」
電話の向こうの井坂君は走っているのか息が荒くて、たまに咳をする音が聞こえる。
『厄介な先輩に捕まりかけてさ…、教授のとこに行けなかったんだよ。時間余ったから、ちょっとでも詩織といようと思って。』
井坂君の言葉から少しでも長く私といたいと思ってくれてることが伝わってきて、嬉しくて頬が緩んだ。
「井坂君…、分かった。部屋で待ってるね。」
『うん。すぐ帰る。』
井坂君は少し笑ったのか声が微妙に高くなっていて、私も同じように顔が笑った状態で電話を切った。
顔が見えなくても井坂君がどういう気持ちでいるのかなんとなく分かるのは、この遠距離期間の賜物かもしれない。
私は井坂君が笑顔で帰ってくるのを想像して、顔が緩んで笑みが漏れる。
そうして一人ニヤけていたら、ベランダから声をかけられた。
「彼氏、戻ってくるんだな。」
「え、あ。はい。あ、すみません。話途中になっちゃって…。」
私はお隣さんのことを思い出してベランダに飛び出ると、袋がガサガサいう音と一緒に明るくなった声が聞こえた。
「いいよ。これ、ありがとう。また、話す機会があれば、そんときに。それじゃ。」
「あ、はい。」
私はお隣さんが部屋に戻る音を聞きながら、話を途中にしてしまったことに悪いな…と思った。
でも、最初の声に比べると随分明るい声になってたから、少しは力になれたかもしれないと思い直し、気にするのはやめることにした。
井坂君が帰ってくるんだから、その前に少し掃除でもしよう
私は窓を開けたことで空気の入れ替わった室内を見回して、掃除機を手に掃除を開始したのだった。
***
それから部屋の中を一通り掃除機をかけ終わって一息ついたとき、玄関の扉の開く音がして井坂君が帰ってきた。
私は掃除機を置いて「おかえり。」と出迎えに行くと、笑顔で帰ってくると思ってた井坂君の表情が曇っていて、想像が外れたことに驚く。
「井坂君、どうしたの?」
帰る道中に何かあったのだろうか…と尋ねたら、井坂君が睨むように私を見て靴も脱がずに言った。
「詩織、部屋で今まで何やってた?」
「え?何って…、お布団干して…掃除をちょっとだけ…。」
私はここで勝手に掃除機をかけたのがいけなかっただろうかと、慌てて弁解する。
「あ、ごめん!!掃除機かけちゃダメだった?何もやることなかったから、つい…。」
「そうじゃなくて!!隣の奴が詩織のこと、良い彼女だとか言ってて!!なんで勝手に部屋出て隣の奴なんかとしゃべってんだよ!!」
え!?
「ちょ、ちょっと待って!私、部屋出てないよ!?お隣の人としゃべったのは本当だけど、ベランダ越しだから顔も知らないし…。しゃべったのも数分だから…。」
「ベランダ越しって…、なんでそう気軽に男に話しかけるかな!?つーか数分話しただけで、どうやったら隣の奴にあんな気に入られることができんだよ!!」
気に入られる!?
大げさな話にビックリして、井坂君はお隣さんから何を聞いたのか気になる。
井坂君は「俺がいない間に何やってんだよ!」と機嫌は最悪で、とりあえず気に入られてるって話だけでも否定しようと口を開く。
「井坂君!!私、本当にただ話してただけで…、あ、でも元気なさそうだったから、お土産をおすそ分けしたぐらいで…。」
「はぁ!?!?土産!?そんなの俺もらってねぇけど!!」
「え!?あ、あるよ!!あるある!!井坂君の分のお土産まだあるから!!」
「まだある!?俺の方が後とかどういうことだよ!!!」
「え!?」
言い訳したつもりが更に逆撫でした形になってしまい、井坂君は思いっきり顔を歪めると苛立ったまま吐き出した。
「もうバイト行く!!詩織なんか知らねぇ!!!」
「えぇ!?井坂君っ!!!」
井坂君は帰ってきたところだというのに玄関を飛び出していってしまって、私は慌てて後を追いかけた。
そしてマンションの廊下を走るけど、足の速い井坂君はあっという間に階段を駆け下りていってしまって、私は廊下の手すりから身を乗り出して、息を荒く吐き出した。
私がそうして息を整えている間に、井坂君はマンションの入り口から出て大学方面へ走って行くのが見えて、自分のしてしまったことを後悔した。
まさかお隣さんのためにとしたことで、井坂君の機嫌を損ねる事になるなんて思ってもみなかった。
一番大切にしなきゃいけないのは井坂君のはずなのに…
ごめん…井坂君…
私はとぼとぼと部屋に戻りながら、井坂君がバイトから帰ってきたらきちんと謝ろうと、寂しくなる気持ちを胸に押し込んだのだった。




