2、未来の話
井坂拓海視点です。
詩織と一緒の時間を過ごせなくなって二年。
その間、色んなことがあって俺は何度も不安にかきたてられ、その度自分の置かれている状況に嫌気が差し、何度も自分の選択を後悔した。
詩織と一緒にいる時間と自分のやりたいことを天秤にかけて、後者をとった。
大学二年のときもそうだ。
俺は詩織と過ごす時間より小木曽教授からの評価を優先した。
そのおかげで教授からの信頼は勝ち取れたのだけど…
詩織の気持ちを無視して、見ないフリして、たくさん傷つけた。
だから詩織から連絡を絶たれたのは当然だと思ってる。
詩織と連絡のとれなかった三か月、毎日が地獄のようで何をしていても楽しくなかった。
大好きな教授と一緒にいられても、少しも嬉しくなかった。
俺は何度も詩織に会いに行こうと思ったけど、拒絶されたらと思うと行動に移せなかった。
だからクリスマスというイベントを利用してなんとか足を向けたら、今までの怯えはどこかへ飛んでいった。
詩織を一目見ただけで会いたかったと身体中が湧きたった。
詩織の顔が見たかった
会って話がしたかった
この手で詩織を強く抱き締めたかった
たくさんキスして触れて、俺のものだって確認したかった
もう一瞬だって離れていたくない
俺は自分の中の欲望が歯止めがきかずに溢れ出して、理性では止められなかった。
詩織が欲しい
詩織の全部を自分のものにしたい
自分の根幹にはただそれだけで、俺は会えなかった時間を詩織と触れ合う事で埋めていった。
そして今回も―――――
俺は会う度、綺麗な大人な女性に成長している詩織に心の中が乱される。
20歳になり成人した詩織は色気も増してきていて、俺はいつもその色気にやられてしまう。
昔から変わらない詩織の花のような香りも相まって、俺のことを誘惑してくる。
俺は散々味わったはずなのに欲求はおさまる所を知らず、とうとう詩織を怒らせてしまった。
『帰る』とまで言わせてしまったので、俺は詩織にお詫びしようと今日一日詩織の言う事を何でもきくという名目で家から出てきていた。
詩織は東京観光をしたかったらしく、スカイツリーを見上げてキラキラした笑顔を見せている。
俺はそんな詩織を見ているのが楽しかったので、じっと詩織だけ見つめてしまう。
「井坂君っ!!早く行こ!」
詩織は俺の手を引くと列に並び始めて、俺はウキウキしている詩織を見て表情筋が緩む。
今日は詩織の言う事をきくという約束だったので、自分からは手を出せないのでこうしていることしかできない。
俺はスカイツリーに上ろうが水族館に行こうが、浅草寺を見て回ろうがひたすらニコニコしていた。
詩織を見ていると自然とこうなるためだ。
詩織はそんな俺でも満足だったようで、時折「手つないで!」とか「ジュース買ってきて!」と軽いお願いをしては楽しそうに笑っていた。
そうして時間も遅くなってきて夜ご飯を食べに店に入ったとき、珍しい人と遭遇した。
「あれ、井坂君。こんなところで偶然ね。」
「あ、先輩。こんばんは。」
黒髪ストレートで和風美人な星形先輩はちらと詩織を一瞥してから、俺に視線を戻した。
「休み明けてからのことなんだけど、私の研究少し手伝ってもらえないかしら?」
「へ?あぁ…別に大丈夫ですけど。」
「良かった。じゃあ、よろしく。」
星形先輩はそれだけ言うと一緒にいた社会人っぽい男性と店を出て行った。
俺はその背を見送って詩織に目を戻すと、詩織が何故かムスッとしていて驚く。
「詩織、どうした?」
「別に…、私もまだまだだって思っただけ…。」
「まだまだ?」
俺が意味が分からなくて首を傾げると、詩織は気まずそうに目を逸らしてから言った。
「井坂君の周りって綺麗な人が多いから…。頑張って努力してるつもりだけど、私もまだまだだなぁって思っただけ。今度会う時までにさっきの人より大人な感じになれるように頑張る。」
俺の弱い所をピンポイントで突いてくる詩織に胸の奥が疼く。
今日何度目か分からない我慢を強いられ笑顔の裏に隠す。
「詩織は十分綺麗だと思うけどな。努力はいいんじゃないか?」
「よくないよ。井坂君の周りの女の子に負けたくない。」
―――――――――――!!!!
ズドンと胸の奥に鈍い衝撃を受け、俺は苦しい胸を手で押さえた。
そして詩織に触れたくなる気持ちを抑えようと壁に向かって何度か軽く頭をぶつける。
今は外だ…
外だからな!俺!!
帰るまで我慢だ。我慢しろ!!
鼻から大きく息を吸いこんでなんとか堪えると、ちょうど席が空いたようで店員さんに案内される。
それに平常心で対応しながら案内された席につく。
席に着くと詩織が店内を見回しながらキラキラした瞳を向けてくる。
「たまたま入ったお店だけどすごく素敵なお店だね。カジュアルっぽいのに上品で特別な日にくるお店みたい。」
詩織の言葉に同じように店内を見回すと、ちゃんとした感じの男女が多い気がして『特別な日』という光景が頭に浮かぶ。
『詩織、俺と結婚してくれ』
なんてな。
自分の妄想に顔が緩んでいたら、前からメニューを差し出される。
「私、このチキンソテーのセットで。井坂君どうする?」
「あ、そうだな…。」
俺は妄想を中断してメニューを受け取ると、ざっと見てステーキでいいかと決める。
そして素早く注文を済ませると、さっきの妄想を詩織に聞いてみたくなって話をふってみた。
「俺らってさ、二十歳になって成人したわけじゃん?」
「うん?そうだね。」
「お酒も煙草も大丈夫になってさ…、親の許可なく何でもできるようになったわけじゃん?」
「うん。」
詩織の純粋でまっすぐな瞳から少し視線をそらすと意を決して口を開く。
「結婚も自由にできるようになってさ――――…これから結婚するやつとか出てきそうだよな。」
ちげーだろ!!
俺は最後の勇気が出なくて、思っていたことと違うことを口にした自分を呪いたくなった。
詩織は楽しそうに笑うとそんな俺の気も知らずに言う。
「そうだね。誰が一番早いかな~。赤井君は…まだ全然考えてなさそうだし。北野君は真面目そうだからちょっと思ってるかもしれないよね。」
「はは…だな…。」
俺はどよんと気分が落ち込んできて、話題をふったのは自分なのに素っ気なく返してしまう。
「……井坂君は?」
「へ?」
前から驚く疑問が投げかけられて、顔を上げて詩織を見つめる。
詩織は少し頬を赤くさせながら恥ずかしそうに問いかけてくる。
「井坂君は?考えてたりするの?」
「え」
思わぬところから好球が飛び込んできたことに一瞬反応が遅れる。
でもこれを逃したらダメだとすぐ答える。
「かっ!考えてる!!今は…お互いの学校生活もあるから無理だけど…。その後ぐらいにってアバウトだけど…ちゃんと考えてるから。」
詩織は俺の返答にみるからに嬉しそうに微笑むと「そうなんだ。」と返してくれる。
俺は詩織の反応から同じことを考えてると分かり、自分まで嬉しくなった。
同じ未来を見てる
ただそれだけの現実がたまらなく嬉しくて、俺はその日から少しずつ将来の事を考えるようになったのだった。
***
そしてその日は観光疲れで家に帰ると二人共すぐ寝てしまい、
朝目を覚ました時――俺は寝ている詩織を見下ろして全身の血の気が引いた。
え――――
詩織、今日帰るって言ってたような…
俺はまたあの地獄のような毎日になることを思い返して、気分が底辺まで落ち込む。
マジかよ…
早過ぎるだろ…
なんとかできないかと思ったけど、こればっかりはどうしようもないと思い直し
俺は少しでも詩織の感触を覚えておこうと寝ている詩織に手を伸ばした。
そうして詩織の白くて透き通った頬を撫でるように触っていると詩織の目がゆっくり開いた。
「詩織、はよ。」
「うぅん…朝…?」
「うん。朝。」
詩織は俺を見上げてくると穏やかな表情で微笑んだあと、両手で自分の顔を隠してしまう。
それになんだろうと様子を窺っていると、詩織が小さくぼやいた。
「今日が…最後か…。」
その小さな呟きに詩織も同じ気持ちだと察すると堪らなくなり、詩織の手を掴んで顔の前から退かせると深く口付けた。
少しでもお互いの寂しい気持ちが薄らぐように、確かめるように何度も。
すると詩織の手が熱を持ち始めて、キスをやめて詩織の姿を見ると詩織の白い肌が薄く赤みを帯びていた。
瞳も潤んでいて詩織も同じ気持ちかと尋ねる。
「詩織…いい?」
詩織は耳まで真っ赤になると恥ずかしそうに顔を隠しながら頷いて言った。
「優しくして…。」
そのいじらしい姿に昨日我慢し続けた欲が決壊した。




