3、友達だから
八牧貴音視点です。
「私は怒っていいと思ってるの。」
それとなく井坂君の話を聞き出したとき、しおりんはムスッとしながら言った。
「研究、教授との仲、大事なのは分かってる。でも、半年も会わない理由にはならない!!」
しおりんは珍しく怒気を含ませた声音で、私はここまで怒ったしおりんを見た記憶がなく頷くことしかできない。
「一生に一回しかない20歳の誕生日、成人した井坂君を傍で祝ってあげたかった。大事な教授の講演会が重なったなら仕方ないなって思った―――――けど!!」
しおりんはここで言葉を切ると、ギュッと手を握りしめて大きく息を吸いこんだ。
つられて一緒に息を吸うと、しおりんが低い声で一気に捲し立てた。
「またダメってどういうこと?会える日に向けて準備してたのに…、今までの時間が無駄になった!!もう大事な教授に祝ってもらえばいいよ。私がしようとしてたこと、井坂君にとったら何でもなかったんだから。一人で浮かれてた自分がバカみたい。もう、イヤだ。ほんっとムカつく!井坂君なんか――――」
しおりんはギュッと口を引き結ぶと、何かを我慢してるような顔で自分の膝を叩いた。
そして膝の上に顔を伏せると肩が震えだして、鼻をすする音が聞こえたので、私はふっと息をつくとしおりんの背を撫でてあげた。
「……井坂君に会いたい…。」
しおりんが泣きながら小さく呟いて、私は井坂君の代わりにしおりんをギュッと上から抱きしめた。
「きっと井坂君もしおりんに会いたがってるよ。」
「……うん。分かってる…。」
分かってるんだ…
この返答にしおりんのちょっとした成長を感じて、つい笑ってしまいそうになる。
「でも、半年は長いよね…。」
「うん…、長すぎる…。井坂君がどんなだったか忘れそう…。」
「――――っふ!それはないでしょ?」
私が思わず吹き出して笑ってしまうと、しおりんが私を押し返して涙でメイクの崩れた顔を見せる。
「忘れるよ!!……――――井坂君のあったかさとか…もう分からないし…どんな手の感触だったかとか…思い出せない…。」
しおりんはじっと自分の掌を見つめると悲しそうに眉を下げてしまう。
私はそんなしおりんを見て、胸が詰まって言葉が出てこない。
なんて言ってあげればいいのか…
誰かとここまで想い合った経験もないので、忘れていく感覚が分からず言葉がかけられない
「ごめん…。こんなことタカさんに愚痴っても仕方ないのは分かってるんだけど…。」
「ううん…。愚痴ってすっきりするなら、どんどん言ってほしい。別れる!とか言い出されるのも困るし。」
私が冗談を交えて返すと、しおりんはやっと笑顔を見せてくれる。
「そんなこと言わないよ。きっと…井坂君も辛いっていうのは分かってるから。」
この一年半の成果かしおりんは井坂君の気持ちを信じているようで、逞しくなった姿に少し安心する。
しおりんは鼻から大きく息を吸いこむと、吹っ切れたようにいつも通りの笑顔を浮かべる。
「大丈夫。まだ我慢できる。井坂君には井坂君の生活があるもんね。」
「今のしおりん、すごくカッコいいよ。」
私が素直な感想を口にすると、しおりんは「うそ!嬉しい!!」とキラキラ眩しく笑った。
その屈託のない笑顔に、私は自分にない魅力を感じて少し羨ましくなった。
きっと井坂君もしおりんのこの笑顔が好きなんだよね
純粋で周りがパッと明るくなるような裏表のない笑顔
私にはどう頑張ってもしおりんのようにはなれない
ここでふっと島田君の顔が脳裏を掠めて、私は彼の顔が出てきたことに内心驚いた。
なんで今、島田君の顔が…
あ、そっか――――
島田君もしおりんのこの笑顔…大好きだもんね…
いつも真っ赤になるぐらい見つめてたから
島田君の顔が過った理由が分かりスッキリするかと思いきや、何故か胸の奥の方がずんと重くなって手で胸を押さえた。
???
なんで―――??
***
それからしおりんと話した事を、頼まれた張本人でもある島田君に報告しようと、同じ講義のあと彼を引き留めた。
胸が変にざわざわするのを気にしないよう、いつも通りを心掛けて。
「しおりんはもう大丈夫だよ。会えない事、ちゃんと受け止めてるし…しばらくは怒ってるかもしれないけど、島田君が心配してるような大変なことにはならないと思う。」
「マジ?それなら良かったよ。谷地さんの顔、本当に怖かったからさ。どうなることかと。」
島田君はほっとしたように笑うと「八牧さん、ありがと!」と肩を叩いてきて、ドキッと反応する自分を隠そうと笑顔を作り頷く。
「そうだ、お礼するよ!今日バイトある?」
「え?そんなのいいよ。友達として当然のことをしただけだから。」
今二人きりは変に揺れ動く気持ち的に良くないと思い、強めに断る。
「えぇ?まぁ、そう言わずにさ。最近どこにも出かけてなかったし、八牧さんとあまり話もできてなかったから。」
島田君は私の心中も知らずにどこかワクワクした顔で進めてきて、私は断れない雰囲気にため息をついた。
「仕方ないなぁ…。ちょうどバイトないから、ご飯ぐらいなら大丈夫だよ。」
「やった!!じゃあ、17時ぐらいに正門で!店探しとくから!」
島田君は嬉しそうに小さくガッツポーズをすると、早速お店を探すのかケータイを手に調べ始めた。
そして次の講義があるので「また後で!」と言い残して行ってしまった。
その背中を見つめながら、落ち着いていく自分の鼓動の音に顔をしかめる。
なんだか…最近おかしいな…
島田君にドキドキするとか気持ち悪い
自分の中の変化についていけず、自然とため息が出る。
こんなのになったの…
島田君のあの言葉のせいなんだよなぁ…
『俺は八牧さんだって大事だよ』
緊張した様子で放たれた言葉に、私はどう反応していいか分からなくてただ驚いた。
私が捻くれた言い方をしたせいで、優しい島田君が気を使って言ってくれただけだというのは分かっている。
分かってるんだけど、私も一応女子なので男の子にそんなことを言われたら意識してしまう。
私を励ますための言葉だったとしても、ちょっと嬉しかったから。
特別なのかと思いそうになって…勘違いしかけたところで――――
思いとどまった。
島田君の中で私はしおりんのおまけ。
しおりん友達だから、島田君も気にかけてくれるし、優しくしてくれる。
ただそれだけ。
それ以上でも以下でもない。
友達ってだけ。
私はあの日から何度も自分に言い聞かせて、普段通りに付き合っていこうと努めていた。
それが私と島田君にとって一番良い距離だから。
***
「ほんっとあいつだけはいい加減にしてほしいよ。」
島田君のお礼でやって来たのは初めて足を踏み入れた居酒屋で、私は目の前でお酒の入ったグラスを置く島田君の荒れ具合に目を見張る。
お互い誕生日がきていて二十歳になっているから居酒屋で納得したものの、お酒の入った島田君を初めて見たことの驚きを隠せないでいた。
お酒とはここまで人を変えてしまうんだ…
私は自分のグラスをちょっとだけ口にして、馴染みのない味に飲み過ぎないようにしようと心に決める。
「俺が今までどれだけ井坂に振り回されてきたか…。谷地さんのためだって分かってるけど、そろそろ限界だ!」
島田君はグラスに入ったお酒をぐいっとあおるように飲むと、勢いよくテーブルの上に置く。
私は置かれたグラスと島田君の赤ら顔を交互に見て何も口を挟めない。
「谷地さんの機嫌ぐらい自分で何とかしろっての!なんで俺らがこんなに気を回さなきゃならねぇんだよ!!八牧さんもそう思うだろ!?」
「えっ…、まぁ…そうかな…?」
急に話をふられて思わず同意すると、島田君は薄く笑みを浮かべる。
「八牧さんってほんと…優しいよな…。谷地さんに振り回されてても嫌な顔一つしないし…、俺と違ってすっげー器広いなって思う。」
「えぇ!?それを言うなら島田君でしょ!?私、高校のときからどれだけ島田君のこと尊敬したか分からないのに。」
「へ?」
島田君の大きく見開いた瞳が私を映して、私は見つめられたことに動揺して視線を逸らす。
「この際だから言うけど、島田君の何気ない陰のサポート見てて…どうしてそこまでできるんだろうって思ってた。しおりんは井坂君しか見てないって分かってて、ずっとしおりんの笑顔守ってたでしょ?私だったら辛くてできない事だから、すごいなって…頑張れってちょっとだけ応援してた。」
私はいつもしおりんの姿を目で追ってた高校時代の島田君を思い返した。
本当に一途に自分の気持ちをひた隠しにして、しおりんと井坂君を見守ってた。
井坂君の傍で幸せそうに笑うしおりんを…ずっと、見てるこっちが切なくなるぐらい健気な姿に胸を打たれた。
「島田君は…凄いよ。よっぽど気持ちが強くないとできないことだから…私よりもずっとずっと器が広いと思う。」
私が今まで思ってきたことを言い終えると、はーっと長いため息が聞こえて島田君がふっと柔らかく微笑んだ。
「ありがと。まさかそんな風に見られてるとは思わなかったけど…、なんか嬉しい。俺の今までが無駄じゃなかったって…ちょっと報われた気分。」
「そう?少しでも励みになったなら良かった。まだまだしおりんへの片思いは続くんだもんね?」
からかいを含めて返すと島田君の表情が少し強張るのが見えて、じっと島田君の顔を見つめていると視線に気づいた島田君が驚くことを口にした。
「あー…、俺さ…。もう谷地さんのことは吹っ切れてて…。他に好きな人がいるっつーか…。」
吹っ切れて…――――他に好きな人?
「え!?うそ!!」
思いがけない告白に一瞬固まってしまい反応が遅れる。
「他に好きな人って…あ!!もしかしてこの間のバイトの後輩さん―――」
「違うから!!それだけは絶対ない!!」
「え…?じゃあ、一体誰…??」
食い気味に否定されて目をパチクリさせて尋ねると、お酒のせいで赤ら顔になっている島田君の顔がこっちに向く。
「……分かんない?」
「???分かんないって…しおりんのときは見てて気づいたけど…、今はなぁ…。島田君のことそこまで観察してるわけでもないし…。」
「あー…そう…。」
なんだかガクッと肩を落としてしまった島田君を見て、何かいけないことでも言っただろうかと顔をしかめる。
「ごめん。てっきりまだしおりんの事好きなんだと思ってたから…、ちゃんと次に進める人がいるなら応援するよ。」
「応援…か。そっか。」
フォローすればするほど島田君の元気がなくなるように見えて、私は自分の不甲斐なさにもやもやする。
「大丈夫だよ!!今度は絶対上手くいくから!その好きな人に彼氏がいるわけじゃないんだよね?」
「あー…まぁ、いないと思うけど。」
「じゃあ、まだまだこれからだよ。あれだけ一途に相手を想えるんだから、きっと今度はその想いが伝わると思う。これから頑張ろ!」
島田君の肩を叩いて精一杯励ますと、島田君がやっと笑顔を見せる。
「まぁ、確かに。これからだよな。俺も自分の変化に気づいたの最近だし、地道にやっていくよ。」
島田君はグラスに残っていたお酒を飲み干すと、「トイレ行ってくる。」と席を立っていってしまった。
私はその背を見ながらどこか寂しい気持ちになっていて、自然とため息が出る。
好きな人…か…
とうとう島田君も前に進みだした
私はまだ好きな人すら見つけられないのに…
私は彼に置いて行かれたような気持ちでいっぱいで、島田君の好きな人が誰なのか考えることすらしなかったのだった。




