1.9.血文字の紋様
図書館で、2領の鎧を護衛の魔術師2人に預けて別れた。
それが、甘かったのだろう。
客車にファリーハだけを乗せた馬車は、図書館を出て、隣接する官庁街を走っていた。
魔術省までは、さほど離れていない。
ふと気になって、外を眺めてみる。
(何だか、いつもより軍の自動車が多いような……)
そう考えていると、馬車が急停止した。
「うっ!?」
座席ベルトを締めていても投げ出されそうになる、急減速。
御者が客車のブレーキをかけたのだろう。
だが原因を問いただす前に、外から客車の扉が開かれた。
「ファリーハ王女殿下」
彼女の名を呼んだのは、制帽を被った軍人だった。
(海軍……!)
兵士ではなく、将校のようだった。
右手には拳銃を握っている。
彼女に向けてこそいないが、それでも威圧感はあった。
「恐縮ですが、お越し願います。これ以上は馬車が進めないようですので」
「…………!」
彼の背後に停まっている自動車を見て、状況を理解する。
海軍の自動車が複数、彼女の乗った馬車を取り囲んでいた。
まさか、この隙を狙ってきたというのか。
(海軍……アケウたちを殺そうとしたのも、ビョーザ回廊を爆破したのも……!?)
そう考えると、反抗的な心持ちが強まってくる。
このまま連行されたくはない。
「……っ!!」
彼女は将校の青年を思い切り突き飛ばし、客車から飛び降りて走った。
攻撃用の魔術を念じると、ファリーハの血液が活性化し、魔術の効果が世界に顕れる。
「通してもらいます!」
その呪文を引き金にして、衝撃波が発生した。
海兵たちの乗っていた自動車が横転し、包囲網に隙ができた。
そこを目がけて、走る。
走りづらい靴だったが、我慢して走る。
ファリーハの動きは、将校たちにも予想外だったようだ。
このまま、魔術省に連絡を取って逃げ切る!
だが、
「そこまでです!」
襟を掴まれ、バランスを崩す。
そのまま後ろ手をひねり上げられ、膝を突かされた。
「あっ……!」
「失礼を!」
女の海兵が、彼女に手錠をかける。
そのまま、服の上から何枚も札を貼られた。
魔力を使用前に発散させてしまう効果を持つ、魔術紋様の描かれた札だった。
何十枚貼られたのか、いくら魔術を使おうと念じてみても、魔力が集中しない。
魔術が使えなくては、彼女の体力では逃げることすらできなかった。
見れば、ファリーハを取り押さえていた海兵は、全員が女らしい。
彼女たちの一人が、将校に敬礼する。
「大尉殿、失礼ながら王女殿下、お迎えする準備が整いました!」
「ご苦労。お手荷物をお預かりしておけ。そのあと、車で師団長殿の下までお連れしろ」
「お手荷物をお預かりしたのち、車で師団長殿の下までお連れします!」
「殿下、またも失礼!」
女兵士たちが、ファリーハの手荷物を没収し、軽度のボディチェックを行った。
そのまま彼女を、2人で両脇から固めて、歩かせる。
口を塞がれることはなかったため、大尉と呼ばれた将校に問う。
「あなた方はなぜ、このようなことを!」
「恐縮ですが、まだお話しすることはできません」
彼はそういうと、手ぶりで部下に指示した。
「お連れしろ」
自動車が発進する。
ファリーハは後部座席でなおも、両脇から女兵士たちに挟まれていた。
外を見ると、官庁街ではそこかしこに海軍が展開しているではないか。
(反乱……?
まさか、私が旧世界奪還計画を、強行しようとしているから……?)
計画の妨害こそあれ、ここまで大規模な動きだとは思っていなかった。
考えが甘かったとしか言いようがない。
ファリーハは、拉致されたのだ。
「バインド・シルク、行使!」
アケウが白い鎧の指先から、粘着繊維の弾丸を連射した。
弾丸は図書館の正面を警邏していた兵士たちに当たり、制圧する。
『ジャンノ、黒い鎧に掴まってください』
「あ、あぁ」
『フェブ、お前はこっちだ』
「どうする気だ?」
黒い鎧と白い鎧が、それぞれ1人ずつ、ファリーハの護衛の魔術師を抱き上げる。
そして、背中と足の裏の推進装置で空へと飛び上がる。
内部の2人は慣れていたが、外で気流にさらされる魔術師たちは悲鳴を上げていた。
「うぉおおおお!?」
図書館に向かった味方が制圧された、と気づいた増援がたどり着いた頃には、2領の鎧は魔術師たちを抱えて魔術省の上空に到達していた。
5階建て、コンクリート造りの建物だ。
魔術師たちが怪我をしないよう、ゆっくりと屋上に降下する。
抱き上げていた魔術師たちを下ろすと、彼らは呆気に取られて呟いた。
「す、すごいな異世界の鎧……」
『上空から観察した限り、このビルは制圧されているようです。上の階から制圧していきますので、あなた方は我々を追いつつ、王女の捜索の補助を』
「わかった」
続いて、プルイナはディゼムに指示した。
『では、敵の補足は私が。動きは任せます』
「よし」
ディゼムは屋上への出口となる扉へ駆け寄り、扉とドア枠の間に鎧の手刀を叩き込む。
ラッチを破壊された扉を強引に開き、黒い鎧は内部へと突入した。
白い鎧も後に続く。
ディゼムがそのまま階段を駆け下りると、プルイナが警告した。
『破壊音を聞いた兵士が3人接近』
「バインドなんとか!」
あっという間に3人を無力化し、さらに階段を登ってきた2人も壁に貼り付ける。
フロアを見渡すも、個室や廊下が多い。
魔術省の最上階ということで、魔術大臣やファリーハのための執務室などがあるのだろう。
プルイナが、黒い鎧の眼光を強めた。
『スキャンします…………この階には、他の人間はいないようです』
白い鎧から、エクレルが見解を述べる。
『職員は1階あたりに全員集められているのだろう。私とアケウがあちらの階段から、プルイナとディゼムはこちらの階段から、各フロアを制圧していくとしよう』
『ではそのプランで』
プルイナがうなづくと、ディゼムとアケウはそれぞれの鎧を駆って、再び走り出した。
護衛の魔術師たちがその後に続く。
4階、3階と制圧していくが、3階と2階は無人だった。
既に少数では勝ち目がないと判断し、1階に集まって待ち伏せをしているのだろう。
『ディゼム、装甲は問題ありませんが、集中砲火を受けます。心の準備はいいですか』
「あぁ!」
そして、黒い鎧と白い鎧は、同時に1階に出た。
「撃ち方、始め!」
小隊長の号令と同時、銃弾の嵐が装甲を叩く。
が、超重元素の複合系で形成された装甲には傷一つつかない。
『問題ありません。このまま制圧を――』
その時、黒い鎧は急に吹き飛ばされた。
室内に荒れ狂った気流で書類が飛び、ガラス窓にひびが入る。
『正体不明のエネルギーを検知……』
「魔術だ! 海軍の魔術兵にやられた!」
アケウは状況を判断し、鎧に伝えた。
『魔術だと……?』
それはプルイナとエクレルにとっては、予備知識はあれど、未知の力だった。
ただ、ダメージは皆無だ。
今のところ機体の機能には問題ない。
未知のエネルギーとはいえ、力が急速に膨張する前兆を検知して、スラスターの噴射で相殺することが可能だ。
『姿勢、回復します』
「バインドなんたらッ!」
プルイナがスラスターを噴かせて強引に姿勢を戻すと、ディゼムが粘着繊維弾を乱射する。
今度は敵に当たるが、しかし着弾を逃れた別の魔術兵が魔術を行使して、2人を攻撃した。
屋内で衝撃波の魔術が荒れ狂い、その余波で室内用のガス灯や什器が破壊される。
エクレルが、白い鎧の中で毒づく。
『目と口が動かせれば使えるとは、厄介なものだ!』
だが、黒と白の鎧が魔術師に苦戦している間に、ファリーハの護衛の魔術師2人――ジャンノとフェブが床を這って回り込み、拘束されていた魔術省の職員たちに接触していた。
彼らが拘束を解くと、魔術省の職員たちの手が自由になる。
職員たちは自分たちに貼り付けられた、魔術を拡散させる札を剥がし、まだ抵抗していた海軍の魔術兵の背後から貼り付けた。
「!?」
魔力の集中が発散され、魔術が無効化される。
そこに、アケウが白い鎧の指先から、粘着繊維弾を放った。
「バインド・シルク、行使!」
札と粘着繊維で練り固められた魔術兵は、今度こそ無力化された。
ディゼムが毒づきつつ、ジャンノとフェブに礼を言う。
「たく、苦労させやがって。2人とも、助かった」
『魔術……文献で確認してはいましたが、非殺傷の方針に対して大きな障害です。プランに修正が必要ですね』
室内を見回したアケウが、拘束から開放された魔術省の職員たちに尋ねた。
「すみません、こちらにはファリーハ王女殿下は……おいでではありませんか?」
年配の1人が答える。
「私たちが襲撃された時は、王女殿下はまだお見えになっていませんでした」
「そうですか……」
『アケウ、小隊長を尋問したいところだが、そろそろ他所から増援が集まってくる。フェブとジャンノを連れて移動しなくては。王女を探すのはそれからだ』
エクレルがアケウに言う。
その時ふと、彼らの視界に動く物が目に入った。
「…………?」
その動きは、蝶を思わせた。
いや、蝶ではなかった。
紙だ。
端に破られた跡のある小さな紙切れが、自ら羽ばたいて飛んでいる。
アケウが白い鎧の手を伸ばして、それを捕まえた。
「……魔術紋様だ」
図形と文字を複雑に組み合わせたような図柄が、赤い液体で描かれている。
裏返すと、そこには書きかけらしい魔術紋様の他に、同じ赤色で短い文章が書いてあった。
“助けて。ファリーハより、海軍会館にて”
それを呼んで、アケウの心は大きくざわめいた。
「……殿下が……海軍会館に……!?」
『魔術紋様とやらの力か。紙ていどの重量とはいえ、物体に自力で飛行をさせるとはな』
感心したように、エクレルがつぶやく。
そこでアケウは紙と、インクの正体に気づいた。
「これ……殿下の手帳の紙かな。赤い紋様ってことは――」
『血だろうな。こんな手段で助けを呼べるとは、なかなかのタマじゃないか、あのお姫様も』
そこまで話したところで、海軍の別部隊が到着した。
彼らは魔術省の入り口から、大声で通告してくる。
「魔術省は包囲した! 黒い鎧と白い鎧、投降せよ!」
プルイナが、黒い鎧の中から護衛の魔術師たちに告げた。
『ジャンノ、フェブ。あなたたちは投降してください。申し訳ありませんが、これ以上同行させては死なせてしまう恐れが大きい』
あまり発砲したくないのか、増援部隊が今すぐになだれ込んでくるような気配はなかった。
とはいえ、魔術省の正面玄関には無数の銃口がひしめいている。
実際に撃たれれば、鎧は無傷で押し通れるだろう。
だが生身の魔術師や職員たちが、流れ弾で負傷するか、死ぬ恐れがある。
護衛の魔術師たちは諦めて、柱の陰に隠れて言った。
「情けないが、そうさせてもらおう……隙ができたら、俺たちも後を追う」
「殿下を頼んだぞ」
『ご理解、感謝します』
黒い鎧の内部で、ディゼムが息巻く。
「よっしゃ……! 姫様の居場所がわかったなら、俺たちだけでも何とかして見せねえとな」
『海軍会館でしたね。王都の地図はすべて図書館で取得済みです』
「行こう!」
アケウの声とともに、2領の鎧は床を蹴る。
「撃ち方、始め!」
鎧が魔術省の正面玄関に接近すると、斉射が始まった。
続いて、衝撃波の魔術。
『突き抜けます!』
プルイナとエクレルは機体のスラスターを全開にして、衝撃波を強行突破した。
突撃してくる2領の鎧を回避しようと、兵士たちの列が崩れる。
「危ねえな……当たってたらあいつら死んでたぞ」
『そうならないよう飛びました』
冷や汗をかくディゼムに対し、プルイナはこともなげだ。
彼らは包囲を突破し、10区画を隔てた海軍会館へと進路を取った。




