4.9.師の遺産
魔術の竜巻が、マフの建物や人々を空高く巻き上げていた。
ディゼムは黒い鎧を空中で突進させると、彼らの救出に向かう。
プルイナが告げる。
『要救助者、合計14名。ディゼム、本機が指示する順番で救助してください』
「分かった!」
だが、近くにいた悪魔たちはそれを見逃さない。
4人の中で最も人間に近い形態の悪魔が、長弓を構えてディゼムを狙う。
しかしそこに、
「鋭く、劈け!」
「エクスプローシヴ・バレット!」
ホウセの放った落雷の魔術と、白い鎧からの破砕弾だ。
魔術の落雷が大蛇の悪魔にあたるが、破砕弾は全て、他の悪魔たちに回避された。
アケウは、エクレルの照準補助が外れたことに驚愕する。
「外れた!?」
『生意気な』
とはいえ、注意を向けることには成功したようだった。
獣のような悪魔が剣を構えて疾走し、白い鎧へと殺到する。
「先程は討ち漏らしたが――チミスタが改めてお前を殺し、魔宝を取る!」
そう名乗りつつ、悪魔は電光のような速度でアケウの死角を取ろうと動いた。
白い鎧の補助で何とか対応できているが、反撃が当たらない。
「やっぱり速い……!」
『問題ない。奴のパターンが概ね把握できた。次は動きを止める――』
だが、敵は一人ではない。
射手の悪魔がその隙を狙い、矢を放った。
エクレルは悪魔の矢による照準もセンサーで捉えており、警報を発している。
スラスターのわずかな噴射で、回避可能――
――そのはずだった。
「うっ!?」
『麻酔投与』
矢は、アケウの右肩に着弾した。
白い鎧の装甲を貫通して、彼の肩関節を突き破っている。
『アケウ、痛みはあるか』
「大丈夫だ、薄まった……!」
白い鎧は悪魔チミスタの攻撃を回避しつつ、射手の悪魔に当てられた矢を肩から引き抜いた。
内部で麻酔を施しつつ、彼の肩関節を治療する。
矢に塗られていた毒の成分も、解析して分解する。
『当機の超重元素複合系を貫通するとはな。しかも奴の矢は、恐らく魔術の力による追尾作用がある。この近距離で弾道を補正する、かなり高性能なものだ。被弾は覚悟しろ』
「分かった!」
着装者の関節が傷ついていても、鎧のパワーアシストが脳波を読み取り、通常と同じ力と速度で駆動することを可能にしていた。
毒矢を受けてもアケウの動きが鈍らないことを見て取った射手の悪魔が、弓に別の矢をつがえた。
「ならば、これはどうだ」
獣の悪魔の剣と、射手の悪魔の矢が、白い鎧を同時に襲う。
「!!」
『かわせ!』
白い鎧の支援もあって、アケウはいずれも回避した。
だが今度は、彼の背後から轟音が聞こえてきた。
「――!?」
白い鎧が回避した射手の悪魔の魔弾が、彼の背後にあった住宅を複数、爆ぜ飛ばしたのだ。
攻撃をかわしながらも、アケウは戦慄した。
破壊されたのは、人が住んでいたであろう家だ。
射手の悪魔と獣の悪魔は、攻撃の手を緩めずに言い放つ。
「我が矢を避けるとは、素晴らしい戦士。だが避ければその分、周囲に被害が行くぞ」
「そうだ。我々はどちらでも構わんが」
「こいつら――!!」
アケウは、怒りに歯噛みした。
魔術の竜巻に巻き込まれた住民たちを救助していたディゼムも、それを見ていた。
「クソッ、ずりぃな……!」
『救助完了』
ディゼムは粘着繊維弾で絡め取った14人の住民たちを、戦場から離れたところに下ろした。
粘着繊維を分解するために、指先の多目的射出孔から水をかけると、加勢に戻る。
アケウが獣の悪魔と射手の悪魔を、ホウセが腕の悪魔と大蛇の悪魔を相手にしていた。
そこに、ホウセから通信が入った。
「ディゼム! アケウ! 悪いんだけど、その4人の悪魔をしばらくお願いできる!?」
「いや、加勢できるぞ」
「そうじゃなくて! ちょっと……! 形勢が悪いから――試してみたい、ことがあって!」
攻撃を回避しながら話しているためか、声が途切れ途切れだった。
「それで、ファリーハと合流したいの! よろしく!」
「え、おい!?」
そう言うと、彼女が悪魔たちから離れ、離脱するのが見えた。
腕の悪魔と大蛇の悪魔は、ホウセの後を追うようだった。
『ディゼム、行きましょう。彼女には考えがあるようです』
「分かってる、しゃあねえ……!」
ディゼムは黒い鎧のスラスターを噴かせ、悪魔たちに攻撃を仕掛けた。
ファリーハは、少しだけ後悔していた。
(な、なぜ!?)
路を曲がっても曲がっても、悪魔たちが先回りしてくる。
彼女の体力では、走って逃げるのにも限度があった。
(なぜ、私の行こうとする方角まで、見破られてしまうのか……!?)
『ファリーハ、気をつけろ。敵に撃ち落とされるから、今このドローンは低空飛行しか出来ない。空からのナビゲーションは期待するな』
エクレルが分けてくれたドローンが、首元の通信機を介して彼女に指示をしてくれていた。
もっとも、透明になれないドローンが近くにいると彼女の位置が簡単にわかってしまうため、ドローンは家屋の陰などに潜みながら彼女を先導する形を取っていた。
にもかかわらず、下級悪魔たちは的確に、彼女を追ってきていた。
隠れ身の衣で、彼女の姿は見えていないはずだったが、それでもだ。
しかも、先回りすらされている。
ファリーハは息を荒らげつつ、考えを巡らせた。
(下級悪魔自体にそうした能力があるとは考えにくい……あとは、別の悪魔から指令を得ている可能性か……!
遠見か、予見の魔術のようなものを扱う悪魔から、やはり魔術か何かで指令を得ている……!?)
あくまで、推測だった。
悪魔ならどんな魔術を扱っても不思議ではない気もするが、しかし、予知は強力すぎる気もした。
(そもそも予知なら、あらかじめもっと、私たちにとって致命的な戦術を立てることができるはず……!)
思索とは別に、息は切れ、足が悲鳴を上げ始めた。
しかも、
『ファリーハ、そっちは袋小路だ!』
「……!?」
うっかりドローンを見落とし、入り込んでしまっていたらしい。
既に悪魔たちが、退路を塞いでいた。
「このくらい、乗り越えてみせます!」
彼女は意を決してそのまま走り、塀を登って乗り越えようとする。
が。
「ぎゃん!?」
ファリーハは足を滑らせて落ちた。衝撃で眼鏡がずれて、落ちそうになる。
ドローンの推力では、彼女を持ち上げることなど出来ない。
アケウたちは、離れたところで戦闘中だ。
足を痛めた彼女の元へと、下級悪魔たちが殺到しようとしていた、その時。
「ぅおりゃあッ!」
真紅の閃光が、悪魔たちを蹴散らした。
彼女に救われるのは、二度目か。
真紅の鎧をまとったホウセは振り向くと、彼女を抱えあげた。
驚いて尋ねる、ファリーハ。
「ホウセ!? アケウたちは大丈夫なのですか!?」
「大丈夫だよ! それよりファリーハ、ちょっと相談があるんだけど」
彼女は家屋の影にいたドローンにも手招きをして、呼びかける。
「あ、エクレルのドローンも運ぶから、来て!」
『電力がやや心もとなかったところだ。頼む』
ホウセは二重反転プロペラを折り畳んだドローンを掴むと、ファリーハにそれを抱えさせた。
二人は再び隠れ身の衣をまとって、家々の屋根を飛び越えていった。
そして、悪魔たちの少ない場所までたどり着くと、再び無人の家屋に侵入した。
さほど広くもない、厨房と食卓のある部屋だ。
ファリーハが、あたりを見回して疑問を口にする。
「ていうか、良いのでしょうか、こんなに空き巣じみたことをして……」
「私がマフにいたころに死病が流行って、4人に3人くらいが死んだからね。それから……10年くらいしか経ってないのかな? だから空き家が多いんだ。こんな時だし、悪いけど使わせてもらわないと」
「……相当過酷だったのですね」
「私は運が良かったから……エリカレスも良くしてくれたしね」
ホウセは鎧の腹部のポケットから紙を取り出し、テーブルに広げた。
「で、これが彼の遺した最後の魔術紋様」
図面を見て、ファリーハは概要を理解した。
「これは……転移の紋様ですね。未完成ですが」
そこには、転移する先を指定する箇所が、ぽっかりと抜けていた。
これを完成させれば、遠方への転移が可能だろう。
だが、疑問点があった。
「とはいえ、大きすぎます。これは恐らく、マフ全体を覆うような面積になってしまうのでは……」
「そうなの?」
彼女の意見に、ホウセは疑問を口にした。
「私は転移の紋様はわからないけど……大きすぎるだけなら、再計算して小さくすればいいんじゃない?」
「中心部の図形と記号が、見たことのない様式です。この部分の意図がわからないことには、再計算もままなりません。エクレル、ドローンを通して見えますか?」
『……既存の魔術理論にない記号だな。欠落部分を除けば他は完璧にもかかわらず、中心部だけは未知のものだ』
エクレルの見解を聞いて、ホウセは少し、肩を落とした。
「じゃあダメか……さっきエリカレスの工房の地下で、これと一緒に見つけた塗料があるんだ。プルイナがサンプルを取ってるから、エクレルにもできるんだよね?」
『あぁ、成分的には問題ない』
「じゃあそれで、ファリーハが遠くに転移できる文様を描いてくれれば大丈夫だね。あとは黒い鎧か、白い鎧の手が空けば――」
「…………」
ファリーハは、考えていた。
彼女はエリカレスという悪魔のことを、ほとんど知らない。
だが、ホウセの話を聞くに、なぜか人間に、強く肩入れする性格だったようだ。
そして、ホウセに呪文と紋様の知識を仕込んだ、熟練の職工でもあったことになる。
そうした人物が工房の地下に隠していた未完成の紋様と、その塗料。
そうか、と、彼女は思い当たった。
「――待ってください、ホウセ!」
「え」
「話が変わってしまいますが……エリカレスの形見だというそのナイフ、包んでいた布。もしかしたら」
「あ!」
ホウセもそれを思い出し、思わず声が出た。
「明かして、広がれ!」
彼女の呪文に反応して、ナイフを包んでいた布が大きく面積を広げた。
赤い塗料で描かれた、魔術紋様の集合体――魔宝の“原図”だ。
描かれている内容を見れば、それがどのような効果を意図していたのかが分かる。
「……ホウセ、ここを見てください」
ファリーハの指し示した箇所には、平文が書かれていた。
弟子に宛てた、師からの言葉。
「…………!」
エリカレスから、ホウセへ。
君がこれを読んでいる時、恐らく俺はこの世にいない。
そのつもりで書いている。
悪魔の中には、死体から記憶を読み取れる者がいる。
俺が死んで死体が一欠片でも残れば、そこから君の存在が露見してしまうだろう。
それを避けるために、俺は自分が死ぬ時は、一片の肉塊すら残らない死に方をするはずだ。
どうか、それを許して欲しい。
君がこの文を読む機会が、来ないことを望む。
だが、あるいは君が、故郷の人々を悪魔の手から救いたいと、考えたとしたら。
俺の死後にそうなる場合を考えて、これらを用意した。
俺が手伝ったとはいえ、君の作った鎧はなかなかの出来だ。誇らしい。
しかし、まだ改良の余地は残っていると考え、これを作ってみた。
これを原図に戻した状態で、君の鎧と、槍と、繋ぎ合わせてみて欲しい。
きっと君の、新たな力となることだろう。
君は悪魔である俺の、人間でいう家族のような存在だったと思っている。
最後はその点に、感謝していることを伝えたい。ありがとう。
君が人間として、魔術師として、強く、善く育ってくれることを願っている。
更に願わくば、君の思う幸せを手に入れて欲しい。
以上だ。
「…………エリカレス……!」
『ソースコードに仕込む、コメントのようなものか』
エクレルが、ドローンを通して所感を述べる。
ホウセを案じるように、ファリーハがつぶやく。
「あなたの師であったエリカレスの……遺言、なのですね……」
「……明かして、広がれ!」
ホウセは呪文を唱えた。
真紅の鎧を、“原図”に戻す。
真紅の槍も、“原図”に戻す。
エリカレスの遺した布の分も併せて、真っ赤な塗料で描かれた魔術紋様の集合体が、三枚。
ただでさえ広くはない部屋が、魔術紋様で埋め尽くされて足の踏み場もない。
これを、繋ぎ合わせるのだ。
だが今は、塗料がない。
「っ!」
ホウセは周囲を見回し、食器棚を見つけた。
“原図”を押しのけて通り、小さな深皿を取り出してきて、埃を払う。
そしてエリカレスのナイフを握り、歪んだ刃で自分の手首に切れ込みを入れた。
「――!」
ファリーハが、小さく悲鳴を上げる。
だがすぐにホウセの意図を察し、彼女は右手を差し出した。
「ホウセ、ナイフを。私の血も使いましょう」
「……ありがとう」
そしてファリーハの手首からも、血液が滴った。
深皿の中で、二人の血が混じっていく。
「優しく、癒やせ」
双方の手首の傷を魔術で塞ぐと、ホウセは懐からペンを取り出して、血糊に浸した。
魔術師の血液は、限定的ながら魔術の塗料の代わりにもなる。
それを塗料にして、彼女は三枚の“原図”を縫い合わせる紋様を、テーブルの上で描き始める。
図形として、記号として、注釈として。
描かれた血液は既存の部分と一体化し、ふわりと空中に浮かび上がっていった。
三つの魔宝が、一つになろうとしていた。




