4.8.鋼鉄の短刀
「で、気づいたらさっき潰された、エリカレスの第二工房にいたってわけ」
たどり着いた地下室で、ホウセがそう話を結ぶ。
破壊された作業机や棚などを検分しつつ、ディゼムは陳謝した。
「悪い。辛い話を……させちまった」
「気持ちのいい思い出じゃないけど、話すたんびに泣くほどでもないよ。話したいと思ったから、話したんだし」
「……そうか」
軽く肩をすくめるホウセに、曖昧にうなづく。
彼は改めて、地下工房を見回した。
ホウセの言い方に従うなら、エリカレスの第一工房、ということになるか。
実験器具や作業机、本棚など、設備や什器は全て破壊されていた。
そこに納まっているべき実験材料や道具、書籍なども無かったが、処分されたのだろう。
ディゼムはそんな印象を、素直に口にした。
「しっかし念入りに壊していきやがったな。使えそうなものなんて何もない感じだが」
『そうでもないようです。ディゼム、あの場所の石畳を剥がてみてください』
「うん?」
疑問に思いつつ、プルイナが画面で示した箇所を、手の平の吸着で引き剥がす。
そこには、小さな木箱が埋まっていた。
ホウセが、ぽつりとつぶやく。
「何それ」
「お前も知らないやつか」
「うん」
無造作に木箱を開くと、そこには陶器のツボと、折りたたまれた紙。
紙を広げると、それはどうやら、魔術紋様の図面であるらしかった。
それを見て、声を漏らすホウセ。
「エリカレスのサインだ……!」
「じゃあ、こっちのツボは……魔術の塗料か?」
ツボの蓋を取ると、塗料は経年でかちかちに固まっている。
黒い鎧の指でそれに触れて、ディゼムはプルイナに指示した。
「サンプルを頼む」
『採取しました。それと、ホウセ』
「何?」
『これを渡します』
プルイナは黒い鎧の右脇腹の装甲を展開し、中から取り出したものをホウセに渡した。
「え、これ……」
赤い布にくるまれた、細長い物体。
布を解いてみると、それは、刃が欠けて歪んだ刃物だった。
昔、エリカレスが自身の手の平へと突き刺した、鋼鉄製のナイフ。
『先程、地下工房が破壊される直前、押しのけた作業机の棚から飛び出してきたものです。エリカレスの遺品になるかと思い、ドローンの空きスロットに収納していました』
「……ありがとう」
ホウセはナイフを布でくるみ直すと、真紅の鎧の腹部分にある収納ポケットへと仕舞った。
すると、
『ディゼム、警戒してください』
プルイナが、声音を切り替えて警告を発する。
『地上に人間が多数、悪魔も少数接近しています』
「ホウセ、聞こえたな!」
「うん!」
「急いで出るぞ」
二人は地上へと駆け上がった。
黒い鎧は迷彩を起動し、ホウセも隠れ身の衣を被る。
プルイナが、再度警告してきた。
『ディゼム、やはり警戒してください。警戒中のドローンが撃墜されました。悪魔の中に、長距離射撃を得意とするものがいます』
「思ってたより早いな……甘かったか」
地上には、人間たちが集まっていた。
マフの人々だ。
力ない目で、姿を現したディゼムと、ホウセを見つめている。
そして、悪魔もいた。
大柄なウサギのような姿をしていて、それは甲高い声を発して彼らに告げた。
「外からの人間と出奔者に告げる。この人間たちを殺されたくなければ、隠れ身を解け」
出奔者、とはホウセのことだろうか。
相手側を監察するに、ウサギのような悪魔と人間以外は、下級悪魔ばかりだ。
下級悪魔は、人間たちを盾にするように、その背後に並んでいた。
プルイナが、鎧の内部でディゼムに合図する。
『ディゼム、行けます』
「しゃあッ!」
黒い鎧は背部のスラスターで急加速し、ウサギ悪魔の頭部を蹴り砕く――
――ことが、出来なかった。
「かわした!?」
ウサギのような悪魔は何とか上体を逸らし、爆発的な蹴りを回避していた。
それでもディゼムは次の瞬間、両腕を左右に開き、
「エクス・バレット!」
十指の先端全てから破砕弾を発射し、人間たちを盾にしていた悪魔たちを側面から粉砕した。
弾頭の爆発は極力抑え、貫通力だけを増したものに変更してある。
そして、呼びかける。
「ホウセ!」
「わかった!」
二人は人間たちを飛び越え、その場を脱出した。
ディゼムは黒い鎧の熱電・色覚迷彩。
ホウセは隠れ身の衣。
それぞれのステルスで身を隠したまま、マフの街を走る。
ウサギに似た悪魔が、狼狽しつつも声を上げた。
「お、追え! 奴らを追えーっ!」
もっとも、連れてきていた働き悪魔たちは全て、殺されていたが。
一方、同時刻。
無人の家に居残っていたアケウとファリーハも、悪魔の襲撃を受けていた。
「砕く力よ!」
呪文によって発動した魔術が衝撃波となって、悪魔たちを打つ。
家を取り囲もうとしていた下級悪魔たちは吹き飛ばされ、混乱した。
彼らをまとめていたらしき魚のような頭をした悪魔も、白い鎧の鉄拳で即死する。
「殿下、こちらです!」
「はいっ!」
アケウは白い鎧の熱電・色覚迷彩を起動させ、ファリーハはもう1枚、エクレルが拾っていた隠れ身の衣を使っていた。
王女を抱え上げ、白い鎧は街路を低空飛行する。
エクレルが、鎧の中のアケウに報告する。
『アケウ。ディゼムたちも敵に見つかったようだ。ドローンも1機落とされた。奴らは何らかの監視手段を持っていると思われる』
「それを見つけて、何とかしなきゃならないか……! プリンターはどうなってる?」
『地下に潜らせた。今のところは問題なく作動中だ。あと25分で保護セルができる。ファリーハを収容して脱出するまで、なんとか時間を稼ぐぞ』
「分かった……!」
アケウは、以前の廃港での出来事を思い出して焦っていた。
初めて旧世界へ転移した時、同行していた探査隊の面々が死亡した戦いだ。
アケウは敵の足萎えの魔術によって戦闘不能になり、ファリーハも決して浅くない傷を負った。
(これじゃ、あの時と同じだ……殿下を、何としてもお守りしないと……!!)
苛立つ彼に、エクレルが忠告する。
『アケウ、焦りすぎるな。あまり冷静さを失われると、薬物を投与しなければならなくなる』
「……分かった。ひとまず隠れられそうなところを探してくれ」
『やっている。ファリーハ、悪いがもう少し速度を出すぞ。しっかり掴まっていろ』
「分かりました!」
彼女は言われたとおり、白い鎧にしがみつく力を強めた。
白い鎧は街路をジグザグに飛び、少しでも悪魔たちの追手を撒こうと試みる。
エクレルは離れた位置にいる黒い鎧と、高速通信を行った。
『プルイナ。敵の監視手段は特定できそうか? 飛行ドローンや飛べる悪魔の類ではないようだ』
『街の中か、住民に監視用の機器を設置しているわけでもないようです。恐らくは悪魔の魔術ですね。あるいは魔宝と呼んでいましたか、この隠れ身の衣や、アールヴィルにあった“赤い海”に類する物品などの効果か』
『我々のセンサーでは検出できないということじゃないか』
『ホウセにも今のところ、心当たりはないようです。やはり何らかの、未知の悪魔の仕業でしょう』
『あいつら全員、我々にとっては未知だろう……本当に何なんだ、あの訳の分からない形態と生態の多様性は』
『さあ……ただ、まだ試せることは残っています。このまま分散して、敵を撹乱してみようと思いますが』
『試してみるか』
『では、交信終了』
エクレルはプルイナとの協議の結果を、アケウとファリーハに伝える。
『未だに敵の監視手段が不明だ。煙幕を使う。ファリーハは口と鼻を、ハンカチでも使って押さえていてくれ』
「わかりました」
王女が懐から取り出した刺繍付きのハンカチで口元を覆うと、
『ニンジャ・スモーク、行使』
透明になったまま飛行する白い鎧から、煙幕が噴射された。
急速に膨張する無毒――ただし、大量に吸い込めば、もちろん窒息の危険はある――な化学物質が、周囲一帯を覆い尽くしていく。
離れたところで黒い鎧も、猛烈な勢いで煙幕を散布していた。
付近は風もなく、膨大な量の煙幕が街中に広がる。
煙はわずか10分ほどで、マフの面積の1/3を覆いつつあった。
だがそこで、不意に強風が吹いた。
「っ!」
いや、それは暴風と表現してもよい規模ですらあった。
風は数秒流れただけで、あっという間に煙幕を吹き飛ばしてしまった。
それどころか、家屋の一部を損壊し、道行くマフの住民たちをも転倒させていた。
煙幕を張っていたディゼムたちは、突然の出来事に驚愕した。
「何だ、ありかよこんなの!?」
『気象学的には、ありえなくはありませんが……』
「このタイミングは悪魔の魔術でしょ……! それも相当強いやつ!」
強風で隠れ身の衣を剥がされないように裾を押さえつつ、ホウセ。
うかつに身動きの取れないほどの強風が、不意に止む。
そこに、人語で大音声を張り上げる者がいた。
「出てこい! 黒い鎧! 白い鎧! ――そして赤い鎧ッ!!」
音源は、黒い鎧と白い鎧、双方の位置から容易に特定できた。
鎧の望遠で音源の方向を拡大すると、そこには悪魔らしき影が4つ見えた。
場所は学校のように見える建物の前、運動場らしき施設だ。
ディゼムとアケウはその中に、見覚えがあった。
「あの腕のゴツいやつ、俺がさっき戦った……」
「その隣の獣みたいなのは、僕が戦った相手だ」
それ以外にも、長弓を携えた射手のような姿、空を飛ぶ巨大な蛇のような姿。
プルイナが、やや呆れたように音声を発した。
『あのようにドラゴンめいた悪魔もいるのですね……』
帯同しているということは、あれら全てが悪魔ということか。
その悪魔たちの内、アケウが戦ったという獣のような悪魔が叫んだ。
「姿を現さなければ、マフの人間に被害が及ぶぞ。
それが嫌なら隠れ身を止めて、姿を見せろ!」
大音量の脅迫が、マフの街にこだまする。
ディゼムは、黒い鎧の制御人格へと問いかけた。
「……どうする、プルイナ!」
『可能ならば無視したいところですが……』
アケウも白い鎧に、尋ねる。
「エクレル、あいつらをどうにかする方法はないかな……!」
『ない。ファリーハを抱えている時点で、このままではどうにもならん』
「…………!」
ディゼムたちが動けずにいると、獣のような悪魔は更に声を張り上げた。
「そうか、隠れ続けるか! ならば――」
今度は空飛ぶ大蛇が大きく身を捩り、竜巻を発生させた。
「犠牲者は1人や2人では済まないと思えッ!」
竜巻に巻き上げられる建物や、人々。
『ディゼム!』
「ざっけやがってッ!!」
それを見たディゼムは熱電・色覚迷彩を解除し、悪魔たちに向かって全速力で突撃した。
ホウセも隠れ身の衣を脱いで、その後に続く。
一方、アケウは逡巡していた。
(殿下を置いていくわけには……!)
だが、白い鎧の腕の中で、ファリーハは彼に言う。
「アケウ、私を下ろしてください!」
「しかし……!」
「あなたは、あなたの気持ちに素直になって! 私はこの衣もありますし、何とかしてみせます!」
「殿下……」
このままこうしているわけにも行かない。
アケウは諦めて、白い鎧の腕の中からファリーハを降ろした。
エクレルが、鎧から音声を発して彼女に告げる。
『残ったドローンを、一応の護衛に付ける。ひと気のない場所を探して隠れていろ』
「そうします!」
白い鎧の左脇腹の装甲が展開し、ドローンが射出される。
細い円柱状の機械は二重反転プロペラを作動させて、ファリーハの頭上に滞空した。
アケウは王女を気遣いつつ、空中へ飛び上がった。
「殿下、お気をつけて!」
「あなたも、無事で!」
迷彩を解除、白い鎧のスラスターを全開にして、ディゼムたちへと加勢する。
ファリーハは隠れ身の衣の裾を握り、彼の軌道を見送った。




